二上山 〜夏だからしっかり汗をかこう〜


 

【奈良県 葛城市 大阪府 太子町 平成30年8月19日(日)】
 
 お盆を過ぎ、いっときの異常な暑さは影を潜めましたが、まだまだ日中は酷暑です。
 ただ暑い暑いとばかり言っていてもしょうがないので、たまにはしっかり汗をかくのも良いかもしれません。ということで、近場でどこかいいところはないかと探して、二上山に行くことにしました。読みは「にじょうさん」ですが、古くは信仰の対象として「ふたがみやま」とも呼ばれていたそうです。

 二上山

 大阪に引っ越してきて程なく、大和川の河畔から東の方角を望んだときに、奈良県との境をなす山並みの中にあって特徴的な山容のこの山が気になっていました。はっきりとした双耳峰でよく目立つのです。北側の雄岳は標高517m、南側の雌岳は474m。奈良県側からは二つの峰の間に日が沈むように見えることから、既に飛鳥時代には神聖な山として敬われていたのだそうです。あの山の向こう側は飛鳥の里です。
 
                       
 
 朝8時半頃に家を出て、バスで藤井寺駅へ。9時8分発の橿原神宮前行きに乗車して、二上山の奈良県側の登山口がある二上神社口駅に向かいます。

 二上神社口駅

 二上神社口駅は長閑を絵に描いたような場所にありました。数人が下車した後は人影もありません(無人駅かも)。

 Kashmir 3D

 今日のルートは、駅からまっすぐ雄岳を目指し、登頂後はいったん「馬の背」と呼ばれる鞍部に下りて、そこから雌岳に向けて登り返します。下山は馬の背から西に下り、鹿谷寺跡を経て、太子町の六枚橋バス停まで歩きます。



 時刻は9時半。 軽くストレッチしてから歩き出します。駅からずっと上り坂です。

 二上山

 ほどなく国道165号線に出ました。これから登る二上山の雄岳が目の前に見えます。ここからの標高差は約470m。しっかり汗がかけそうです。ちなみに左の山は雌岳ではなく、前衛の小山です。

 クサネム

 小さな田んぼの脇にクサネム。葉がネムノキに似ているからのこの名前です。日本中で見られるとのことで、確かに田んぼの畦などでよく見かけます。多分雑草扱いでしょうが、マメ科の植物なので根に窒素を固定しているかも。駆除せずに春先の田起しの際に土に梳きこむと栄養になったりしないのかな。



 民家が切れ、山にかかるところに神社が現れました。山頂には神社があると聞いていたので、その里宮でしょうか。

 倭文神社

 近づいてみると石柱には3つの神社の名が刻まれていました。真ん中に倭文神社。左右に加守神社と二上神社とあります。調べてみると、主祭神は天羽雷命(あまはいかづちのみこと)を祀る倭文神社。正式には、葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしずりにありますあめのはいかづちのみことじんじゃ)という長い名前。「倭文」は「しずり」と読むようです。なんでも機織や裁縫を伝えたのが倭文氏だそうで、天羽雷命はその祖神なのだとか。
 陪席の神社は摂社で、加守(正式には掃守)は「かもり」、二上は「にじょう」または「ふたがみ」と読むそうです。

 登山口

 例のごとく家内安全と世界平和を祈念してから、あらためて登山開始。神社の左手に登山口があり、ここから山道になります。



 針葉樹の植林地の中を歩くので、ギラギラとした日差しは避けられます。

 マルバウツギ

 これはマルバウツギの実。花はGWの頃に咲きます。yamanekoの好きな花です。

 
 ガンクビソウ

 ガンクビソウ。まだ蕾のようにも見えますが、これで開花状態。頭花が茎に対して横向きに付き、この様子が煙管(きせる)の雁首に似ているところから、この名が付いたということです。そういえば、もう何十年も前のことですが、おじいちゃんが煙管を使っていたのをうっすらと覚えています。確か普通の紙巻きたばこをわざわざほぐして、雁首に詰めていたと思います。

 アオツヅラフジ

 直径5mmほどの小さな小さな花。これはアオツヅラフジの雄花です。顔を寄せるとこんなにきれいなんですが、普通に歩いているとまず気づきません。



 暑いですが、このあたりは歩きやすい登山道です。



 10時30分、右手から別の登山道が合流してきました。二上神社口駅の隣の二上山駅からの道です。先客が休憩していたのでyamanekoもここで小休止です。

 モチツツジ


 休憩しつつも辺りの植物を観察。これはモチツツジの葉です。生駒山地や金剛山地の山をいくつか歩きましたが、モチツツジはよく見かけました。

 ツクバネガシ

 関東ではあまり見かけないツクバネガシ。枝先に葉が集まって付く様子を羽根つきの羽根に見立てたとのことです。ブナ科の樹木には花が咲いた年に実が熟すものと花の翌年に熟すものとがありますが、ツクバネガシは後者です。

