小鹿野 〜山あいの集落を飾る花〜


 

【埼玉県 小鹿野町 平成19年4月7日(土)】
 
 4月、春本番がやってきました。今日は土曜日。朝、ゆっくり起き出したので、家を出たのは10時を過ぎてしまいました。天気はまずまずです。
 これから向かうところは、埼玉県の奥秩父。群馬県との県境まであとわずかといった山ひだの中の集落です。
 
                       
 
 新ドリーム号に乗り込んで、新目白通りから関越道へ。一路北西に向かって走ります。都内からは所沢、飯能を通過し、正丸峠を越えて秩父盆地に入る、ほぼ直線的なルートがありますが、渋滞と、飯能から先の山道により、時間はかなりかかってしまいます。時間優先ならやはり関越道経由でしょう。
 花園ICで高速を下りると、荒川に沿って西に向かいます。秩父盆地に入る直前で右手の山に向かって進路をとり、高度を上げていきます。やがて一段高くなったところに街が開けていて、ここが小鹿野の中心部。そこからさらに山の奥に向かいます。

 合角ダム

 山道をどんどん分け入っていくとやがてダムが見えてきました。合角ダムです。このダムを越えたら目的地はもうすぐです。
 
 やがて小さな集落に到着しました。バス停と駐在所を中心に十数戸の民家があります。集会所の前の空き地に車を駐めて観察道具を準備し、民家の裏手に入っていきます。ここには山の斜面を紫一色に彩るカタクリの群生地があって、地元でも観察ルートを整備するなど、地道な保護活動が行われているところなのです。

 入り口

 道ばたの「←カタクリ自生地」の小さな看板に導かれて、小川沿いの小径をたどります。小径といっても人が一人やっと通れるほどの幅しかなく、うっかりすると左の川に落ちてしまいそうになります。10mくらい先に右手に上がる階段があり、これを上ると民家の裏の畑脇に出て、そこから自生地である斜面が見渡せるのです。

 ユリワサビ  アズマイチゲ

 階段の周辺に咲いていたユリワサビとアズマイチゲ。こんな花が普通に咲いているところが素晴らしい。カタクリにも期待が高まろうというものです。

 こ、これは…。と、言葉を失うくらいの光景。幅約50m、高さ約30m、山肌に広がるアブラチャンの林床が全面カタクリです。しばらく動けませんでした。なにより、今この状況の中にいるのが自分一人だということ。そう考えるとぞわっと鳥肌が立ってしまいました。
 
 後で地元の人に訊いたところ、ここのカタクリの保護活動を始めたのは20年くらい前とのこと。それまでは咲いていることは知っていても、誰も気にもとめていなかったのだそうです。この斜面の周囲を巡る観察路と斜面下にある休憩用の東屋も地元の人が整備したもの。下草刈りなどの保全作業も、一年のうちでもほんの限られたこの時期のためのものです。(そのご苦労に頭が下がります。)
 駐在所の脇などに幟が2、3本立てられていたので、「ちょうど満開ですが、明日の日曜日あたり、カタクリ祭のような催しでもあるのですか。」とたずねると、「いいや。でも明日は『小嶺さん』があるですよ。」とのこと。「小嶺さん」とは、集落を見下ろす小山の上にあるお社のことだそうです。毎年、カタクリが咲き競う頃に執り行われる地元の氏神様のお祭り。みやげ物屋がが並ぶでもなく、スピーカーからご当地ソングがながれるでもなく、もちろん観光ツアーのバスが来ることもない。山あいの小さな集落に春の訪れを告げる昔からの行事なのでしょう。(「新日本紀行」のテーマソングが聞こえてきそうです。)
 これから観光地化で荒れていかなければよいが、と考えるのはよそ者の勝手な考えかも。でもそう考えたくなるほどの素晴らしい光景なのです。

 カタクリは、日本では沖縄や南西諸島を除くほぼ全土で見ることができるそうです。古名をカタカゴ(堅香子)といい、大伴家持が「もののふの 八十娘子(やそをとめ)らが 汲みまがふ 寺井のうへの 堅香子の花」と詠んだ歌が万葉集に編されていることは、つとに有名。この名が、カタコ、カタコユリと転じて、現在のカタクリになったといわれています。

