日本平 〜佳景の丘・青松の浜〜


 

【静岡県 静岡市 平成21年1月24日(土)】
 
 1月も後半。20日が大寒だったので、季節はまさに寒の内です。この時期さすがに平野部でも寒い日が続きますが、天気さえ良ければ野山歩きも苦になりません。さて、この週末はどこに行こうか?
 と考えて、冬でも温暖な静岡に行ってみることにしました。目的地は日本平。あと美保の松原なんかもちょっと興味があります。
 
                       
 
 まあ、昼頃に着けばいいやというスケジュール感で東京を9時過ぎに出発。首都高3号線からそのまま東名高速へ乗り入れて、あとは渋滞もなくスイスイと西に向かって走りました。神奈川県西部の大井松田ICを過ぎたあたりから山の中に入り、都夫良野トンネルを抜けたらもう静岡県です。年明けすぐに訪れた御殿場を南下して、愛鷹山の山麓に沿うように西に向かうと、やがて濃紺の鏡のような駿河湾が目に飛び込んできました。


Kashmir 3D

 清水ICを11時半に下りて、ナビに従って日本平へ。途中で美味しいものでも、と探しながら走ったのですが、結局街道沿いにはこれといった店は見つからず、日本平の山頂近くの駐車場脇にある食堂で食べることとなりました。でもそこで食べた桜エビのかき揚げが美味かったこと。日本平は高度経済成長期に輝いていた観光地といった、すこし寂れた風情があり、ここの食堂も外観はそんな感じだったのですが、美味しい昼ご飯にありつけて幸せな気分になりました。

 食後に「東展望台」へ行ってみました。北東方向の眺めが素晴らしく、目の前には三保半島が鎌のような形で突き出しているのが見えます。その向こうには駿河湾をはさんで、箱根の山並みが。その左手には愛鷹山、そして今日は雲の中でしたがどーんと富士山が見えるはずです。反対に右手の方は伊豆半島の山並みが迫って見えます。
 このあたりの地形について調べてみると、概ね次のような説明がされています。
 日本平はもともと平坦な地形であったところ、今から約10万年前に突然地面が隆起しはじめ、一気に300m盛り上がってしまいました。10万年前というと、そのころ富士山は小御岳と呼ばれる初期の状態から再び活動期に入り始めた頃で、激しい噴火を繰り返しながらどんどん高さを増していった時期です。なので、地下からの溶岩の上昇がここ日本平の下でも起こったのかもしれません。もともと安倍川が運んできた礫や砂などが堆積してできた平地だったところ。隆起した山塊の南側は海食によってスッパリと削り取られてしまったということです。この削り取られた土砂がその後どうなったかは、後ほど。
 ところで、目の前に広がっている清水の市街。以前は単独で清水市でしたが、平成15年に静岡市と合併して今は「静岡市」です。

 駿河湾越の金時山

 手前から、清水市街、水道のような三保湾、幅の狭い三保半島、そして駿河湾越しに愛鷹山、一番奥には年明けに登った金時山が望めました。それにしても長閑な風景ですね。
 さてもう少し登って山頂付近を散策してみましょう。

 タブノキ

 暖かい日射しをいっぱいに受けているタブノキの葉。タブノキはこの辺りの海岸部の極相林(林を自然の遷移ままにまかせて行き着く先の姿)の構成種のうちの一つです。他にはクスノキとかヤマモモとかも。ぷっくりとした芽の中には花と葉との両方が入っています。

 「吟望台」

 東展望台から徒歩3分で最も高いところにある「吟望台」に到着です。日本平の最高地点は有度山山頂(307m)。ここ吟望台は有度山から300mほど離れたところにあって、標高はほとんど同じです。観光客の多くはさっきの東展望台ではなくこちらを訪れるのだそうです。

 地球防衛軍?

 で、吟望台から後ろを振り向くと、地球防衛軍の基地。ではなく、テレビの中継アンテナ群です。これはこれで壮観ですね。

 輝く海

 地球防衛軍の基地を回り込んで西側に下りていくと、海岸部にある久能山東照宮から上がってくるロープウエイの山頂駅があり、ここには観光バスがたくさん待機していました。そこのお土産センターの屋上からの眺めが上の写真。逆光で手前が真っ黒に写っているので夕方のような感じですが、実際にはちゃんと見えていました。でも海の輝きはこの写真のとおりでした。きれいですね。

 アセビ  ナノハナ

 日当たりの良いところではもうあちこちで春の気配が感じられました。アセビは蕾を膨らませているし、ナノハナも次から次へと花を開いていました。この辺りは沖を流れる黒潮のおかげで、冬も暖かいのです。