 ムラサキニガナ

 再び歩き始めます。これはムラサキニガナ。ひょろ長い茎の先に儚げな花を付けます。小さな花なので見逃しがちですが、この時期には貴重な紫色の花です。



 おっ、階段です。たまにはこういうのも変化があって良いです。



 かと思えばこんな石段も。このあたりは傾斜が若干きつめです。

 アキノタムラソウ

 アキノタムラソウは中腹以降に現れました。



 写真には写っていませんが、この暑い中、登っている人が結構いました。年配グループから山ガールまで。お手軽なんでしょうね。



 いい感じの道。心が解放されますな。

 大津皇子の墓

 11時過ぎ、山頂部にやって来ました。
 唐突に現れた鳥居は大津皇子(おおつのみこ)のものでした。フェンスで囲まれているのはここが宮内庁が管理する陵墓だから。写真右の切妻屋根の下に看板があり(看板のために屋根がある!)、そこには「天武天皇皇子 大津皇子 二上山墓 一、むやみに域内に立ち入らぬこと 一、魚鳥等を取らぬこと 一、竹木等を切らぬこと 宮内庁」と記されていました。
 大津皇子って誰? と思って調べたら、飛鳥時代、政争に巻き込まれて自害させられた何やら悲運の皇子のようでした。人望もあり将来を嘱望されいた青年だったそうです。

 葛木二上神社

 大津皇子の墓からすぐのところに神社が。コンクリートブロックで囲まれたなんだか神社らしくない神社です。ここは雄岳の山頂に祀られている葛木二上神社。塀の中に祠があるそうです。なんでも40年以上前に山火事で焼失して再建されたそうで、塀は防火のためなのかもしれませんね。

 二上山山頂

 神社から進むこと20m、二上山の山頂に到着しました。時刻は11時10分です。まだ昼食には早いので、ここはこのままスルー。眺望もないですし。

 キンミズヒキ

 キンミズヒキ。長い花序がタデ科のミズヒキに似ているからこの名が付いたとのことですが、正直まったく似ていません。実はひっつき虫で、野山歩きの後など、靴紐にびっしりくっついていたりします。



 雄岳からは急坂を階段で下っていきます。

 マルバウツギ

 マルバウツギの葉。確かにウツギと名が付く植物の中では葉が丸っこいような。



 階段が途切れてもずんずん下っていきます。

 馬の背

 おっ、ちょっと開けたところが。あそこが鞍部、馬の背ですね。



 すぐに登り返して雌岳の山頂へ。



 振り返ると雄岳の山頂。

 雌岳山頂

 11時半、雌岳の山頂に到着しました。山頂部は公園的な広場になっていて、石造りの日時計がありました。昔はここ雌岳にも神社があったとのことです。

 奈良盆地

 雌岳からは東西双方の眺望が得られます。こちらは東側の奈良盆地です。2箇月前に訪れた大和三山が眼下に望めました。正面の高い山は熊ヶ岳です。

 大阪平野

 北西には大阪の市街地。奥の山並みは六甲山系です。ビル群の右端が梅田、左端が難波でしょう。案外コンパクトですね。
 7世紀半ばを生きた大津皇子。当時、国の中心だった大和・摂津・河内を見渡せるここ二上山に葬られたのも、やはり意味があってのことだったんでしょうね。

 昼食

 馬の背まで下りてきて、あんパンとゼリーで昼食です。こう暑いと弁当はちょっと、という感じ。

 鹿谷寺跡へ

 昼食後は大阪側に下っていきます。まずは中腹にある鹿谷寺(ろくたんじ)跡に向かいます。



 途中にあった山火事注意の看板。聖徳太子が放水しています。ここからは大阪府太子町。名前からも分かるとおり聖徳太子に所縁の土地で、太子の墓所があるようです。他にも推古天皇をはじめ4人の天皇陵があり、他には小野妹子の墓があったりします。地元の人はそういうものと思っているかもしれませんが、相当すごいことですよね、これは。



