木ノ宗山 〜静かな山で「寒中暖有り」〜


 

【広島市東区・安佐北区 平成17年1月22日(土)】
 
 今週初めからぐっと寒くなってきました。今は寒中のど真ん中です。
 ゆっくり起き出してきて、さて何処に行こうかな? 幸い今日は天気が良いとのこと。それならと近場の木ノ宗山(きのむねやま)に行くことにしました。
 昨日、手袋をタクシーの中に忘れてきてしまったので、まずはアウトドアショップに寄って赤いフリースの手袋を購入。サイズ表示がなかったので適当に買ったら指が少し短かった。あらら。まあ使うには特に不便もなさそうなのでよしとしました。
 木ノ宗山は広島市の東区と安佐北区とにまたがる山。今日は安佐北区側から峠道に入り、三田ヶ峠にある「木ノ宗山憩いの森」に車を停めることにしました。この峠を越えて下ると東区の福田地区になります。
 予想どおり他に車はなく、今日も静かな山歩きになりそうです。

 登りはじめ

 11時半スタート。おそいスタートですが、今日は行程も短いのでゆっくり歩いても大丈夫です。
 登りはじめは土の階段。霜柱が土を持ちあげています。それをわざと踏みながらサクサクと歩いていきます。
 道の両脇には縁石のようにコシダとウラジロが続いています。茶色が多い景色の中で緑が鮮やかです。
 樹木はというと、アカマツ、ソヨゴ、ネズ、ヒサカキ、コナラ、リョウブ、イヌツゲなど。雑木林といったところでしょうか。
 
 風はないけど気温は低く、空気か凛と張りつめています。
 左手には遠く可部の奥の堂床山が見えます。山の上には雪が積もっているようです。

 最初の広場
 (向こうは二ヶ城山)

 11時40分、展望の利くちょっとした広場に出ました。振り返れば二ヶ城山(ふたつがじょうざん)がきれいに見えます。
 景色を楽しむのは山頂までとっておくことにして、ここはさっさと素通りです。

 急な山道

 それにしても登りはじめから坂がきつい。ほとんど直登という感じです。でも、本当にきついのはまだ先に。この辺りは準備運動といったところでしょうか。

 分岐点

 11時50分、二つ目の広場に到着。正面に木ノ宗山がきれいに見えます。ここから右手に分かれて下りていくと、弥生時代の銅鐸、銅剣、銅矛が出土したという史跡に行くことができます。
 ベンチで小休止して、おやつを食べて、再び歩き出すことにしました。
 
 少し下って鞍部まで下りると、ここからが本格的に急な上りになります。山肌がのしかかってくるような感じです。

 アセビ  ○○ゴケ

 息は荒く、一気に汗が噴き出してきました。面白そうなものがあると足を止めて休憩を兼ねて観察します。
 アセビが春に向けてつぼみを準備していました。あと2ヶ月もしたら満開でしょう。
 岩の上に乾燥したコケが張り付いていました。名前を調べようとしましたが、あっさりギブです。今は生命活動を極力抑えてじっと寒さに耐えているように見えます。実際ところどうなんでしょう。

 おや、視界が開けてきたぞ

 そうこうしているうちに、行く手に青空が見えてきました。ひょっとしてもう山頂か?
 やっぱりそうです。12時15分、あっけなく山頂に到着。別段急いだつもりはないのに、あっという間でした。何年か前の木ノ宗山での定例観察会のときはもっと時間がかかったような気がしましたが。

 山頂広場

 山頂は二段の広場になっていて、城跡のようにも見えます。当然に誰もいません。
 展望は360度。こりゃ素晴らしい。

 二ヶ城山(右)と広島湾(左奥)

 南西には二ヶ城山がどっしりと。その左肩向こうには宇品、出島地区が見え、広島湾をはさんで江田島や宮島の島影も見ることができます。

 呉娑々宇山(中央)と藤ヶ丸山(左)

 南に目を転じて見ましょう。正面に呉娑々宇山(ごさそうざん)の山塊が横たわっています。冬の太陽の角度が小さくなければもっとくっきり見えただろうに。ちょっと残念です。
 藤ヶ丸の左肩の奥に鉄塔のある山頂が。地図で調べると安芸区と熊野町との境にある原山であることが分かりました。

