三原・エヒメアヤメの里 〜誰故草が結ぶネットワーク〜


 

【広島県三原市 平成15年4月20日(日)】
 
 今日は二十四節気の「穀雨」。この週末、文字どおり穀物を潤す春の雨が降りました。
 
 広島から東へ車で約1時間。ここは三原市の沼田西町(ぬたにしちょう)というところです。広島県特有のアカマツの里山が広がる地域ですが、工業団地の進出により自然がざっくりと削り取られているところでもあります。
 
 今日は三原市教育委員会と沼田西町エヒメアヤメ保存会が主催する、「第1回文化財を生かしたまちづくりワークショップ『天然記念物と共生するまちづくり』」に参加してきました。といっても午前中に予定されている観察会に惹かれて参加したようなものですが。(反省)
 ちなみにワークショップとは、参加者が専門家の助言を得ながら問題解決のために行う協同研究集会のことです。
 
 午前10時、エヒメアヤメの自生地の観察からスタートです。入り口で地元の方の手作り蒸しパンを買って、今日の昼食を確保しておきました。

 保存会会長のあいさつで
 スタート

 この自生地にはちょうど1年前にも訪れています。去年咲いていたように今年も可憐な花を開いていました。ということはその1年の間に下草刈りをはじめとした様々な保全活動がなされていたということです。
 
 この場所は細い谷の一番奥まったところ。いわゆる谷地(やち)と呼ばれる景観の場所です。多くの谷地では昭和30年代くらいまでは谷地の奥まで水田が作られ日常的に人々が活動していました。そしてその奥、水田と森との境界部分は薪炭用に木を伐採したり飼料や堆肥のために草を刈り取ったりして、比較的明るい疎林を形成していました。ここもそんな典型的な谷地の一つで、人の手が入った林床がエヒメアヤメの育成環境として適していたとのことです。いわば期せずしてエヒメアヤメのための環境整備をしていたということですね。
 
 ところが、現在は谷地の奥までツル植物や樹木が入り込み、崩れがちなひな壇の地形がかろうじて当時の水田の面影をとどめるのみです。そうなるとエヒメアヤメの自生地も人の手が入ることがなくなり、放置された結果丈の高い植物が生い茂ることになります。そして、やがて背の低いエヒメアヤメは消えていくことになるのです。ですから今ではエヒメアヤメのために草を刈るという構図です。

 水滴を載せたエヒメアヤメ

 エヒメアヤメの果実は花の位置よりも更に低いところに結実します。そうでなくてもせいぜい15pほどの花なのに実のつく高さがさらに低いので、果実か裂開しても飛びちるといったことはほとんどないでしょう。また、この種子はアリが運ぶのだそうです。これらのことからエヒメアヤメの分布の拡大スピードは極めて遅いということになるのだそうです。アリが運ぶのですから1年間で(一世代で)移動する距離をせいぜい5mとすると、1q進むのに200年。エヒメアヤメは氷期に日本が大陸と陸続きになったときに朝鮮半島から渡ってきたと考えられていますが、この三原の地にたどりつくのにいったいどのくらいの年月がかかったのでしょうか。

 実物を見ながらサイエンスする  石丸先生、今日も舌好調

 午後は近くの沼田西小学校の体育館に場所を移して、まず基調講演からです。講師は文化庁の花井正光氏。天然記念物とは?といったレベルから詳しく解説していただきました。
 続いて事例報告。姫路工業大学の内藤和明氏からは沼田西地区での保護活動を生物学的側面から紹介していただき、次いで地元沼田西小学校の友宗理恵氏からは里山環境の中での学校活動を実録として紹介していただきました。

 内藤氏


 最後に、広島大学の中越教授をコーディネーターとしてパネルディスカッションです。
 会場には西日本に隔離分布するエヒメアヤメをそれぞれの地で保護しているグループも参集していて、それぞれ興味深い話を聞くことができました。佐賀市、防府市(山口県)、笠岡市(岡山県)、小林市(宮崎県)から遠路をいとわず参加されていました。そのほとんどが自然発生的に活動を始めたもので、そのひたむきな情熱には敬服するのみです。これらが今後ネットワークを形成していくことができれば、さらに発展性のある保護活動になるのでは、と思いました。
 ちなみに今回は名の由来となった愛媛県からは参加がなかったようです。
 


 今回の話を聞いていて、以前から不思議に思っていたことの謎がなんとなく解けてきたような気がします。
 それは、エヒメアヤメに限らず、日本の至る所にある「○○保存会」、「○○を守る会」。これらに熱心に携わる人たちのエネルギーはいったいどこから来るのか。もちろん純粋に対象物を保護するという意義が中心にあるのだとは思います。今日感じたのは、現在一定年齢以上の人々、昭和30年代までの集落単位のコミュニティの中で生活した経験をもつ人々は、現在のコミュニティの縮小に何かしら物足りなさを感じているのではないかということ。そして、身近にある何かしら価値のあるものをコアとして「疑似集落」を体験しようとしているのではないかということです。今回参集されたエヒメアヤメ保存会にも同様の側面があるのではと感じました。コミュニティの力は大きいですからね。