猫山 〜七夕の日に逢いに行く〜


 

【広島県庄原市 平成17年7月7日(木)】
 
 その花を初めて見たのは箱根の植物園、2度目はとっとり花回廊の展示館で。大ぶりで豪奢なものが多いその仲間たちとは異なり、その花はあくまでも清楚で慎ましやか。でもすっくと立つ佇まいに、内に秘めた一途な情熱のようなものを感じた花でした。
 その花と出会えるのは一年のうちでまさにこの時期のみ。以前この花に逢いに四国の天狗高原にまで出かけたこともありましたが、そのときは時期が過ぎていてガッカリしたこともありました。今年こそはと思って先日から天気予報を気にかけていたのですが、週間天気予報にはカサのマークがずらり。今年もダメか、となかば諦めかけていました。ところが! 水曜日(6日)の天気予報では翌日は「晴れ」じゃないですか。昨日までの予報では雨だったのに。
 さあこれからが葛藤でした。是非逢いに行きたい。週末の予報はまたもや「雨」。やっぱ今しかない。でも行ったとしてもそこにあるかどうか分からないし、あったとしても咲いているかどうか。そんな不確実な状況なのに高速を100q以上走って、そこからさらに1000m以上もある山に登るのか。でもここで逢いに行かなければ次はまた1年後…。
 まあ、ここまで悩んでいるということは、自分としてはもうほとんど決めているのであって、最後に一押ししてくれるものを探しているということなのでしょうが。

 登山口

 朝6時半に広島を発ったドリーム号は、中国自動車道を東に向かってひた走り庄原ICで高速を下りました。最近取り付けたETCのおかげで高速代金が半額になるのが嬉しいです。そこから西城川沿いにR183をさかのぼると、今は合併で庄原市となった旧西城町に入ります。さらに走って鳥取県との県境まであとわずかのところにある猫山の登山口に到着したのは8時50分でした。
 天気は薄曇り。林の縁にはウツボグサ、シモツケソウにノハナショウブ、イブキトラノオなど。この場所にしてこれだけの花に出会えるのですから、今日も楽しい山歩きになりそうな予感がします。

 シモツケソウ

 猫山は標高1196m。巨大な独立峰で北斜面には猫山スキー場があります。登山道はそのゲレンデに沿って延びています。名前の由来は化け猫伝説からだとか、山容が猫の寝姿に似ているからだとか、諸説あるようです。
 登りはじめはアカマツの雑木林。日差しが弱いのでちょっと薄暗い感じがしますが、そんな中にポッと浮き立つように咲いていたのがヤマアジサイでした。薄紫色で涼しそうです。

 ヤマアジサイ

 花を終えた植物たちは次の世代に命をつなぐ準備を始めています。チゴユリは茎の先端に小さな実を付けていて、これが秋にはもっと大きく丸くなって、色も黒く熟していくのです。一つの株に一つの果実。チゴユリにとってみれば大切な一個です。
 左手には木立ち越しにスキー場のゲレンデが見えます。右手には沢があるようで透明感のある水音が。遠くの森の中からはキジの声。ケーン、ケーン。なんか長閑な気分にさせてくれる鳴き声です。
 アカマツ林はいつのまにかヒノキの植林地に替わりました。空気は湿気をたっぷり含んでいて体にまとわりつくような感じです。

 ゲレンデ

 リフトの最上部まで上がってきました。林がわずかにきれてここからゲレンデが展望できます。本来であれば正面には岩樋山、道後山が見えるはずですが、靄というか雲というか、霧に霞んでその姿を見ることができません。白い光が辺りを取り巻いているような感じです。

 案内板

 ほとんど直登といった感じの登山道を登り詰めると、「猫山→」という案内板が見えてきました。どうも地元の三坂小学校の生徒が取り付けたもののようで、まだ新しいです。子供たちが手作りのこの板を取り付けにここまで上ってきたのかと思うと、なんとなくほのぼのとした気分になりました。
 ここでちょっと一息。時計を見ると9時35分です。じっとしていると汗が噴き出してくるのが分かります。

 平坦な道

 道はここから山腹を右手に巻くようにほぼ水平に延びています。
 9時45分、「山上さん」と呼ばれる3体の石仏が祀られているところまでやってきました。この石仏は修験道の開祖にして大呪術師であった役小角(えんのおづぬ)に関係するものだそうですが、詳細はわかりませんでした。手を合わせるとなぜかぞわっと鳥肌が。化け猫伝説といい役小角といい、なんか目に見えないパワーを感じるスポットです。(写真を撮るのがなぜかためらわれました。)
 