 少し下ると展望台がありました。なんか眺めが良さそうです。

 南西方向

 大阪府南部、泉南地方です。富田林のPLの塔もよく見えました。



 岩屋峠へ向かう道との分岐は左手(写真奥)に向かいます。

 ソヨゴ

 おお、この波打つ葉は。久しぶりにソヨゴを見ました。実が一つできています。



 そのソヨゴの木が急斜面に岩を抱くようにして立っています。このあたりから露岩が多くなります。

 ママコナ

 花弁にある白い膨らみをご飯粒に見立てて、ママコナ(飯子菜)。これも久しぶりに見ました。



 両側が切れ落ちた大きな岩の上を歩きます。

 ネズ

 これはネズ。別名ネズミサシ。よく考えるとシュールな名前です。丸いのは若い球果で、熟すのは翌年か翌々年だそう。

 鹿谷寺跡

 岩場を下ったところに鹿谷寺跡がありました。太子町のHPには鹿谷寺跡について次のとおり解説してあります。
 「奈良時代に二上山山麓に造られた鹿谷寺跡は、凝灰岩の岩盤を掘り込んで作られた大陸風の石窟寺院です。中国大陸には敦煌や龍門石窟など、数多くの石窟寺院が見られますが、奈良時代にまでさかのぼる本格的な石窟寺院は、我が国では二上山山麓以外には知られていません。寺跡の中心部には、十三重の石塔と岩窟に彫りこまれた線刻の三尊仏坐像が遺されており、かつてこの周辺から日本最古の貨幣といわれる、和同開珎が出土しています。」
 この写真に写っている範囲はすべて岩山を彫り込んだ空間ということにびっくり。左手に見える十三重の石塔は、石を積んだものではなく、もとの岩盤から彫り出したものだそうです。

 テッポウユリ

 石塔の足下にテッポウユリが一株。暑さを跳ね返すかのような涼しげな姿です。



 鹿谷寺跡は張り出した岩尾根の上にあったようで、そこから右手の谷に向かって斜面を急降下していきました。林道に出てしばらく行くと「ろくわたりの道」への分岐。ここを右に折れて行きます。

 ダイコンソウ

 はな丸マークのようなこの花はダイコンソウ。いったいどこが大根なのかというと、根生葉(茎の根元から出る葉)が大根の葉に似ているのだとか。いやいやこの特徴的な花の様子から名を付けるべきなんじゃないですかね。

 ツユクサ

 ツユクサは一日花。夕方にはしぼんでしまいますが、花期の間は次から次へと新しい花が咲いていきます。



 ろくわたりの道は小さな支谷を遡り、途中から山肌にとりついて尾根に続いています。



 尾根に出たら左折。



 するとこんな岩場も出てきたりして、変化はあります。



 そこからの眺め。緑の向こうに太子町の町並みも見えました。
 岩場を過ぎてしばらくのところで道は尾根を離れ下っていきますが、途中山肌をトラバースする箇所があり、道が荒れて崩れていました。うっかりしていると滑り落ちてしまいそうでした。

 急階段

 そして最後は写真の急階段。ほぼ崖のような斜度の階段で、一段あたりの幅は靴の長さより短いのでは、といった感じでした。ほんと転げ落ちそうでした。



 道が平坦になって少し行くと南阪奈道路を潜るトンネルが現れました。ここを潜って行きます。



 道は再び森の中へ。でももう傾斜はありません。

 下山完了

 この獣よけのゲートの先がろくわたりの道の終点です。時刻は1時20分、事実上ここで下山完了です。馬の背からの所要時間は1時間10分でした。



 ここからは野辺の道となります。ガイドブックのルートが実際には通行止めになっていたりして、ここで地図とにらめっこしながら20分間くらい右往左往してしまいました。



 結局迂回路を通って太子町の市街地を目指しました。

 六枚橋バス停

 迂回路からバス停までの道のりは2kmほどでしたが強烈な日差しにバテ気味に。体に熱がこもるような感じで、どこかで涼まないとヤバい感じです。時刻表を見ると次のバスまで20分くらいあったので、とりあえず近所のスーパーマーケットへ避難。アイスとついでに目にとまった冷酒を買って、再びバス停に戻ってきました。そこからは金剛バスに乗り、上ノ太子駅へ。駅に着くと同時に電車が入ってきたので、飛び乗って藤井寺駅に向かいました。藤井寺駅からも待ち時間なしでバスに乗れ、帰路は時間の無駄なくスイスイと帰れました。
 
 と、上手い具合にいったと思いきや、これからが大変でした。
 家に帰ってシャワーを浴びて、ビールも空けて、日も暮れかけてきた頃、気がついたのです。財布がないことに。
 そこから思い当たるところに電話かけまくりです。太子町のスーパーマーケットでは確かにありました。スーパーのレジあたりに忘れていないか、バス停でリュックを空けたからそのとき落としたとすれば交番に届いているかも、上ノ太子駅で電車に飛び乗ったから駅のホームか。でも結果はいずれも見つかりませんでした。ところが最後にかけた金剛バスで「似たような財布が届いている」とのこと。乗ったバスは上ノ太子駅が終点だったので、どうやら運転手さんが社内点検をした際に見つけてくれたようでした。
 で、その財布は近鉄喜志駅にあるとのこと。7時半までは窓口が開いているということなので、そこから着替えて、バスに乗って、電車に乗り換えて、ギリギリ時間に間に合いました。どっと疲れました。
 まあ、いろいろありましたが、楽しい山歩きだったという話です。