 高鉢山(中央右)と三篠川(左)

 東から北東にかけてはこんな感じ。
 正面のお椀を伏せたような姿の山は高鉢山。三篠川が広い谷を形成しながら蛇行しているのが見えます。両側の山頂と山頂をを結ぶ線まで土砂があったと考えると、この川が浸食し海まで運んでいった土砂の量をイメージすることができます。すごい量です。
 高鉢山の右肩奥にも鉄塔を頂く山が。これはどうやら東広島市と福富町の境にある野路山のようです。

 鬼ヶ城山(中央)と白木山(右)

 北には白木山の山塊が連なっています。白木山は標高こそ900m弱と目立って高い山ではありませんが、その標高差と登山道の険しさから国体の練習コースとしても使われている健脚向きの山です。そんなわけで広島周辺ではそれなりの存在感を持った山なんですが、まだ登ったことがないので近いうちに鬼ヶ城山へ縦走するコースに挑戦してみたいと思っています。

 高陽ニュータウンと阿武山(中央)

 北西には広島の郊外の街並みが広がっています。眼下には高陽ニュータウン。(そのネーミングからしてすでに「ニュー」ではないです。多摩ニュータウンや千里ニュータウンと同じように高度経済成長期に造成された街です。) それ以外にも「何とか台」とか「何とかヶ丘」とかいった住宅地があちこちに点在し、まるでジグソーパズルのようにビッシリと家並みが広がっています。
 正面には阿武山。その向こうには荒谷山、さらに向こうには雪を頂いた天上山や芸北の山々が見渡せます。 

 おぉ、昼ご飯を食べるの忘れてた。景色に見入って山頂広場の縁をぐるっと回っていました。

 ウラジロノキ

 ウラジロノキが赤い実を付けていました。
 風は全くありません。太陽の光を浴びながら弁当を食べていると、目を細めたくなるくらい暖かい。「忙中閑有り」という言葉がありますが、今日は「寒中暖有り」です。
 
 1時です。まだまだここに居たい気もしますが、そろそろ下山することにしました。(夕方、床屋に予約を入れてあるんです。)

 広島東インター

 転げ落ちそうな道を下っていきます。ストックがあるので比較的楽に下りることができますが、これがないと結構きついことになるのです。
 木々の梢越しにふもとの福田地区の住宅地がみえます。まだまだ田園風景が色濃く残っている場所ですが、地区のど真ん中にある広島東インターでは広島市街中心部へのアクセス道路を取り付ける工事が進められていました。
 
 銅鐸出土地への分岐まで戻ってきました。ちょっとそっちへ寄ってみましょう。
 と、これが結構急斜面。出土地は荒れた尾根を下っていった途中の、これといった平らな場所もない山の斜面にありました。ここにはもともと烏帽子岩という大きな岩があったのだそうです。それにしてもよくこんな場所を掘ってみる気になったものです。何か言い伝えでもあったのでしょうか。

 烏帽子岩と銅鐸出土地

 ここから銅鐸、銅剣、銅矛が一緒に出土したそうです。近畿を中心に分布する銅鐸と、北九州を中心に分布する銅剣、銅矛が一緒に出土するのは極めて稀で、弥生時代にこれらが共存していたことを示す歴史的資料なのだそうです。銅鐸、銅剣、銅矛は国の重要文化財に指定されていて、記憶に間違いがなければ現物は国立博物館に所蔵されているとか。ちょっと見てみたい気がします。
 
 ここから分岐まで戻るのもなんなので、そのまま福田地区に下ることにしました。
 しばらく行くと竹藪を抜けて民家の裏に出ました。ここから車道を歩いて三田ヶ峠へ向かいます。

 福田地区から見た木ノ宗山

 道ばたを観察しながら歩いていると、春の兆しを見つけました。小さな花ですが何かウキウキしてきます。

 オオイヌノフグリ

 1時40分、木ノ宗山憩いの森に戻ってきました。
 明日はまた天気が崩れるとのこと。寒い日々が続く中にあって今日は本当に穏やかな一日でした。
 すっかりリフレッシュできました。