真鶴岬 〜魚つき林を歩いてみると〜


 

【神奈川県 真鶴町 平成24年2月11日(土)】
 
 寒い。 寒いです。 立春も過ぎたというのにいつもまでも。こう寒いとどっかに出かけたくても北の方は敬遠しがち。ポカポカと暖かいところはどこかないかいな…。と地図を眺めて目にとまったのが真鶴です。熱海や湯河原に隣接していて「暖かい」というイメージのある真鶴半島。実際、沖を流れる黒潮の影響で、温暖で雨の多い海洋性気候の地域なのだそうです。
 
                       
 
 午前9時、ドリーム号で出発。中央環状線の大橋ジャンクションの手前でちょっと渋滞したものの、首都高3号、東名高速、厚木小田原道路と順調に走行。天気はいいですが、山の方から飛ばされてきた小雪がときおりフロントガラスの前を流れていきます。気温はかなり低いようです(10時の小田原の気温約5℃)。
 その後、西湘バイパスとの合流地点辺りで渋滞にはまったこともあり、真鶴町に入ったのはお昼時。ここ真鶴半島の付け根辺りまで来ると日射しが暖かく感じられます。まずは漁港の近くで昼ご飯を食べることにしました。

 お林公園

 昼食後、半島の中央部にあるお林公園に移動して駐車。ここをベースに岬に向かって自然観察をしようと思います。駐車場脇にあるカナリーヤシが南国情緒を醸してますな。


Kashmir 3D
 

 真鶴半島は神奈川県の西端部ある、不自然に海に突き出した小さな半島です。砂浜はほとんどなく、高さ20mほどの崖が周囲を取り巻いていて、崖の上には照葉樹林が広がっています。瀬戸内海の沿岸部にも似たような風景のところが多くありましたが、違うのは足下。明らかに火山性のものと思われる土や岩石が主体となっています。あと、半島の先端には三ッ石という小島があり、干潮時には歩いて渡ることができます。

 

 時刻は1時30分。では、さっそく散策してみましょう。ここから岬までの間には民家はないようです。森の中の遊歩道を歩いてみると、木々で風が遮られ、日陰でもそれほど寒くはありません。木漏れ日も暖かそうです。

 森林浴遊歩道

 森の中にはあちこちに大木がありました。この辺りは江戸時代に小田原藩の手で植林され「御留山」として保護されたのだそうです(江戸の大火の復興資材として需要があったのだとか。)。その後も明治時代には御料林として、戦後は国有林として管理されてきたそうです。大木のある森はなんか雰囲気がありますね。

 大クス

 ひときわ大きなクスノキが現れました。周りの空間が少し歪んで見えるのではないかと錯覚するほどの存在感。何歳かは分かりませんが、風雨に耐えここまで齢を重ねてきたことに素直に敬服します。この他、クロマツやタブノキの巨木もありました。

 オオアリドオシ

 足下にテカテカ光る濃緑の葉。これはオオアリドオシですね。背は低いですがこれでも立派な樹木です。葉の付き方に特徴があって、大きな葉のペアと小さな葉のペアが交互に並んで付いています。面白いなとうっかり触ると鋭い棘(というより針)で痛い思いをするので要注意。

 倒木更新

 大木が倒れた跡。ぽっかりとした空間ができていました。そしてそこに差し込む光を奪い合う新たな生存競争が始まっているようです。常緑樹の森では倒木更新は世代更新の貴重な機会なのです。

 カラタチバナ

 眩しく日射しをはね返す緑の葉。カラタチバナの葉は革質で光沢があります。センリョウ(千両)、マンリョウ(万両)と対比して百両と称されているのはご存じのとおり。江戸時代にはカラタチバナの園芸種が一大ブームとなり、投機の対象として実際に百両くらいで取引されたものもあったのだとか。バブルですな。

 シロダモ

 葉の表面にある3本の葉脈が目立つシロダモ。若葉のときは柔らかく、ビロード状の毛に覆われていてベルベットの肌触りですが、成長すると写真のように固くテカテカになります。照葉樹林の代表選手です。

 マルバグミ

 マルバグミの葉は深い緑色。表面はテカっていますが、葉裏は細かい毛が密生していて銀色に見えます。さわり心地も滑らかでした。写真でも分かるとおり、枝は蔓状に伸びていき、ときには他の木に寄りかかって高く昇ることもあるようです。

