細見谷 〜渓畔林が育む命たち〜


 

【広島県安芸太田町、廿日市市 平成17年6月12日(日)】
 
 そういえば梅雨入りしたはずなのに梅雨入り宣言の日以来ほとんど雨らしい雨が降っていません。今年はカラ梅雨なんでしょうか。
 今日は来週行われる定例観察会の下見。場所は広島県北西部、十方山林道が通っている細見谷です。自然豊かな渓畔林の中に身を置いて心身共にリフレッシュしたいと思います。
 9時30分、恐羅漢山のふもと、二軒小屋駐車場に集合したのは広島自然観察会の自然観察指導員たち11名です。

 二軒小屋駐車場

 ここ二軒小屋までやってくるには、安芸太田町戸河内から県道252号(離合もできないような狭い道)に入り内黒峠を越えて横川谷に下りてくることになりますが、昨年、深入山方面から餅ノ木峠を越え長いトンネルを抜けて横川谷に入ってくる大型林道(上下2車線、幅員約7m)が建設されたので、遠回りすることさえいとわなければ楽に二軒小屋まで入ってくることができるようになりました。二軒小屋には民家も数件あるので冬場閉ざされがちなここでの生活もずいぶん改善されたのではないでしょうか。
 今日歩く予定の細見谷は、ここから横川川をさかのぼり水越峠を越えたその先。そこには細見谷沿いに延びる十方山林道を包み込むように渓畔林が広がっています。もちろん民家は一軒もありません。
 十方山林道は昭和28年に林業用の作業道として作られたもので、幅3〜4m。今でも舗装されていません。当時はこの奥山にもスギやヒノキが植林され広い範囲で自然林が伐採されましたが、谷底の林道沿いは伐採されず、結果として豊かな渓畔林を今に残してくれました。中国山地は山が険しくないこともあり、山ひだの奥の奥まで人間の営みが入り込んできた歴史があります。その中で狭い範囲ではあるものの手つかずの渓畔林が残っているということはかなり貴重なことだといいます。
 現在、この十方山林道を拡幅、舗装し大規模林道を通す計画が進行しています。事業主体は(独)緑資源機構。目的は主として細見谷沿いに点在するワサビ田の管理用だそうです。深入山から二軒小屋まで建設した大規模林道を延伸する形で、最終的には国道488号に接続させるとのこと。
 この建設工事で伐採される渓畔林はもちろん林道の幅分のみではありません。それはわずかに残った渓畔林に計り知れないダメージを与えることでしょう。また、植物の伐採だけでなく、水脈の分断、小動物の繁殖地の破壊、それによる生態系の攪乱などに思いを巡らすと本当に心が痛みます。
 今回の定例観察会では単純に渓畔林の豊かな自然に触れてもらうことが目的です。yamaneko個人的には様々な思いがあるものの、当日の参加者のみなさんには観察会を楽しみながら、この自然の貴重さ、重要さを感じてもらいたいと思います。

 マウスオーバーで渓畔林の位置と新たな大規模林道のルート(概要)を表示します

 来がけにナガバノモミジイチゴの実をハンカチいっぱいに採ってきた人がいて、さっそくおやつを頂くことになりました。傍らから聞こえてくる沢の音に混じってオオルリのさえずりが耳に届きます。この鳥には街では出会うことができません。透きとおったいい声です。
 さて、軽いストレッチをして歩き始めます。

 水越峠へ

 足下はソフトボール大の石がゴロゴロ転がっていて、決して歩きやすくはありません。へたをすると浮き石を踏んでグキッとなりそうです。これが舗装道路になるとずいぶん歩きやすくなるでしょう。ただそうなると車で入る人の方が多くなるでしょうが。尾瀬ではその自然を保全していくためにあえて交通アクセスを悪くしてあります。細見谷の渓畔林が今なお残っているのは、この入り込み辛さが一役買っていると言えるのではないでしょうか。

 「売約済み」

 道の左手、沢側には植林されたスギが並んでいて、それらには青いテープが巻かれています。道ばたの木だけでなく、のり面を下った川の際に生えている木にまで巻かれていて、場所によってはテープを巻かれた林の幅が20mくらいにもなるところも。このテープはこれから伐採しますという印、すなわち1本あたりいくらかで買い取る木のマークなのです。聞くところによるとテープの色が違うと買い取り単価も異なるのだとか。川沿いの倒木にもテープが巻かれていますが、あの木にもお金を払うのでしょうか。ちなみに道の右手に広がる広葉樹の自然林にはテープを巻かれた木はありません。これは木を伐採しないということではなく、値が付かない「雑木」として十把ひとからげに扱われているだけなのです。

