乗鞍岳 〜白い世界に咲く花々〜


 

【長野県 松本市、岐阜県 高山市 平成20年8月20日(水)】
 
 いつのまにかお盆も終わり、気がつくと8月も下旬に。なんとか休みがとれたので、遅ればせながら野山に行くぞー!と気合いを入れてみました。目的は高山植物。本当はもう少し早めに行きたかったのですが、まだなんとか間に合うのでは。待ってくれー、夏よ行かないで!
 
                       
 
 いつものごとく午前5時半、ドリーム号とともに出発。目的地は乗鞍岳。今日は中央道をひたすら西に向かって走ります。外気温は早くも上昇し始め、今日もギラギラの暑い一日を予感させています。
 八王子を過ぎ、小仏トンネルを抜けると山梨県、と思いきや実は神奈川県なんですね、これが。でもすぐに山梨県に突入。上野原、大月と過ぎ、笹子トンネルを抜けるとその先には甲府盆地が広がっています。長い長い下り坂を延々と下ると武田信玄の里、甲府です。とまあ、今日はこの辺りで中間地点。まだまだ先は長いです。
 甲府を過ぎると再びぐんぐんと登り始め、右手に八ヶ岳、左手に南アルプスを見ながら、その間を抜けていきます。途中、長野県との県境を跨ぎますが、そこはいわゆる峠としての最高地点ではなく、分水界は長野県側に5qほど行った、富士見町にあります(だからなんだ。)。その先には諏訪盆地。諏訪湖は面積では全国23位と思ったより小さいですが、知名度は高いですよね。しかもかの有名な大断層、糸魚川静岡構造線の断層運動で地殻が引き裂かれてできたという生い立ちをもっているそうです(だからなんなんだ。)。
 諏訪湖から塩尻峠を越えて坂道を下っていくといよいよ松本盆地の始まり。諏訪盆地は概ね標高760mくらいでしたが、松本盆地は標高600mくらいなので、松本の方が150m以上も低いことになります。イメージとしては逆ですが。ちなみに甲府盆地は標高260m程度です。
 松本ICで高速を下りて、国道158号をさらに西へ。梓川に沿って走ると、ほどなく山あいの道になります。途中、前川渡というところで左に折れてダム湖を渡り、ここから乗鞍高原へ向けてさらに登っていきます。

 観光センター

 乗鞍高原は乗鞍岳の東麓にある高原で、乗鞍岳への長野県側のベースとなる場所です。もともと乗鞍岳から流れ出た溶岩によって造られた高原で、一番高い西側の端で標高1800m、一番低い東側の端で1100mと、大きく見れば東下がりの高原となっています。その中心となるのは鈴蘭地区。標高は1450mでちょうど真ん中あたり。yamanekoが泊まる温泉宿もここにあります。
 9時30分、鈴蘭地区にある観光センターの駐車場に到着。ここに車を置いて、ここからは乗り合いの低公害バスに乗り換えて山頂を目指すのです(通年マイカー規制有り)。バスは毎時0分発。装備を整えて弁当を買って、とするうちにちょうどいい時刻になりました。ちょっと気になるのはチケット売り場の「山頂の天候:濃霧」という立て札。レインウエアは山に行くときには必ず用意しているので安心です。が、同様にバスを待っている人たちの多くは半袖の薄着なのが気になります。大丈夫か?

 乗鞍岳を仰ぎ見る

 確かに乗鞍岳の山頂には雲がかかっています。岐阜県側から次々に湧き出てきているように見えますが、さて、あの上にはどんな世界が広がっているのでしょうか。

 畳平バスターミナル

 って、こんな世界でした。バスターミナルのある畳平は、標高2700m、気温6.5度、視界10m。これが高度差にして1250m登ってきた先で待っていた世界です。くだんの薄着の方々はレストハウスに駆け込んだまま出てきません。そりゃそうでしょう、真冬並の気温なんですから。yamanekoもレインウエアの下に長袖の服を着込んでようやく快適な状態になりました。


