高瀬堰〜中深川 〜冬鳥を探しに〜


 

【広島市安佐北区 平成16年1月18日(日)】
 
 寒中お見舞い申し上げます。
 平成16年最初の観察会は太田川中流域での野鳥観察です。
 集合はJR芸備線の玖村駅。この辺りは広島のベッドタウンで、大規模な団地がいくつも集まっているところです。でも駅は無人駅。休日には閑散としています。

 玖村駅

 開会は9時半。集まったのは39人でした。この時期、晴れているとキーンと冷えてます。
 加藤代表から導入のお話しとして、今は「寒中」であるとの説明がありました。二十四節気のうちの「小寒」から「大寒」を経て「立春」の前日までがその期間に当たるのだそうです。
 去年の暮れに買った今年用のカレンダーには、この二十四節気の他に七十二候や月の満ち欠け、歳時記や季節に応じた和歌、俳句までも記載されていて、毎朝あわただしい中に訪れる「空白のひととき」の暇つぶしに役立っています。(カレンダーに気をとられて流し忘れないようにしなければなりません。)
 
 ところで、旧暦では今年は閏月(うるうづき)があるのを知っていましたか。というか、そもそも閏月って何?
 ということで、旧暦と二十四節気の関係について調べてみました。
 
 まず押さえておかなければならないのは、二十四節気は太陽の運行を基に決められ、旧暦は月の運行を基に決められるということ。
 
 二十四節気は、太陽の運行からまず「二至二分」(冬至と夏至、春分と秋分)を定め、

 それぞれの中間点を立春、立夏、立秋、立冬として合計「八節」としました。

 さらにそれぞれの間を三分してトータル「二十四節気」としました。

 この二十四節気を交互に「節」と「中」に振り分け、立春を「正月節」、雨水を「正月中」、啓蟄を「二月節」、春分を「二月中」といったように決定していきました。
 「節」の役割は季節を区切るもので、立春以降は「初春」、啓蟄以降は「仲春」、清明以降は「晩春」、立夏以降は「初夏」といったように分けられます。

 一方、「中」の役割は月の名前(正月とか二月とか)を決定するものなのですが、その前に旧暦の各月の期間の決め方です。
 各月の初日は月(moon)が新月(朔)を迎えた日とされ、この日を「朔日」といいます。ある朔から次の朔を迎えるまでの期間(これを「朔望月」といいます。)を一ヶ月とし、その期間は約29.5日となります(ただし、暦の上では端数があると面倒くさいので、便宜上一ヶ月を29日と30日のいずれかとしました。)。
 雨水(正月中)を含む朔望月が正月で、その朔日が旧暦1月1日となります(本年の場合、新暦で1月22日になります。)。同じように春分(二月中)を含む朔望月が二月で、その朔日が旧暦2月1日となるのです。

 ここで一つの問題が。「中」と「中」の間隔は365.25日÷12≒30.4日。すなわち30.4日で次の「中」を迎えることになります。一方、朔望月は29.5日であり、「中」と「中」との間隔より1日弱短いことになります。このことから、両者が少しずつずれていくうちに、朔望月の中に「中」が出現しないものが出てくることになります(上の図では「二月」の次の朔望月には「中」がない)。その出現サイクルは33〜34朔望月に一度となります。

  上の図の拡大図

 月の名前を決めるのが「中」の役割なので、「中」のない朔望月には名前をつけることができなくなります。そこで直前の月の名前に「閏」をつけて、「閏○月」と名付けることとしました。ちなみに「閏」とは季節と暦のズレを調整するために同じ月を繰り返すという意味で、古代中国の王は、普段は宗廟内で過ごしていましたが、閏月には門内で過ごしていたとのことで、王が門の中にいることから「閏」という文字になったということです。門と言っても羅城門のような人が住める立派な門だったのでしょうね。
 このようなことから、3年に一度は1年が13ヶ月あることになり、その年は1年が384日あることになるのです(逆に平年は1年が354日と短い。)。本年はちょうど閏月がある年に当たり、「中」のない朔望月が二月の次にくるので、その月を「閏二月」とするのです。もちろん閏月は必ず二月の後に入るわけではありません。

 以上、お勉強の時間でした。

 諸木川土手

 スタート後、太田川の河畔に出る前に諸木川の土手で観察です。諸木川は団地の中を流れて太田川に注ぐ小さな川で、カワセミやヤマセミが見られるなど比較的自然が残っている川ですが(下見のときにはテンを見かけました。)、悲しいかなゴミもたくさん捨てられています。
 今日はこの場所を借りて観察会をさせてもらうので、お礼というわけではないですがみんなでゴミ拾いをしました。
 ただめずらしいものを見に行く観察会というのではなく、観察会はあくまでも手段として、この活動を何らかの自然保護につなげられるものにしたい、という考えがベースにあってのゴミ拾いです。「観察会に来てなんでゴミ拾いをさせられるのか」という声も聞こえましたが、自然保護への動機付けといえば分かりやすいでしょうか。

