観音崎 〜春の海ひねもすのたり…〜


 

【神奈川県 横須賀市 平成18年4月15日(土)】
 
 4月も半ばになりました。今週はぐずついた天気の日が多かったので本当に春が来ているのかなと疑いたくなりましたが、幸い今日の予報は晴れマーク。なので、今回は海の方にでもいってのんびりしようということに。「春の海ひねもすのたりのたりかな」です。
 
                       
 
 午前10時、まずは新宿ランプから首都高に上がります。すると本線に合流する前から渋滞。ナビをみると都心環状線に合流する三宅坂ジャンクションまでの約6qにびっちり渋滞マークが付いています。別に事故とか工事とかという訳ではないようで、単なる自然渋滞です。
 ようやくの思いで都心環状線に入り内回りで浜崎橋ジャンクションを経て1号横羽線へ。このあたりから道はスイスイと流れていました。左手に京浜工業地帯の工場群を見ながら横浜方面に向かいます。横浜から先は横浜横須賀道路へ。このあたりの風景も懐かしく、飛ぶように左右に流れていきました。

 観音崎公園駐車場

 12時、観音崎公園の駐車場に到着しました。それにしても風が強い。ときに車体がゆさぶられるほど。東京湾方向から冷たい北風がビュービュー吹き付けてきます。今日は発達した高気圧が三陸沖にあり、そこから海上で冷やされた冷たい風が関東方面に向かって吹き出してきているのだそうです。
 まずは腹ごしらえ。強風から逃げ出すように駐車場近くの喫茶店に入りました。無風の室内にホッとしたところであたりを見回してみると、ウクレレが飾ってあったりハワイアンの曲が流れていたりと、なんともハワイアンなテイストです。ここでまったりとくつろいでから岬の散策に出かけたいと思います。

 海辺へ

 ゆっくりと昼食をとってから海辺へ。さきほどより幾分風が弱まったように感じますが、それでも周期的に強風が吹きつけてきます。こんな日は写真を撮るのが難しいんですよね。
 観音崎には砂浜はほとんどなく、海辺までせり出した小山とそれを縁取る磯とで構成されています。まずは上の写真の波打ち際を反時計回りに歩いていくことにしました。小山の上に見える白い塔のようなものは海上保安庁の東京湾海上交通センターです。ここから東京湾を航行する船舶の安全を見守っているのです。

 カジイチゴ

 まず最初に目についたのはカジイチゴです。海岸や沿岸の山地に生えるバラ科の低木で、ちょうどこれからが花の時期。全体に刺がないのが特徴なのだとか。名の由来は葉がクワ科のカジノキのそれに似ているからだそうです。それはそうとカジノキってどんな木だったっけ。

 にゃ〜

 生け垣で風が遮られた日だまりに「地元」のネコが。しゃがんで話しかけると近寄ってきました。「ん〜?なんか用?」 そんな感じでした。

 ウラシマソウ

 あちこちにウラシマソウの姿が見られました。それにしてもこの造形。筒型の花序に覆いをかぶせ、さらにその筒の中から釣り竿のような長い棒を伸ばしているこの姿の意味は何なのでしょうか。進化の末の必然なのか、それとも偶然の産物なのか。

 アオキ  ハマダイコン

 海岸沿いの散策道を歩いていきます。右手(山側)にはアオキの雄花が、左手(海側)にはハマダイコンの花が風に吹かれていました。ハマダイコンは大根が野生化したものといわれています。栽培すれば普通の大根になるといいますが、本当でしょうか。

 浦賀水道

 東京湾の玄関口、浦賀水道です。対岸は千葉県。ここからだとすぐそこに見えます。その間を大型船、小型船がひっきりなしに行き来していました。この狭いところにこれだけの量の船舶が集中するのですから事故も多いでしょう。

 ハマボッス

 ハマボッスのさく果です。中の種子は出きってしまってもう空っぽですが、枯れた後もドライフラワー状態で結構しっかりと立っていて、リースの部材などに使えそうな感じです。あと2ヶ月くらいで今年の花が咲くでしょう。