 ソシンロウバイ

 ソシンロウバイは年末のうちから咲いていますよね。もうそろそろ盛りを過ぎる頃です。

 梅園

 ウメは今が盛りのよう。甘い香りが辺りを包んでいました。

 紅梅

 「梅一輪一輪ほどの暖かさ」 誰が詠んだ句かよく分かりませんが、子供の頃、実家で使っていた絵皿に書いてあった句で、なぜか心の隅にひっかかったまま今でもウメを見ると思い出します。本当に暖かみのある花です。
 
 さて、日本平の頂上部分をぐるっと一周したので、今度は三保半島にある三保松原に行ってみたいと思います。

 松林

 駐車場に車を停めて、海岸線と平行して延びている砂丘を越えると、松林の向こうに海の青が見えてきました。

 三保松原

 三保半島は、長さ約4q、幅約1qの細長い砂嘴(さし)と呼ばれる地形です。これは、さっきまでいた日本平の南側の部分が海食により削られ、その土砂が強い沿岸流に運ばれてこの場所に堆積していったということです。半島の外側はご覧のとおりの砂浜ですが、内側は清水港となっていて埋め立てられた人工の海岸線となっています。でも、日本平からの土砂の供給は今でも続いているのでしょうか。向こうは向こうで海岸線にそって道路や民家もあるので、当然に護岸されていると思いますが、そうなるとここの砂浜はどんどん痩せていっているのでは。案外どっかから大量に砂を移入していたりして。(後日、仕事で静岡に行った際に聞いたところ、この辺りの海岸は安倍川から供給される土砂の占める割合も大きいということが分かりました。昭和の半ば、建築用に安倍川の川砂を大量に採取した時期があり、その際、三保の松原のみならず、更に北にある蒲原海岸の浜も大幅に痩せたということです。今では洪水防止などの治水目的以外では採取していないそうです。)

 羽衣の松

 有名な羽衣伝説で天女が衣を枝に掛けたという松がこれ。樹齢は約650年といいますから、おそらく初代のものではないでしょうね。で、この松の横には次代の松が育てられていました。樹高はまだ1mくらいでした。

 黒砂青松

 三保松原の案内板などには「白砂青松」という言葉で説明されていましたが、西日本出身の者から見れば明らかに「白砂」じゃないですよね。あっちは花崗岩などが砕かれた砂が多いので、本当に白い砂浜になるのです。関東の砂浜が黒いのは富士山の火山砂の影響といわれていますが、まあ慣れてしまえば…。
 写真の奥の陸地は伊豆半島。その間の駿河湾は濃紺の深みのある色合いをしています。これは黒潮が一部湾入していることの影響か、それともこの湾の水深が特に深いからか。
 この駿河湾の歴史は約100万年前にさかのぼるのだそうです。その頃、はるか南の海からフィリピン海プレートに載ってやって来た伊豆半島(ま、当時は半島ではなかったわけですが。)が本州に衝突し、駿河湾ができたと考えられています。なんではるばるやって来たかというと、伊豆半島を載せていたフィリピン海プレートが、日本列島が載っているユーラシアプレートの下に向かって潜り込むというとてつもなく壮大な運動をしていたから(今も続いているそうですが。)。プレート同士の境界は深い溝になっていて、この長い溝のような構造を「トラフ(船底のような地形)」と呼ばれています。で、これのもっと深いやつが「海溝」です。
 駿河湾は、四国沖から延々と繋がっている南海トラフの先端部にあたり、この部分を特に駿河トラフと呼んでいます。そういう地形なので他の湾に比べて極端に深く、水深は約2500mもあるのだそうです。その深さは日本一で、次いで深いのが伊豆半島をはさんで反対側の相模湾の約1300mなので約2倍の深さ。深いことで知られている富山湾でさえ1000mに満たないことから、駿河湾が飛び抜けて深いことが分かります。

 黒侘助か

 浜自体は普通の海岸でしたが、やはり松林は立派なものでした。見渡した限り天女もいないようなので、ここはこれくらいにして、半島の先端にある東海大学の海洋科学博物館へ向かいました。

 海洋科学博物館

 昔の特撮ものの基地みたいですが、これが海洋科学博物館。隣にある自然史博物館とセットで1800円でした。自然史博物館はほとんど恐竜に特化した展示内容で、こっち方面に興味のない人にとっては「これでこの入館料は高いんじゃないの」と不満が出そうですが、海洋科学の方で「これならトータルでまあまあか」と納得できると思います(単にyamanekoの興味がそうだったということに過ぎないのですが。)。そう考えると、去年回った関東一円の博物館は展示内容と入館料とのコストパフォーマンスは高かった。入館料はだいたい数百円でしたから。いずれも国公立なので、税金が投入されているからでしょうが、こういう使われ方なら文句はありません、全然。