 カタクリの花を正面から覗くと、中心にもう一つの花(?)が現れます。きっとこの部分が虫たちによく認識されるようになっているのではないでしょうか。
 虫たちだけでなく、カタクリは昔は人間も食用にしていたそうです。もちろん片栗粉としてだけではなく、葉、茎、花はお浸しや和え物、天ぷらに、鱗茎は甘煮に。今では採集して食用にするなど、もってのほかですね。ちなみに、スーパーなどで片栗粉として市販されているのは、ジャガイモなどのデンプンから作ったもので、野草のカタクリとは無縁のものとのことです(だったら「ジャガイモ粉」とか「馬鈴薯粉」の名前で売ってもいいんじゃないのか。)。

 集落

 群落の斜面から集落の方を見ると、こんな感じ。荒川の支流のまた支流を分け入ったところにある小さな集落に、こんなにかけがえのない自然が残っているなんて。ここの皆さんは素晴らしい財産持ちなんですね。

 アブラチャン

 カタクリの群落はアブラチャンの林床に広がっています。そのアブラチャンもちょうど花を付けていました。クスノキ科によく見られる小さな黄色い花がいくつかずつ集まって咲く形。ダンコウバイなどもこんな咲き方をします。花の先に尖って見えているのは葉芽。花の後に葉が展開していきます。

 セツブンソウ

 セツブンソウもありました。葉は花が咲いていた頃より少し大きく成長し、果実が実りつつある状態でした。小さなエンドウ豆の莢のようなものが先端に着いているのが分かります。

 キバナノアマナ

 おっと、こんなものも。キバナノアマナです。ユリ科なので、本来花弁は6個のはずですが、これは7、8枚と、ちょっと変わり者のようです。他のものはちゃんと6枚ずつありました。
 
 この斜面だけでも本当に様々な植物を見ることができましたが、これもアブラチャンが葉を茂らせ、林の中を薄暗くしてしまうまでのつかの間のショーなのです。(林の中は薄暗くなることによって、乾燥から守られるという一面もあります。)
 それにしてもずいぶん長くこの場所にいましたが、その間にここを訪れた人はほんの数組でした。

 いったん小川沿いの小径まで戻って、今度はそこから川沿いに林道をたどってみようと思います。

 ハナネコノメ

 小さな流れのすぐそばにハナネコノメが咲いていました。シロバナネコノメソウと極めて似ていますが、こちらの方が全体に毛が少ない、と図鑑にはあります。この花は水際を好むようです。以前出会ったときも水しぶきがかかりそうなところに咲いていましたから。

 トウゴクサバノオ

 トウゴクサバノオも湿ったところを好みますが、水際というほどではありません。林道脇の枯れ葉が堆積して水分をたっぷり含んでいるような場所です。この花の色は純白ではなく、バニラアイスの色。やさしい白です。

 シロバナエンレイソウ

 対してシロバナエンレイソウの花は純白。洗剤のコマーシャルに出てくるTシャツの色です。漢字では「延齢草」と書き、滋養の薬効があるとされますが、有毒植物なので、漢方の専門知識のない場合は口にしない方がよいでしょう。

 アオイスミレ(?)

 アオイスミレだと思うのですが、距が極端にカギ型に曲がっているので、今ひとつ自信なし。
 こうやって誰も訪れないような場所にひっそりと咲いて、おそらく誰に見られることもなく散っていくのでしょう。でも、その間にしっかり受粉し、種子を成熟させていく、そして命をつないでいくことが大切な仕事なのですから、むしろ人間になんか見つからない方が有り難いのかもしれません。それはカタクリにしたって同じなのでしょうが、昆虫を呼ばんとしてあまりに華麗な花を付けるようになったばかりに、かえって人間の手によって命を脅かされるようになってしまったのですから、何とも皮肉な話。これからは人間の知恵によってその命を守っていきたいものです。

 (林道入り口にあった看板。中学校の生徒会が作ったもののようですが…、鉄砲水に気をつけろということでしょうか?)