 アオキ

 テカテカ4連発の最後はアオキです。アオキの葉はシロダモやマルバグミと比べると少ししなやかですね。葉だけの状態のときは全体的にべローンとした印象を受けますが、この深い緑色の中に宝石のような赤い実が生ると、見た目もぐっと引き締まります。

 

 森林浴遊歩道から一度車道を横断して番場浦遊歩道という小道へ。ここから海岸に向かって少しずつ高度を下げていきます。出会う人もなく静かな散策路です。
 やがて梢の間に海面が見えてきました。穏やかそうな海ですね。

 

 「魚つき林」 魚がおまけで付いてくる、ということではありません。「魚つき」とは「魚を呼び寄せる」という意味で、古来、海岸近くにある森林は魚を呼ぶという経験則的な伝承から、漁師たちが重要な場所として保護してきた森のことをいうのだそうです。こんもりとした森の木陰を魚が好むとか、森が風を弱めて魚を集めるとか言い伝えは様々だそうです。ドリーム号を駐車した「お林公園」の「お林」という地名も、魚つき林を敬って付けられたものでしょう。そういえば、現在でも牡蠣の養殖に携わる漁業者が森に植林をするというニュースを耳にします。ここ真鶴でも魚つき林からの落ち葉のおかげで土が養われ、同じく森の恩恵を受けるものとして農園を営む人と漁業に携わる人との交流ができているのだそうです。森と海とは案外近い存在なんだとあらためて思います。

 三ッ石

 そうこうするうちに岬の先端の三ッ石が見えました。ほほう、あれか。この時間は陸と繋がっているようです。

 スダジイ林

 斜面を覆い尽くすスダジイの林。遊歩道はこんな森の中を通っていました。
 スダジイの実は生食してもほんのり甘くて美味しいですが、yamanekoが子どもの頃は焙烙(確かにフライパンではなかった。)で煎っていました。熱で外側の厚い皮がパチンと裂けて、そこから皮をむいて食べるのですが、「滋味」という表現がぴったりくる味でした。

 

 2時10分、海岸に下りてきました。波も静かでうららかです。遠くに見える陸地は伊豆半島の付け根、ちょうど熱海の辺りです。
 熱海といえば温泉、温泉といえば火山。そしてこの辺りで火山といえば箱根です。そう、真鶴半島の誕生は箱根火山の活動と密接に関係しているのだそうです。


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 箱根火山

 箱根火山の活動は約40万年前から始まり、約25万年前には標高2700mにも達する富士山型の火山ができていたといわれています。やがて中央部分が陥没してカルデラができ、その後しばらくは活動が沈静化した時期があったそうですが、その活動が再び活発になってきたのが約15万年前。真鶴半島はこの頃にできたと考えられています。上の図でも分かるとおり、箱根火山から流れ出した溶岩は大きく海にまでせり出していて、真鶴半島もその流れが沖合まで達してできたと考えられていました。ところが、のちの研究で、箱根火山から真鶴半島に向けて南東方向に伸びるライン上でいくつもの噴火が起こり、溶岩ドームの連なりができたことが分かってきたそうです。真鶴半島はその一連の活動でできたということです。そう言われて見ると、ニキビみたいな突起が連なっていますね。

 潮騒遊歩道

 さて、海辺の潮騒遊歩道を岬の先端に向けて歩きます。潮の香りが心地いいです。

 マルバグミ

 まだ青いマルバグミの実。春にはもう少し膨らんで薄桃色に熟します。それにしても日射しをいっぱいに浴びていますね。

 三ッ石

 三ツ石が近づいてきました。よく見ると二つの岩の間に注連縄が渡されているようです。きっと人気のご来光スポットでしょうね。

 