Kashmir 3D

 乗鞍岳は、剣が峰(3026m)を主峰として、富士見岳、朝日岳、摩利支天岳など計23もの山々の集合体。もともとの予定では畳平を起点として剣ヶ峰の頂きまで登ることにしていましたが(地図の点線ルート)、この天候では畳平周辺の散策が精一杯のようです。

 お花畑

 レストハウスの裏手に広がるなだらかな谷はお花畑として有名ですが、今日は次々と流れ込んでくる雲とも霧ともつかない白いベールに覆われていました。それでもときおり思い出したように視界が開けると、写真のような風景が現れるのです。

 コバイケイソウ

 まず紹介するのはコバイケイソウ。亜高山帯の湿った場所を好むユリ科の花です。yamanekoとしてはこの花のすっとした姿勢の良さが好きです。全体にアルカロイド系の毒を持っていて、若葉の頃はウルイ(オオバギボウシの若葉)と間違って食べてしまう中毒事故が毎年報じられています。気をつけましょう。

 ハクサンイチゲ

 高山植物の代表選手、ハクサンイチゲです。お花畑のいたるところに群落を作っていました。カールに似合う花ですね。白い花弁のように見えるのは萼で、花弁はありません。これはキンポウゲ科の花によく見られる構造です。

 チングルマの実

 これはチングルマの実。霧が付いて濡れ髪のようになっていますが、普段はふんわりと広がっています。その姿を子どもの玩具の風車に例えて「稚児車」→「チングルマ」と訛ったのだそうです。
 葉の様子からなんとなく分かるとおり、チングルマはバラ科の植物。しかも高さ10pほどなのにれっきとした樹木です。

 ヨツバシオガマ

 ヨツバシオガマの花には鶴がいます。ほら、よく見てみると…。

 木道

 ずーっと、こんな感じ。防寒はしっかり出来ているものの、なにしろ手がかじかんで、カメラの操作がうまくいかないのです。(ほんとに8月ですよね?)

 シナノオトギリ

 中部地方の高山に生えるシナノオトギリ。先日の谷川岳で出会ったイワオトギリとは変種関係にあります。厳しい環境下でも逞しく咲いていますね。

 ウサギギク

 ウサギギクも亜高山帯から高山帯にかけて生えるキク。名の由来は葉がウサギの耳に似ているからだそうです。茎や葉に密生している毛が霧を集めて小さな水玉をたくさん付けていました。
 しかし、ほんといろんな花々があります。

 ミヤマアキノキリンソウ

 こちらのミヤマアキノキリンソウもアキノキリンソウの高山型。別名コガネギクです。日本では中部地方以北の高山で見られます。低地のアキノキリンソウとはずいぶんイメージが違いますね。

 畳平

 ときおり何かの拍子にスーッと雲が上がっていくことがあります。すると周囲を見渡して、こんなところにいたのかとあらためて現在地を確認することになります。

 イワギキョウ

 冷たい風に細かく揺れていたイワギキョウ。福島県と宮城県を除く中部地方以北の高山帯に分布しているそうです。よく似たものにチシマギキョウというのがありますが、こちらの方には花冠の裂片に毛があるので一目で分かります。
 これまで紹介してきた花のほとんどは基準標本の産地は日本国内ですが(基準標本がないものもあり。)、イワギキョウもチシマギキョウも基準標本の産地はアリューシャン列島のウナラスカ島(北緯53度)というところだとか。そこをこの花の故郷と考えると、ここで咲いているものはずいぶん暖かい(緯度の低い)ところで生きていることになりますね。故郷を遠く離れて、これからもがんばれよ。

 イワツメクサ

 ハコベの仲間の高山植物、イワツメクサです。冷たい水滴に濡れて、花弁が一部半透明になっています。ハコベの仲間は10枚あるように見えますが、これは1枚1枚の花弁が根元近くまで深く2裂しているからで、実際には花弁は5枚になります。

 ミヤマゼンコ

 ミヤマゼンコの「ゼンコ」とは、セリ科のノダケの異名で、漢字で書くと「前胡」。ノダケの根を乾燥させて作る漢方薬のことです。セリ科の植物には漢方薬の名前が多用されていますが、先人達がその薬効を見極め、生活に利用してきた歴史を物語る名前です。