 ゴミ拾い

 コンビニ弁当やペットボトルはもちろんのこと、衣類や雑誌、大量の電池なども散乱しています。この土手は先が行き止まりになっているので、あきらかに捨てる意志をもってここまで入ってきているのです。
 大物もありました。でも車なんかも捨てられているのでスクーターやOAチェアなどには驚きもしません。

 成果物

 広島市には「クリーンボランティア」といった制度があって、10日前までにファックスで参加人数や清掃場所などを連絡すると、作業に必要な軍手やゴミ袋(3種類)を用意してくれます。今回も有効活用させてもらいました。

 セイタカアワダチソウ

 日陰はやっぱり気温が低く、セイタカアワダチソウの花ガラに霜が降りていました。まるで白い花が咲いたようです。

 高瀬堰

 11時頃、太田川の土手にやってきました。少し下流には高瀬堰があります。この堰は主に取水を目的としていて、この堰に湛えられた水は、地中のパイプを介して遠く東広島市や呉市、さらにはその先の芸予諸島にまで送られているそうです。
 この広く穏やかな水面は冬鳥達にとっては最高の憩いの場となっているようで、マガモをはじめとしてヒドリガモやコガモ、ヨシガモ、キンクロハジロなどがのんびりとしていました。

 バードウオッチャーウオッチング

 この土手を上流に向かってゆっくりと歩いていきます。でも、しょっちゅう立ち止まるのでなかなか前に進みません。  サギの仲間ではダイサギとコサギ、アオサギがいました。これらは留鳥(渡りを行わない鳥)なのでよく見かけますが、チュウサギやアマサギは夏鳥なので冬場の観察で巡り合うことはありません。サギのなかでyamanekoが一番好きなのはアマサギで、あの山吹色のグラデーションがなんともいえません。ちなみにアオサギは青というよりグレーです。

 河畔のヤナギ

 やがて太田川と根之谷川、三篠川との合流点にやってきました。河原にはうっそうとしたヤナギの林があって夏は気持ちいい空間になるだろうな、と思っていたら、「蚊がすごいんだよ」とのアドバイスをいただきました。なるほど。実際に入ってみた人がいるんですね、やっぱり。
 川の向こうには来月の観察会のステージになる阿武山がデンっと控えていました。

 春のよう

 モズやジョウビタキ、ホウジロ、セグロセキレイなどの小さな鳥はあちこちと忙しく動き回るので、水鳥とはちがってなかなか双眼鏡の枠に収まりません。まあ、鳥達もわれわれに見られるためにいるわけではないので、しょうがないですが。

 UFO?

 川の向こうにUFOのような建物が見えてきました。今日の昼食の場所として休憩させてもらうことにしている安佐北区のスポーツセンターです。12時半をまわってようやく弁当にありつけました。

 ホトケノザ

 午後になって少しずつ雲が出てきました。
 この季節、さすがに花らしい花はありませんが、唯一ホトケノザだけが土手の片隅に揺れていました。
 あと2ヶ月もすればまた命の息吹を感じる季節がやってきます。今はそのための大事な準備期間なのです。以前はこの季節が味気なくつまらないものと感じていましたが、最近ではむしろしっかりと冷え込んで生き物たちに春の準備をさせて欲しいと思うようになりました。

 中深川の三篠川

 目的地の中深川にやってきました。「中深川」とは地名で、ここを流れる川は三篠川といいます。
 最後に河原に降りて「鳥合わせ」をします。これは観察できた鳥をみんなで確認しあう作業で、野鳥の観察会では必ず行われるものです。
 今日観察できたのは34種、声だけ聞いたのが4種でした。一人で歩いてもなかなかここまで多く観察することはできませんが、鳥に詳しい人と一緒に何人かで観察すると、自分では見つけられなかったものまで見ることができます。でも、あまりに大勢だと鳥にとってストレスになりますし、近隣の方へのフィールドマナーというものにも気を配らなければなりませんね。

 事務局会

 解散後、中深川の公民館を借りて事務局会が開催されました。来年度の行事予定を話し合うためです。
 広島自然観察会の年間行事は、毎月1回の定例観察会に加え、オプションとして年間6回の定点観察、中国5県自然観察指導員の交流会、地元中学校の自然体験学習サポート、観察会会員研修会、近郊の地域団体との連携行事などなど、来年度も目白押しです。どれも単なるお楽しみ会ではなく、これらの活動をつうじて一人でも多くの人に自然の楽しさ、自然の大切さを感じてもらいたいと思っています。そのためにもまず自分自身が楽しまないとね。