 サンゴたち

 ということで、これからは展示内容の紹介です。特に知識もないので、ほとんど写真のみですが、スミマセン。
 サンゴというと石灰質の固い殻を想像しますが、生きているサンゴは柔らかそうな生き物だったということを再認識しました。水の動きに合わせて揺られる様子がなんとも幻想的でした。

 ウコンハネガイ  トラフシャコ

 ウコンハネガイは南の海に住む貝で、薄い膜が光を反射して、自ら発光しているように見えるのだそうです。トラフシャコは体長40pくらいある世界最大級のシャコだそうです。寿司ネタにしたらずいぶん握れるでしょうね。

 アデヤカキンコ  トラフカラッパ

 アデヤカキンコはナマコの仲間。サポニンという毒を持っているそうです。見るからに毒々しい。トラフカラッパはカニの仲間。幅広の両手(?)を顔の前で合わせると、ピッタリと饅頭のような半球形になります(写真の状態)。ちなみにカラッパとはインドネシアの言葉で「椰子の実」を意味するクラパが語源だそうです。

 カエルアンコウ

 胸びれで踏ん張って歌舞伎の六方を踏んでいるようなカエルアンコウ。それにしても鮮やかな色だこと。

 ワンダホー!

 なんでこんな美しい姿をしているのか。これが波にたゆたって優雅に動いているのですから、水槽の前に張り付いて小一時間でも二時間でも眺めてしまいそうです。(残念ながら名前を忘れてしまいました。)

 チンアナゴ

 砂から頭を出しているのはチンアナゴ。流れの方に頭を向けてプランクトンを食べているのだそうです。奥でずいぶん背伸びしているのはニシキアナゴだそうです。

 巨大水槽

 この巨大な水槽の下にもぐってサンゴの海を見上げることもできます。ちょうど給餌の時間だったので、魚たちは大騒ぎ状態でした。

 ミズクラゲ

 七色にライトアップされて回遊するミズクラゲ。生きた絵画のようでした。(マウスオーバーで色が変わります。)

 ニモ

 クマノミにもたくさんの種類があることが分かりました。これは代表的なカクレクマノミ。「ニモ」で有名になったやつです。

 巨大な骨格標本

 巨大なクジラの骨格標本がありました。ピグミーシロナガスクジラだそうです。背骨や肋骨から感じるボリューム感がすごいです。全長19m、この大きさでピグミーもないでしょうに。
 
 館外にある津波実験水槽で津波の再現をするとの館内放送があったので、さっそく行ってみました。見た目10m×30mくらいの大きな屋外水槽の奥に大がかりな機械設備があり、どうもここで津波が発生するようです。一方、反対の端には沿岸の街のジオラマがありました。説明によると沿岸を襲う10mの津波を50分の1に縮小して再現するのだそうです。
 沖合の海底で地殻変動が起こったときに津波が発生することがあるのですが、その津波には2種類あって、一つは海底が急激に隆起した場合に起こるもの。これは海底の隆起に伴って盛り上がった海水が周囲に向かって走り出すので、沿岸にはいきなり「押し波」からやって来ることになります。もう一つは海底が急激に沈降した場合で、いったん沈降した海域に周囲から海水が流れ込み、それが反転して周囲に向かって走り出すので、沿岸ではまず「引き波」が起こり、すぐその後に「押し波」がやって来るのことになります。下の動画はまず「引き波」が起こるパターンです。
 ジオラマの手前の街は自然海岸。奥の街は防波堤があって、実際にこの防波堤で津波の勢いが弱められているのが分かります。あと、津波は何回にも分けて襲ってくるということがよく分かりました。

 「引き波」の力の強さ、怖いです。
 
 博物館を出て海辺に立ってみると、清水港をはさんで正面に日本平の夕景を望めました。
 日本平の地名の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東夷征伐に向かう途中、ここで敵に包囲され火を放たれたとき、宝剣の「天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)」で草を薙ぎ払って窮地を脱したという言い伝えがあり、その日本武尊の名にちなんで「日本平」と名付けられたのだそうです。なお、その後その剣は「草薙の剣」として三種の神器のうちの一つとなったのだそうです。

 日本平

 今日はあれこれと盛りだくさんの一日になりました。夕刻の風は肌寒く、まだ春は遠いようです。でも、これからもまだまだ冬の自然を楽しみたいと思います。