 タイドプール

 潮が引いた後に残されたタイドプール。磯の観察にはもってこいの場所です。この中には想像以上の数の生き物がひしめいています。中にいる小魚やイソギンチャクなどにとってみれば小さいながらも完結した小宇宙なのでしょう。

  ヤブニンジン

 海岸から小山の上に向かう山道に入りました。山肌に沿ってつづら折れに小道が続いています。林の縁にヤブニンジンが。あたりまえですが西日本のものと共通する植物も多いようです。

 切り通し

 途中の切り通しで地層の露頭が見られました。帰ってから調べてみると、観音崎に限らず三浦半島全体が堆積岩で形成されているようです。観音崎周辺は大きく分けて3つの堆積層が地上に現れていて、古い順に逗子層(約700万年〜400万年前)、池子層(約400万年〜300万年前)、横須賀層(約15〜10万年前)です。
 逗子層が形成された頃は海がもっとも広かった時期で、日本列島の背骨に当たる中央部が隆起して海から顔を出していたほかは海となっていたと考えられています。東日本に当たる地域では海底火山の噴出物と陸地からの土砂が混ざって堆積したのだそうです。池子層が形成された頃は人類の祖先が出現した時期。現在確認されているヒトの祖先は17種だそうですが、その後我々の祖先である1種を除いてすべてこの地球上から絶滅してしまったのだそうです。我々が唯一の生き残りなのです。横須賀層はぐっと新しくなり、ちょうど富士山が活動をはじめた頃と一致します。この地層からはナウマンゾウやオオツノジカなどの大型哺乳類の化石も見つかっているのだとか。水辺の環境で堆積していったのかもしれません。
 この切り通し、なにげなく通り過ぎてしまいますが、ものすごい時間が凝縮された風景だったのです。

 観音崎灯台

 樹林の中の道を抜けると眼前に観音崎灯台が現れました。高さ19m。明治2年に初点灯した日本で最初の洋式灯台です。現在は3代目だそうですが、100年以上にもわたって眼下の浦賀水道を照らし続けてきたことになります。ご苦労様です。

 山中の小道  新緑

 観音崎の小山は主にシロダモ、タブノキ、マテバシイなどの常緑広葉樹林ですが、この時期に軟らかな葉を広げる木々もたくさんありました。清々しく気持ちいい山歩きです。林の中にいると強風も感じません。

 ヤマブキ

 「七重八重花は咲けども山吹のみ(実)のひとつだになきぞかなしき」 ヤマブキを見るたびにこの歌を思い出します。
 太田道灌が鷹狩りに出かけて雨に遭いみすぼらしい家に駆け込んだときのこと。「蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、出てきた少女は蓑ではなく黙って山吹の花一輪を差し出したそうです。その意味がわからなかった道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行きました。 その夜、道灌が家臣にこのことを語ると、そのうちの一人が「いにしえにこのような歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えて伝えたのではないでしょうか。」と答えました。ハッとした道灌は己の不明を恥じたといいます。
 この話の舞台とされる地はいくつかあるそうで、埼玉県越生町などいずれも武蔵の国に点在しています。

 常緑林

 山を下りて再び海岸線に出てきました。振り返るとさっきまでいた森がこんもりとした姿を見せていました。

 ビジターセンター

 海辺にあるビジターセンターに寄ってから、ドリーム号を停めた駐車場へ向かうことにしました。観音崎は県立公園になっていて、このビジターセンターもおそらく県の関係施設だと思います。職員らしき人が常駐していましたが、ここの自然について話が聞けるような感じではありませんでした。館内の展示や提供情報をみてもはっきりいって十分なものとはいえません。せっかくこんな施設があるのだから、もっと積極的に打ち出せばよいのに、と思いました。(ちょっと辛口ですが。)

 タツナミソウ

 15時すぎに駐車場に着いて、ひと休みして帰路につきました。帰りは横横道路から横浜新道、第三京浜と車を走らせました。都内に入ってからは週末の夕方ということもあって当然のごとく渋滞していました。
 家に着いたのは17時半。今日は潮の香りと海辺の自然を満喫した一日でした。