 しばらくは平坦な道。梢のおかげで直射日光を浴びないので助かります。道ばたにはオカトラノオやアカショウマなど。あたりは落葉広葉樹の林に変わっています。

  アカショウマ  ミヤマママコナ

 頭上が明るくなりやがて道は稜線へ。足下にはミヤマママコナが目につくようになってきました。中には花冠にハナバチがぶら下がって花粉を集めているものもあって、ママコナは重たそうに首を揺らせています。
 辺りにはミズナラが目立ってきました。ヤマウルシも生き生きと葉を広げています。リョウブの花はもうじき。ミヤマガマズミの実はまだ緑色です。小葉を風に揺らすナナカマド。ホオノキ、ブナ。こんな森の様子、好きな雰囲気です。
 
 10時10分、木立越しに山頂が望めました。まだ結構距離があるみたいなので、ここで小休止とします。

 稜線の道

 登山道にクマのものと思われるの爪痕が残されていました。まだ新しい、というよりついさっきといった雰囲気。あわてて熊鈴を取り出しました。でも辺りからわき上がるセミの大合唱に掻き消されて、鈴の音はクマの耳に届きそうもありません。ここでもまた鳥肌が。流れる汗は冷や汗か?

 山頂  イブキトラノオ

 10時40分、山頂に到着。あっけない感じでした。辺りは木立に囲まれていて展望はまったくありません。山頂には大きな岩が埋まっていて、先端に二等三角点が設置されています。その周りをイブキトラノオが取り囲むように咲いていて、まるで三角点が野辺の墓標のようでした。

 南斜面

 山頂からさらに南に向かい、樹林を抜けると南側の展望が一気に開けました。ふもとに向かって落ち込むようにササ原が広がっています。でも今日は空気に水分が多いせいか靄っていて、ふもとの小奴可の集落も薄ぼんやりとしか見えません。
 斜面にはササユリがいっぱい。なぜかみんな谷の方を向いて咲いています。あと、一面にヤマツツジ。もともと低木ですが標高が高いせいなのかみんな小振りな樹高で、ササ原に埋まるように生えていました。

 ササユリ  ヤマツツジ

 まだ11時ですが、ここで昼食にしました。背後の樹林からクマくんが出てきたらいやだなあ、などと思いながらも、眼前に広がる景色を楽しみながらコンビニ弁当を開きます。
 トンボがたくさん飛び交っています。ナツアカネでしょうか。

 シモツケ前出のシモツケソウとは別物)
 
 イブキジャコウソウ
 
 コバギボウシ  カワラナデシコ

 中国山地にはかつて放牧が行われていた山が多くあり、ここ猫山をはじめ近くにある道後山、比婆山、吾妻山なども山頂部にササ原をもっています。当然植生も似かよっていて、この時期どの山に登っても目の前にあるような花々が迎えてくれることになります。ああ、このままここで昼寝でもできれば。(寝ころぶようなスペースはありませんでした。)

 夏雲

 11時30分、少し慌ただしいですが下山をはじめました。もと来た道を引き返します。
 急な下り坂であるうえに昨日までの雨のせいで滑りやすくなっていて、何度か転びそうになりながら下りていきました。さらにどうも藪の中からクマくんがこちらを見ているような気がしてならないので、自然と足取りも速くなります。
 
 12時15分、スタート地点の駐車場に到着。膝が笑っています。足の筋肉もパンパンに張っていて、このぶんだと明後日あたり筋肉痛に悩まされそうです。
 さあ、これから広島へとんぼ返り。夕方には飲み会があるのでそれには間に合わせなければ。仕事は休んでも飲み会だけははずせません。(きっぱり)

 猫山

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 ところで、逢いたかった花には逢えたのかって?
 逢えました。広い山頂にわずかに一輪だけぽつんと待っていてくれました。まるで逢いに来ることが分かっていたかのように、ちょうどきれいに咲いた姿で。感動のあまり思わず「逢えた…」と声が出てしまいました。時期を見計らって逢いにきたとはいえ、なにか不思議な「縁」のようなものさえ感じます。

 地上の織姫

 七夕の今日、地上の織姫にめぐり逢うことができました。願えば叶う。来年もまた逢えるでしょうか。