宮島 〜もう一つの宮島の顔を知る〜


 

【広島県廿日市市 平成18年2月5日(日)】
 
 朝起きてカーテンを開けてみると雪が舞っているではないですか。天気予報は晴れだったのに。でも、幸い積もってはいません。支度を済ませて、7時45分宮島口発のフェリーに乗らなければ。路面が凍結していないことを祈りつつドリーム号を走らせました。
 今日は宮島地区パークボランティアの会主催で、宮島の歴史や自然を探訪するイベント「公募観察会」を行う日です。昨日の午前中、宮島での打合せのときも雪がガンガン降っていましたが、午後からカラッと晴れたので安心していたのです。さて、今日の天気はどうなることやら。
 
 予定どおり(乗り遅れて)1本後のフェリーに乗って宮島の桟橋に到着すると、既に先着したスタッフが参加者の道案内をしていました。今日の集合場所は「包ヶ浦」。桟橋から約3q離れていて、歩くと30分ちょっとかかります。

 受付の様子

 包ヶ浦は宮島北端にあるレジャースポットで、自然公園としてキャンプ、海水浴、テニスなどの施設が整っています。現地に行ってみると既に受付の態勢が整えられていて、yamanekoが厚かましくも重役出勤であったことをあらためて知ることとなりました。(申し訳ない。)
 このころになると朝日が差しはじめ、青空が広がってきました。風もなく絶好のコンディションとなりましたが、いかんせんじっとしていると、寒い。
 そうこうしているうちにも続々と参加者がやってきます。桟橋からタクシーの乗り合いで、また、定期マイクロバスで、さらには徒歩で。新聞での募集時の定員を超える80名の参加があるとのことで、スタッフを増強しての開催となりました。

 ミーティング

 今回の観察会を支えるスタッフは総勢25人。まずはミーティングです。
 今日は細い山道も歩くことになるので、参加者を8班に分け、それぞれにスタッフ2名がついて小グループ単位で行動します。さらに1班から4班までをAグループ、5班から8班までをBグループとして、全体の行程をずらすことにより、山内での混雑や情報伝達の遅れなどを防ごうというやり方。要は40人規模の観察会を時間をずらして2つやるといったイメージです。
 ちなみにこのフラッグは、結成6年目にしてようやくできた会の旗です。中心に瀬戸内海国立公園のシンボルマークを配したシンプルかつ洒落たデザインになっています。(手前味噌)

 開会

 9時30分、開会です。会長の村上さんと、今日の”チーフプロデューサー”の前田さんから、今回のテーマや全般的な注意事項について話がありました。
 宮島は厳島神社に代表されるように神聖なイメージを持つ島として有名ですが、一方で、明治期以降軍事施設が多数建設された要塞の島であることを知る人は多くありません。今回は宮島の北東部にある鷹ノ巣高砲台跡を探訪して、その道々自然観察をしようという企画です。
 また、今回歩くエリアは国有林内であるため、事前に森林管理局に届出を済ませています。その際に火の取扱いについて特に注意するよう言われているので、山歩き中は禁煙。昼食後などでも広い場所の一角に場所を決めて喫煙するようお願いしました。もちろん吸い殻は持ち帰りです。あと、トイレ。基本的に山にはトイレはないので、必ず出発前に済ませておかなければなりません。

 スタート

 さて、10時になりました。全員でのストレッチの後、まずAグループ各班が出発。しばらくしてBグループも出発しました。
 参加者8人前後にスタッフ2人。観察会としてはベストな規模です。これ以上参加者が増えてしまうとどうしても講義式の観察会にならざるを得ないのです。それをよしとする参加者も多くいますが、yamanekoとしては長く心に残る観察会をしたいと思っています。そのためには一方的に知識を与えられる形ではなく、自然の中にたくさん隠れている小さな驚きを参加者自らが見つけることができるようにすることがベターと考えています。そのときの興味や驚き、喜びが長く印象に残ってくれれば、その後その参加者自らが自然の応援団として最初の一歩を踏み出すきっかけになるかもしれないからです。

 急な上り

 包ヶ浦自然公園の南端から山道に入りました。雑木林の中を登っていきますが、ヤブツバキやソヨゴなど常緑樹が比較的多いのでやや薄暗く感じられます。
 斜面はどんどん急になっていきます。参加者の中には結構年配の方もいるので、すこしペースを落とすことにしました。

 コシダ

 頭上の梢が少しまばらになり陽が入ってくると、足下にびっしりとコシダが広がるようになりました。山道はコシダが何層にも積み重なっていて、弾力のあるふかふかのマットの上を歩いているようです。
 コシダは瀬戸内海沿岸に広く分布していて、瀬戸の小島の山に登るとき、必ずお目にかかる植物です。コシダは枯れた後もなかなか分解されず、カサカサに乾燥してどんどん積み上がります。見た目からも分かるとおり、非常に燃えやすく、ひとたび山火事にでもなると格好の焚きつけとなって一気に広い範囲を延焼しつくしてしまうのです。そして鎮火後は他の植物に先駆けて芽を出し、自分の生育範囲を拡大していくのです。おそるべしコシダ、です。ちなみに、コシダの葉軸は強く粘りがあり、宮島の対岸の旧大野町地区では昔からこの葉軸を使って「シダ篭」を編むことが農家の副業となっていたそうです。

