霞ヶ浦 〜何万年もの時を超えて〜


 

【茨城県 かすみがうら市 平成19年9月9日(日)】
 
 なんと新ドリーム号のバッテリーが上がってしまいました。完全放電です。どうやらルームランプを付けっぱなしだったようです。これは困ったと思ったのですが、車両保険のロードサービスに電話したら30分でやってきてくれました。BMWの大型バイクのサイドボックスから工具一式を取り出して、てきぱきと作業をしてくれました。ありがたや。(しかもタダ)
 さて、充電を兼ねてドライブにでもでかけましょうか。
 
                       
 
 首都高から常磐道に乗り入れ、一路茨城県へ。目的地は日本第2位の広さを誇る湖、霞ヶ浦です。
 土浦北ICで一般道に下りて、旧霞ヶ浦町の歩先(あゆみざき)観音へ。かすみがうら市は2年前の3月に新治郡霞ヶ浦町と同千代田町とが合併してできた新しい市。霞ヶ浦町があったからこそこの有名な湖の名を新市の名に冠することができたのでしょう。同じく湖に接する他の自治体にとっては「ちぇっ」ってところでしょうか。合併の相手先や周辺自治体へのせめてもの配慮が市名の平仮名化に表れているような気がします。

 霞ヶ浦

 歩先観音のある高台から望む霞ヶ浦。まあ一見して、海です。さすがは日本2位のことだけはありますね。
 yamanekoも今日まで知りませんでしたが「霞ヶ浦」といった場合、行政上は西浦(今目の前にある、いわゆる霞ヶ浦)だけでなく、北浦や外浪逆浦なども含めて霞ヶ浦と称するのだそうです。でも西浦だけでも第3位のサロマ湖より広いので「日本2位」の座に揺るぎはありませんね。
 そんな海と見まがうばかりの霞ヶ浦ですが、「浦」の字が示すとおり、過去においても海と深い縁があったようです。

 約12万年前  約6万年前  約2万年前  約6000年前  現在

 調べてみると概ね次のようないきさつです。
 今から約12万年前、関東地方一円は古東京湾の海中に没していました。これは最終氷期(ヴェルム氷期)とその前の氷期(リス氷期)との間氷期に海面が上昇し、低地に海が進入したことによるものです。もともと関東地方は今から200万年くらい前から地盤が沈下しはじめ、大きな盆地を造っていました。関東造盆地運動と呼ばれる地殻変動で、なんと中心部の深いところでは3000m以上も沈んでいるのだそうです(もちろんその上にはその後の地層が積み重なっています。)。
 ヴェルム氷期が始まると海面が低下しはじめ、海は後退していきました。約6万年前くらいです。当時の地盤沈下の中心は現在の千葉市付近で、その辺りは最も低かったことから、東京湾として海が残っています。利根川も盆地の中心に向かい、東京湾に注いでいました。一方、盆地の縁の外側を流れた鬼怒川は東に向かい、鹿島灘で海に注いでいました。
 その東京湾も約2万年前には完全に陸地になり、古東京川が更に削っていきました。鬼怒川周辺ではこの頃にできた川筋で現在の霞ヶ浦の地形の基礎が作られたといいます。
 約6000年前、縄文時代には再び海進がはじまり、霞ヶ浦周辺は古鬼怒湾という大きな入り江になっています。これが霞ヶ浦の原型で、当時は正真正銘の海だったのです。東京湾も埼玉県の大宮付近まで侵入しています。(かなり詳しく海岸線が分かっているのは、当時の貝塚の分布から推定されているのだそうです。)
 現在は、江戸時代の河川付替えにより利根川は銚子で太平洋に注ぎ、鬼怒川もその利根川に合流しています。一方利根川から東京湾へは江戸川が分流しています。霞ヶ浦は入り江の出口が閉ざされてできた湖なので汽水湖だったのですが、塩害対策で水門ができ、現在では淡水湖という位置づけになっています。
 こうして見てみると、川の流れや海岸線は結構激しく変動しているんですね。目の前に広がるこの風景にこんな歴史が刻まれているなんて。上の写真をじっと見つめた後目を閉じて、うっそうと茂る深い森や、大きく蛇行する大河の姿を想像してみてください。2万年前も6万年前にも、今日のような眩しい日差しが降りそそいでいたでしょうね。

 帆引き船

 子供の頃、何かの本の挿絵(写真だったか?)でこの帆引き船を見て、よく転覆しないものだと思った記憶があります。霞ヶ浦には未だにこんな船が往き来しているのかと。でも霞ヶ浦といえばこの帆引き船のイメージですよね。
 明治初期に考案され、帆引き網漁に活躍したそうですが、戦後、動力船に取って代わられ、その後、重要な文化的遺産であるとして30年あまり前に観光帆引き船として復活したのだそうです。
 鏡のような湖水に白い帆を張る帆引き船。長閑な風景です。

 歩先観音

 さて、この辺りの様子を見てみましょう。歩先観音の境内を抜けて、里山に入ってみます。

 キツネノマゴ  ヤマトシジミ

 この時期、何処ででも目にするキツネノマゴ。都心でもよく見かけます。なにやら曰くありげな名前ですが、その由来は明らかになっていないのだそうです。(子狐の顔に似ているからとする説も。)
 ヤマトシジミはカタバミなどの花の蜜を吸う、これまた何処ででも見かける蝶です。3pに満たない大きさですが、その青い金属光沢はなかなか美しい。漢字では「シジミ」に「小灰」という字を当て、これはきわめて微細という意味なのだそうです。

 アマガエル  ハナタデ

 葉の上で雨を待つのかアマガエル。数日前の台風で辺りには湿気が満ちているので、葉の上に出てきてしっとりとした空気を楽しんでいるのかもしれません。
 ハナタデの花は薄桃色です。タデ科の花を見るときには是非ルーペを用意したいもの。いずれも小さな花ですが、拡大してみるとスッキリとした都会的な花であることが分かります。

 ヤブガラシ  ノシメトンボ

 ヤブガラシはブドウの仲間の蔓性植物。漢字では「藪枯らし」と書き、藪を枯らしてしまうほど盛んに繁ることから名が付いたといいます。オレンジ色の小さな部分が花のように見えますが、実は花弁はその外側にある4枚の緑色の部分。オレンジ色の部分は雄しべを囲む「花盤」と呼ばれる部分で、ここから蜜を出し、虫を呼びます。花弁と雄しべが落ちると、この花盤は薄桃色に変化していきます。
 羽根の先端が黒っぽくなっているのが特徴のノシメトンボ。「ノシメ」とは「熨斗目」の意味で、本来は武士が着る小袖のデザインのうちの一つ。黒っぽい無地の着物の腰の部分が筋や格子状の模様に切り替わっているものです。確かに羽根の模様にそのイメージが重なります。南西諸島を除く各地で見られるそうです。

 往く夏

 残暑、残暑とはいえ、やはりその光は秋のそれに変わりつつあります。ツクツクホウシの声もいつもに増して切なげに聞こえました。
 


 土浦に向かう湖畔の道。この辺りにはハス田が多く、一面に広がっていました。その向こうには筑波山。何万年もの昔から霞ヶ浦一帯の移り変わりを見守ってきたのでしょうね。「霞ヶ浦のこと? 俺に聞きなよ」って。

 ハス田と筑波山