 海岸からすぐに立ち上がる崖。魚つき林が顔をのぞかせています。

 トベラ

 トベラも沿岸部でよく見かける植物です。強い日射しや潮風にも耐えられる固い革質の葉をもっています。

 南方向

 まるで日本画のような風景。「春の海」とはまだ言い難いですが、穏やかな表情を見せてくれています。右手には初島と伊豆半島が。

 初島

 初島は熱海沖に浮かぶ島で、ここからだと10qくらい離れています。周囲約4q、人口は250人ほどで、島には小中学校もあるそうです。縄文時代から人が住んでいたことが分かっているそうで、歴史は深そうです。縄文人も沖合に見える島に行ってみたかったでしょう。でもそこでの暮らしは厳しかったのではないでしょうか。水とか食料とか。とすると何か特別な行事のときに渡ったのかもしれませんね。

 コセンダングサ

 崖の際を見てみましょう。馴染みの植物たちが目に付きます。
 ひっつき虫といえばこれ、コセンダングサ。これが服に付くと厄介です。どのくらい厄介かというと右の写真のとおり。たやすく服を貫通して体にまで。ああ、考えただけで痛そう。アップで見ると間違いなく凶器です。

 ツワブキ

 大柄なキク科の植物、ツワブキ。葉も花もごっつい感じですが、果実を見るとタンポポと親戚なんだなと分かりますね。

 

 岬の先端までやってきました。三ッ石に続く渡り廊下(?)の起点です。この後三ッ石を目指しましたが、歩いてみると足場が悪い上に思ったより遠かったので、あえなく挫折しました。

 相模湾

 渡り廊下の途中から北の方角を見ると相模湾が広がっています。相模湾は真鶴半島の先端と三浦半島の先端とを結んだ線から北側の海域をいうそうです。正面に見える山並みは大磯丘陵(大磯といえば大磯ロングビーチ。そして芸能人水泳大会です。)。その右に見える市街地は平塚辺りでしょう。
 相模湾には水深が1000mを超える相模トラフが切れ込んでいます。トラフとは細長い溝状の海底地形のことで、深さが6000mを超えるものを海溝と呼ぶのだそうです。相模トラフは、伊豆半島を乗せたフィリピン海プレートが東日本を乗せている北米プレートに潜り込んでいるその境目。ここの地形は現在も進行している大陸移動の証明なのです。そしてその潜り込みによって蓄積された歪みを解放したのが、直近では関東大震災(大正12年)で、まさにこの湾内を震源として起こったとのことです。

 

 去年の東日本大震災は太平洋プレートが北米プレートの下に潜り込んでいる現場で起こったものですが、宮城県沖から南北双方向に連鎖的に始まった地殻の破壊が茨城県沖で止まったのは、北米プレートの下に潜り込んだフィリピン海プレートの先端部分が食い止めたからと考えられています。
 ちなみに太平洋プレートはフィリピン海プレートの下にも潜り込んでいて、そのフィリピン海プレートは西日本の乗せたユーラシアプレートの下にも潜り込んでいるなど、この辺り一帯はストレスが複雑にかかりまくった状態になっているのです。おお怖っ。

 魚つき林

 渡り廊下の途中から振り返って見た風景が上の写真。真鶴半島の先端です。これぞ魚つき林といった風情の森ですね。さあ、これから戻ってあの小山の上に登ります。海抜は50mほどです。

 ツルソバ

 おそらく今日初めて目にした花。小さなツルソバの花です。よく見ると清楚な姿をしていますね。黒いのは果実です。でも、虫も少ないこの時期、どうやって受粉しているのでしょうか。

 三ツ石

 小山の上に登ると三ツ石はこんな風に見えました。あの岩も火山の噴火でできたんでしょうね。

 

 小山の上には「ケープ真鶴」という町営の観光施設がありました。1階は喫茶店や売店、2階には貝類の博物館がありました。なぜか観光施設に不似合いな会議室や研修室といったものもあって、いろんなひも付き財源で建てたんだろうなと想像してしまいました。

 日向猫

 日向ぼっこ中の猫。まったりとしてますね。

 

 閉館時間が近づいていましたが、博物館好きのyamanekoとしては見過ごすわけにはいきません。
 ここは遠藤貝類博物館といい、地元の貝類研究家、遠藤晴雄氏(故人)のコレクション4500種5万点の寄贈を受けて開設したのだそうです。不思議な形をした貝がたくさん展示されていました。
 
 今日はのんびりと散策をして、最後は博物館で一日の観察を終えました。渋滞はあったものの楽しい冬の日を過ごすことができました(暦の上ではもう春か。)。