 杉ノ浦山

 道は稜線に出ました。谷を挟んだ向こう側に杉ノ浦山が見えます。山肌を斑に彩る黄緑色の部分はそのほとんどがコシダです。この山の向こう側には宮島の町並みや厳島神社、さらに大野瀬戸を挟んで対岸の宮島口があります。
 それにしても朝方心配した天気もすっかり良くなって、この季節にしては絶好の観察会日和となりました。

 砲台手前の広場

 10時45分、高砲台の手前にある広場に到着しました。Aグループが全員集まるとほぼ満員状態です。ここからはまず砲台跡を見た後、山頂部にある方位観測所跡に向かいます。ここでの解説は宮島の歴史に詳しい中道さんです。

 砲台ネットワーク

 日清戦争開戦(明治27年)に伴って広島に大本営と仮国会議事堂など首都機能が臨時に移転されて以来、広島を中心とした地域は陸海軍の主要施設が集中する軍事上最重要の地域とされてきました。鷹ノ巣砲台は、外国の艦船から軍都広島・呉の防衛するために明治30年代初頭から建設が始まった砲台網のうちの一つで、山上にある高砲台と、海岸にある低砲台とで構成されていました。その後、関門海峡や豊後水道の守備力が整備されたことからその役目を終え、解体・移転されたそうです。そしてこれらの砲台は最後まで実戦で砲弾を発することはなかったようです。

 台座の跡

 高砲台は山上にあるとはいえ山の頂にあるわけではなく、敵艦から見つからないように頂の裏側に造られています。山頂にある方位観測所で敵艦の方角、距離、航行速度を測定して着弾地点を計算し、砲台にその情報を伝達する仕組みです。なので砲台では見えない敵に向かって砲弾を撃つことになります。
 大砲の台座部分は2門一組で計3組が横一列に並んでいました。それぞれが山肌を掘り込むようにして配置され、高さ5mほどの土塁で仕切られていました。これは1カ所で仮に暴発しても他に被害が及ばないようにという意図かもしれません。 

 方位観測所への階段

 砲台から方位観測所までの道は細い切り通し状の階段。長さは約200mもあります。この階段は長い年月の間に土に埋もれていたものを、パークボランティアの面々が4年前から掘り出し、整備したものです。

 この穴は?

 山頂のわずか手前の階段に何やら穴が空いていました。明らかに階段建設当時から作りつけられていたものです。配水管のようにも見えますが…。

 地下室

 階段を上りきって山頂に出ると、そこには地下に掘り込まれた石造りの部屋がありました。頑丈な造りです。おそらくこの部屋の中で着弾地点を計算していたのでしょう。さっそく階段を下りて部屋に入ってみました。

 伝声管

 部屋に入ってみると、広さは6畳間ほど。壁は煉瓦で固められています。その壁に斜めに穴が空いていました。高さはちょうど顎下くらいの位置です。覗いてみると…、おぉ、ずっと向こうに明かりが見えるじゃないですか。中道さんによると、これは「伝声管」とのこと。この部屋で観測した着弾地点の情報をこの管に顔をつけて叫ぶと、先ほどの階段の穴のところに待機していた兵士に伝わり、その兵士は階段を駆け下りて砲台の指揮官にその情報を伝えることになっていたと推測されるのです。おもしろい仕組みです。この伝声管は、先ほどの砲台の土塁にもそれを貫通するように設置されていました。これはおそらく砲台どうしでの意志疎通のために使ったのでしょう。

 測度計(?)跡

 地下の部屋を出て、今度はちょうど地下室の真上に当たる場所に行ってみました。ここが最も高い場所になります。そこには大型の測度計(?)を設置した跡のような構造物がありました。現在はアカマツの疎林に取り囲まれていて展望はよくありませんが、当時は木々が刈り払われていたのかもしれません。

 「敵艦発見!」 

 木々の合間から東の方向を望むと、当時監視を続けていたであろう宮島瀬戸が眼下に広がっていました。正面の小島は絵の島、その向こうにやや薄く見える島影は似島(にのしま)、似島の右手に江田島、左手の街並みは広島市街です。
 鏡のような海面にカキ筏が浮かぶ穏やかな海。…んっ、江田島の手前にある小さな黒い点は、海面を航行している潜水艦じゃないですか! 「敵艦発見!」 100年前の兵士がこの場にいたら、きっと大きな声で叫んだことでしょう。(それにしても航行中の潜水艦は初めて見ました。)

