甲子高原 ~秋深まる南会津へ~


 

【福島県 西郷村 平成18年10月14日(土)】
 
 10月も半ばになりました。都内の並木は少しずつ落葉の準備を始めているようです。劣悪な環境なので見事な紅葉は望めないでしょうが(もともとケヤキやプラタナスなど茶色になるものが多いようです。)、木の全体の印象として潤いを失ってきた印象があります。葉擦れの音もカサカサといった感じです。
 そんな今日この頃ですが、一足早い紅葉を求めて福島県の甲子(かし)高原へ行ってきました。
 
                        
 
 首都高から東北道へ。道は気持ちよく空いています。埼玉県、群馬県、栃木県と走り進み、「白河の関」を越えたら東北です。その白河ICで高速を下りて、国道289号線を一路西へ。道はぐんぐん標高を上げていきます。
 この道は那須岳の峰の流れにある甲子山の山中でとぎれていて、そこに甲子温泉があります。国道はここから登山道レベルの山道となって峠を越え、やがて反対側の中腹からまた舗装道路の国道となるのです。山道の区間には例のよく見かける国道の標識が立木にくくりつけられているそうです。(嘘のような本当の話です。) 現在、数年後の開通を目指してトンネル工事が行われていました。

 雪割橋から

 さて、その国道289号を走っている途中に、「雪割橋→」という標識が。ちょっと寄り道です。行ってみると何の変哲もない畑や林が広がっていましたが、なんとその先がストンと落ち込んでいて、ものすごい深い谷に赤い橋が架かっていました。この国道にほぼ沿うようにして深い谷が続いているのです。おそらく上空から俯瞰して見ると、なだらかな高原にナイフで裂いたような一筋の深い谷が続いているのが見えることでしょう。この川は阿武隈川。そう、ここからはるか北の仙台湾で海に注ぐ阿武隈川ですが、その源流は甲子山にあるのです。
 橋の真ん中まで行って下を覗くと足がすくむよう。それもそのはず、谷底までの高さは50mだそうです。冬、一面の銀世界の中、渓谷がどもまでも雪を割っているその景観からこの名が付けられたとのことです。

 ガマズミ

 橋を渡りきったところにガマズミの紅い実を見つけました。青空をバックにつやつやと輝いています。あぁ、実りの秋ですね。

 甲子高原と鎌房山

 途中の展望台から阿武隈川の深い谷を望みます。谷の向こうに広がっている耕地は、戦後入植者により開拓された農場だということです。このあたり一帯が甲子高原。西日に照らされているのは鎌房山(1510m)で、あの山々の向こう側は南会津地方になります。

 シラカバ

 午後2時半、今日の宿に到着しました。ここの標高は950m。もうシラカバは黄葉していました。部屋に荷物を入れるのもそこそこに、さっそく辺りを散策してみることに。早くも空気はひんやりとしてきています。

 銀色の海原

 宿の裏手の丘を登ると、そこには銀色のススキが風にうねって、まるで草原全体が海原のようになっていました。辺りには誰もいません。この海原の中に一人佇んでいると、あらためてずいぶん遠くまでやってきたなぁ、との思いがこみ上げてきました(それは単に今回の旅行がという意味にとどまらず。)。秋の夕日がそう思わせたのかもしれません。

 ツリガネニンジン  リンドウ

 しばらく草原を歩いてから、林の中に入ってみました。

 林の中

 落葉広葉樹の林の中は無音の世界でした。風の音も沢の音もまったくありません。しいていえば自分の呼吸の音だけが聞こえてくるのみです。
 
 この後、国道のどん詰まりにある甲子温泉に行きました。大黒屋という老舗の温泉宿がただ一軒です。日帰り入浴もOKで、フロントでお金を払ってから階段を下りて渓谷の川べりまで行くと湯殿のある建物があります。ここの風呂は変わっていて、建物の中には小型のプールくらいの大きさの湯船があり、その脇に丸見えの脱衣場があるのみ。洗い場はありません。水深は深く、胸の下くらいまで湯があります。ぬるめの湯なので、ゆったりと長くつかっていることができ、そのおかげで上がった後もいつまでもポカポカと暖かいのです。
 知る人ぞ知る名湯で、他の宿に泊まっている人でもわざわざ風呂だけはここに入りに来る人も少なくありません。

 塔の岪

 翌日、山の向こう側の南会津にある「塔の岪(へつり)」という名勝に行ってみました。もう紅葉が始まっていました。「へつり」とは岩肌に張り付くようにして通らなければならない難所という意味で、山かんむりに弗と書きます。自然の見事な造形ですね。

 味噌田楽

 昼食は会津若松まで行って、「お秀茶屋」という田楽屋で。ごく普通の(というより、ひなびた感じの)店構えで、のれんをくぐるとご主人が囲炉裏端に陣取って黙々と焼いていました。狭い店の中は普通の民家のようで、土間と6畳間二間にテーブルが並べてあるだけ。天井は煙に燻されて黒光りしていました。江戸時代、この近くの河原が刑場になっていて、今生の別れにと田楽と清水を施したのだそうです。有名人も訪ねてくるらしく、色紙がたくさん飾ってありました。

 ヤクシソウ

  帰りは磐越自動車道の会津若松ICから。郡山ジャンクションで東北道に合流し、あとは一気に南下です。特に渋滞もなく東京に帰り着くことができました。
 また、明日からいつもの日常が始まります。でも、日常あっての非日常ですよね。