 不消ヶ池

 不消ヶ池までやって来ました。乗鞍岳山頂部は酸素が平地の3分の2程度しかないとのことで、結構息が切れます(水は80度で沸騰するそうです。)。真夏の最も暑い時期でも雪渓が残っているということは、一年中消えないということですね。上の写真も一瞬の霧の晴れ間を撮影したものです。

 コマクサ

 おっと、お目当ての花に出会えました。コマクサです。もう時期が遅いかと案じていましたが、それでも幾株かは生き生きと咲いていました。ここまでやって来た甲斐があったというものです。砂礫地に咲く花なので、余計にけなげに見えます。左の写真は5mくらい離れたところにあるものをテレコンバータを付けて撮ったものですが、霧の影響ですこし白っぽく映ってしまっています。このわずかの空間にも白いベールが幕を下ろしてしまいます。

荒れ地を彩る可憐な姿。「King of …」、いや「Queen of 高山植物」ですね。

 乗鞍高原方面

 乗鞍高原方面を見下ろせる場所に来てみると、なんと、というか、やっぱりというか、晴れています。ここ乗鞍岳の山頂だけが「真冬」状態なのです。もっとも、ここの本当の真冬は白だけの極寒の世界なのでしょうが。
 乗鞍岳には中央分水界(日本の太平洋側と日本海側とを分ける分水界のこと。)が走っていて、しかもそのうちの最高地点なのだそうです。乗鞍岳に降った雨は、乗鞍高原側(上の写真)に流れ下ると、梓川、犀川、千曲川、信濃川と名前を変えながら、日本海に注ぎます。一方、写真とは反対の岐阜県側に流れ下ると、飛騨川、木曽川となって太平洋に注ぐのです。そういえば先日登った谷川岳にも中央分水界が走っていました。(分水界の線は目に見えませんので。念のため。)
 分水界は稜線と一致することが一般的ですが、以前住んでいた広島の近く(安芸高田市向原地区)には「泣き別れ」と呼ばれる場所があって、ここはごく普通の田んぼの中が中央分水界になっていました。ここから北に流れ出ると江の川に入って日本海へ。南に流れ出ると太田川に入って瀬戸内海に注ぐことになります。このような平坦な場所にある分水界はめずらしいのだそうです。

 ネバリノギラン

 低山帯から亜高山帯にかけて見られるネバリノギラン。触るとちょっと粘ついています。
 さあ、そろそろレストハウスに戻って、暖かいお汁粉でも食べましょう。そういえば昼食もまだだった。

 レストハウス

 ぐるっと回ってレストハウスまで戻ってきました。(上の写真のように霧が晴れたのはこの一瞬だけでした。)
 ここ畳平には太平洋戦争開戦当時に航空機エンジンの実験施設が作られたそうです。そのために岐阜県側から軍用道路が作られ、それが現在の乗鞍スカイラインの原型となったということです。一方、長野県側からの道(乗鞍エコーライン)は、戦後、自衛隊の訓練の一環として、昭和30年代に作られたのだそうです。それまでは車両が通行できるようなものはなく、明治以降になって少しずつ整備され始めた登山道が山頂とふもととを繋いでいたということです。それ以前となると、おそらく道と呼べるような道はなく、修験の者が辿った踏み跡が切れ切れに続いているばかりだったでしょう。
 3時10分発のバスに乗り、その道を下って乗鞍高原へ下りていきました。

 観光センター

 4時、乗鞍高原の観光センター前に到着。涼しい風が吹いているとはいえ、やっぱり山頂とは違う世界です。
 ここから宿までは歩いても3分ほど。早く温泉に浸かってゆったりしたいです。

 けやき山荘

 「じゃらん」でネット予約した宿は「けやき山荘」。築百年余りの古民家を移築してきたものだそうです。中に入ってみると、表面が赤黒く光るケヤキの柱や梁が落ち着いた雰囲気を醸していました。
 さあ、夕食の前に風呂だ、風呂!
 


 さて、乗鞍岳は翌日も頂が雲に覆われたままでしたが、2日後の朝、綺麗にその姿を見せてくれました。

 
 乗鞍岳