 サルトリイバラ

 サルトリイバラが一見美味しそうな果実をたくさんつけていました。でも割ってみると中はパサパサ、スカスカで、とても食べられたものじゃありません。子供の頃、このサルトリイバラの葉で柏餅を包んで食べた記憶があります。どうもこれは西日本では普通に行われていることのようです。

 高く、高く…

 砲台手前の広場に戻って昼食です。Aグループが方位観測所から下りてきたら、入れ替わりにBグループが上っていきました。
 敷物の上で足を伸ばし、後ろ手に両手をついて上空を見上げると、トビが1羽。上昇気流をつかまえて、弧を描きながら高く、高く上っていっていました。あのトビの目から見える景色はどんなだろう。さぞや気持ちいいことでしょうね。

 帰路

 12時40分、昼食と休憩を終えて、Aグループは帰路につきました。帰りのルートは広く整備した山道を下り、途中から車道に出て包ヶ浦自然公園を目指します。道々見かけたおもしろい植物などを紹介していきましょう。

 ソヨゴ

 途中、赤い実をたくさんつけたソヨゴに幾度となく出会いました。ソヨゴといえば別名「フクラシバ」。由来は葉の裏から火であぶるとプックリと膨らんでパチンとはじけることから。今日は実演は控えることにしました。

 トキワガキ

 トキワガキです。普通カキノキは落葉樹ですが、この木は常緑樹。常葉=常盤で「常盤柿」です。果実の大きさは直径約2pとミニサイズ。なりは小さいですがちゃんと「へた」が付いているところを見ると、やっぱり柿です。広島県ではここ宮島の他にもう1箇所自生地があるのみだとか。

 ミミズバイ

 ミミズバイはハイノキ科の常緑樹。本来はフィリピンの山岳などに生育する南方系の高山植物だそうです。宮島では温暖帯性針葉樹のモミと一緒に自然林を形成していますが、これは極めてめずらしく、ここ宮島でしか見ることのないことなのだそうです。葉の奥に見える紡錘形の黒いつぶが果実です。この果実がミミズの頭に似ているとしてミミズバイの名が付いたのだとか。ミミズの頭をしげしげと見たことはありませんでしたが、いずれにしてもこの果実からミミズを連想した人がいるとはびっくりです。

 タマミズキ

 この時期、葉を落とした枝に小さな赤い実をビッシリつけているのがタマミズキです。「ミズキ」と名がついていてもモチノキ科。木全体の姿がミズキに似ているからだそうです。実のつき方はちょうどムラサキシキブのような感じ。10ないし15個くらいがまとまってついています。実の大きさもムラサキシキブくらいです。葉はサクラ類に似ているそうですが、あまり詳しく見たことはありません。あっちに似たりこっちに似たり、なんとも主体性のない植物ですが、鮮やかな赤がその周囲をほんわかと暖かくしている人気のある木です。

 アセビ

 アセビが早くも花を咲かせていました。有毒植物で漢字では「馬酔木」と書きます。宮島では増えすぎた鹿の食害によって木々へのダメージが小さくありませんが、このアセビは鹿が嫌って食べないためあちこちで優勢に育っています。ここでは「鹿嫌木」と書いてもいいかもしれません。

 サカキカズラ

 何と形容していいか表現が難しい形。これはいったい何なのか。これはサカキカズラの果実で、中には種子がビッシリと詰まっています。その種子には一つ一つに羽毛のようなものがついていて、果実か熟すとパカッと縦に裂け、風に誘われてフワフワと種子が飛んでいくのです。写真の果実にも縦に筋が入っていて、もうじき裂けることが分かります。サカキカズラは花の方も表現が難しく、色はレモンイエローで、形は風車の帆の部分をこより状によじって細くしたような形をしています。大きさは1円玉くらい。5月中旬に花をつけます。

 カンコノキ

 ミカンの皮を剥いたような形をしてぶら下がっているのはカンコノキの果実。大きさは直径6ミリ程度です。西日本に分布する樹木で、沿岸地の疎林などで見かけます。名前の由来を調べようとしましたがどこを探してもそれらしいものに行き当たりませんでした。それもそのはず、あの牧野博士でも分からなかったのだそうです。

 閉会

 あれこれ見ながら歩いているうちに包ヶ浦の自然公園まで帰ってきました。時計を見ると2時ちょうど。ぴったりスケジュールどおりです。スタッフを含め総勢100人にもなるイベントでしたが、だれひとり怪我をした人もなく無事に戻ってくることができたのが何よりでした。参加者の軽い疲労と満足が混じった表情を見ながら閉会式です。よかったよかった、さあ終わり。なのですが、実は前日の打合わせでさまざまなトラブルを想定してスタッフの役割分担をシミュレーションしておいたことは、もちろん参加者は知るよしもありません。今回の観察会の運営をつうじて蓄積したいくつかのノウハウを、次回以降の公募観察会でも活かしていければと思います。