国師ヶ岳・北奥千丈岳 〜奥秩父の盟主たち〜


 

【山梨県 甲府市 平成25年6月23日(日)】
 
 金峰山への山歩きを終えて大弛峠に戻ってきたのは午後2時30分。峠の反対側にある国師ヶ岳と北奥千丈岳へはゆっくり歩いても2時間ほどとのことなので、ちょっと行ってくることにしました。妻はドリーム号の中で留守番です。
 
 ところで、これから向かう北奥千丈岳、秩父山塊の最高峰だそうです。標高は金峰山よりも2mほど高い2601m。ここが最高峰だったのかという感じですが、それよりもこの辺りが秩父山塊の一角だということに「へぇ、そうだったの」という軽い驚き。「秩父=埼玉」というイメージが定着しているからでしょうか。そういえば奥秩父は未だにオオカミの生存が噂されるほどの秘境。秩父山塊も奥が深いんですね。


Kashmir 3D

 大弛峠から稜線までは木製の階段が整備されているそうで、それを登り切るとあとは傾斜は緩やかに。分かれ道で直進すると国師ヶ岳、右に折れると北奥千丈岳です。

 登山口

 空は一面雲に覆われ、もう青空はどこにも見えません。降り出さないうちに出発しましょう。

 大弛小屋

 すぐに大弛小屋が現れました。宿泊もできる有人の山小屋です。屋根の上にあるのはソーラーパネル?

 ダケカンバ

 山小屋の裏手から木道が始まっていました。空模様のせいもあるかもしれませんが、この時刻にしては森の中は薄暗い感じです。
 登山道脇のダケカンバの葉はまだ展開途上。手触りもしなやかです。

 ミツバオウレン

 足元にはミツバオウレン。これは金峰山の往復でも見かけました。

 タケシマラン

 おっ、タケシマラン。これは今日初めてお目にかかります。ランと名が付いていますがユリの仲間。8月には赤く丸い実を付けます。名前は「竹縞蘭」と書き、これは葉が竹に似ていて縞模様があることから付けられたものだそうです。確かに似てないこともないですが、このての葉は数多ある中でなぜこれに。

 木道は稜線を目指し急傾斜で伸びています。一人だけで登るとどうしてもペースが上がってしまいますな。

 アズマシャクナゲ

 アズマシャクナゲの花芽はまっすぐに伸びています(後に斜めのやつもあるか。)。まるでミサイルの発射台のよう。もうちょっとぷっくりとしてくると開花も近いのですが。さすがは高所、まだまだのようですね。

 いい雰囲気の山道。獣か何かがぬっと出てきそうです。

 古ダケカンバ

 風雪に耐えてン十年、といった風情。確かにこの辺りの冬はハンパなく厳しそうです。

 スノキ

 赤い鐘形の花をぶら下げているのはスノキ。「酢の木」の名のとおり、葉を噛むと酸っぱいです。野山歩きで疲れたときこの葉を噛むと、ちょっとだけシャキッとします。

 傾斜が緩やかになってきました。もうじき稜線です。

 国師ヶ岳

 午後3時、登りはじめて30分ほどで稜線に出ました。正面に国師ヶ岳(右のピーク)が望めます。あとちょっとです。

 分岐

 しばらく行くと分岐に出ました。写真左手が国師ヶ岳に続く道。右に折れると北奥千丈岳です。それにしても誰にも出会わないのですが? もう登山客はみんな帰ったの?

 静かな山道を登っていきます。聞こえるのは自分の荒い息づかいのみ。ああ、非日常に身を置く楽しさよ。

 国師ヶ岳山頂

 3時15分、国師ヶ岳の山頂に到着です。標高2592m。奥に見えている北奥千丈岳より9mほど低いことになります。

 山頂は花崗岩がごろごろ。展望は南側のみ開けています。
 ところで「国師」ってなんだっけ。ということで調べてみると、国師とは高僧に対して朝廷から送られる諡(おくりな)の一つだそうです(大師とか禅師とかも同様の諡だそうです。)。南北朝時代に甲斐国に夢窓疎石という偉いお坊さんがいて、その人は生涯に歴代天皇から7度も国師の諡を賜ったというスーパーな経歴の持ち主。その夢窓疎石の偉業を称えてこの山に国師ヶ岳と名を付けたということです。ここに来る途中、麓の牧丘町に恵林寺という武田信玄ゆかりのお寺がありましたが(これがかなりの名刹)、このお寺を開いたのも夢窓国師なんだそうです。

 コバイケイソウ

 山頂で休憩をしていると、5、6人のグループが反対側から山頂に登ってきました。おお、人がいた、と安心したところで、そのグループと入れ替わりでyamanekoは山頂を離れ、北奥千丈岳に向かいました。
 途中で見かけたコバイケイソウの若葉。薄暗い林床に浮き立つように目立っていました。

 

 いったん分岐まで戻って、北奥千丈岳に向かいます。木道や階段は大変有難く、設置した方の苦労にも感謝しきりなのですが、たまにはこんな道も山歩きらしくていいですね。

 北奥千丈岳山頂

 3時35分、北奥千丈岳の山頂に到着です。ここも花崗岩の大きな岩が。大黒様や布袋様など七福神ご一行がどっかと座り込んでいるようにも見えるのですが、想像力が豊かすぎか? ただ、とうとう雨が降り出したので、ここで長居はできませんでした。

 ザックからレインウエアを取り出し、そのザックにもカバーを。
 さあ、雨がひどくならないうちに下山しましょう。

 シラビソでしょうか。その姿が長年強風にさらされてきたことを物語っています。ところどころに褐色の葉があるのは何故でしょう。低い気温に秋と勘違いしたのか?

 下山途中、遊歩道的に迂回している木道があったので、急ぐ中にも寄り道を。雲がなければ眺望良好な場所なんでしょうが。残念。

 下山

 4時5分、大弛峠に戻ってきました。雨脚はだんだん強くなってきています。今朝、この峠に着いたときには青空だったのになあ。
 駐車場にはほとんど車は残っていませんでした。妻はドリーム号の中で仮眠中。yamanekoも装備を解いて急いで車中へ。一休みしてから、またあの長く曲がりくねった林道を下っていきます。
 
 麓の甲州市まで下りて、どっかで名物の「ほうとう」を食べて帰ろうとロードサイドを探しながら走りましたが、入りやすそうなお店は見当たらず、結局そのまま中央道に乗りました。なので談合坂SAに入って、そこのレストランで食べることに。妻はオーソドックスに普通のほうとうを食べていましたが、yamnekoはチャンポン味を注文して軽く後悔。次は普通のを注文します。
 そして、食事を終えて戻った中央道はいつもの渋滞地獄でした。小仏峠、何とかなりませんか(疲)。