 コケイラン

 コケイランがすっくと立っていました。yamanekoの好きな花のうちのひとつです。
 写真で根生葉のように見える葉は別の植物のもの。コケイランの葉は2枚でそれぞれ長さ20〜30p。立ち上がるほどのコシはなく、地面に横たわって伸びます。

 緑の団扇

 小さな流れ込みの沢に覆い被さるように葉を展開しているのはカエデの仲間。写真右上で光を浴びているのがハウチワカエデ。一段下の層で展開しているのがコハウチワカエデです。
 ヤグルマソウが大きな葉を繁らせ、その中から花茎を伸ばしています。花はまだこれからのようです。それにしてものびのびと生き生きと繁らせていて、「生命力」という言葉を思い起こさせる姿でした。

 盗掘の跡

 数日前にこの道を歩いた人から、ここにギンランが咲いていたと聞きました。土ごとごっそり掘り盗られています。どうせ林道工事で削られてしまうのだからという気持ちで持ち帰ったのでしょうか。花を愛でる気持ちと盗掘しようと思う気持ちとがどう折り合いをつけて同居しているのか、理解に苦しみます。せめて林道工事で削られるのを惜しんで近くの工事区域外に移植した跡だと信じたい。

 巨木にも…

 ミズナラの巨木がありました。見上げると赤いテープが巻いてあります。唯一見かけた「雑木」へのマークでした。このミズナラ、この地でいったいどれくらいの時を過ごしてきたのでしょうか。葉を広げ、実を付け、それらをみな落とし、雪に耐え、また葉を広げ…。ずいぶんと長い間この地で自ら生き、また多くの生命を育んできたことでしょう。この赤いテープ、この老木にとってはまさに天命を全うする前に下された「死の宣告」にほかなりません。
 でも、ひょっとしたら赤いテープは切らない木を示すものなのでは。まさかとは思いますが、そうであってほしいと切に思います。

 サワグルミ

 スタートしてからしばらくは傍らにスギの植林が続いていましたが、水越峠が近づくにつれ、だんだん渓畔林を構成する樹木が増えてきました。このサワグルミもそのうちの一つです。ちょうど長さ30〜50pにも達する果穂をぶら下げていました。クルミといえばピンポン玉大の丸くて固い果実(あれは種ではなく、果実だそうです。種はあの固いのの中にあります。)を思い出しますが、こんな形の果実を作るクルミもあるのです。

 ハクウンボク

 この時期、ちょうどハクウンボクが見事に花を咲かせていました。エゴノキの花に似ていますが、こちらは房のように垂れ下がって咲きます。じっと見ていると何か気品のようなものを感じます。

 森の様相が変わってきた

 水越峠を越えると渓畔林の色合いがぐっと濃くなってきました。道もごろた石が少なくなり歩きやすくなっています。でも一定間隔ごとに木の杭や金属製の鋲の様なものが打ち込まれていて、測量が着々と進んでいることを伺わせます。
 ミソサザイの声が聞こえます。あの小さな体でどうやってあんな大きな鳴き声が出せるのか。この鳥は空に向かって大きく嘴を開き、尻尾を激しく震わせて鳴くのですが、子孫を残していくために命を振り絞っているかのようにも見えます。

 渓畔林はサワグルミ、トチノキ、ミズナラ、ホオノキ、ブナ、イヌブナ、オヒョウ、ミズメ、カツラ、ナツツバキ、イタヤカエデ、ハリギリなど様々な樹種で構成されている落葉広葉樹林です。このような渓畔林は南西日本では極めて稀なのだそうです。
 右の写真の場所。じつはこのサイトのトップページの写真と同じ場所です。2年前、あの写真を撮ったときと変わらない姿に感動するとともに、この森に対するいとおしさのようなものを感じます。

 折り返し地点

 12時45分、ようやく目的地に到着。今日はここで折り返します。もう腹が減って減って。アカショウビンの気怠い声がますます空腹感を募らせます。リュックを下ろし、なにはともあれ弁当です。(そして軽く昼寝です。)

 白い絨毯

 食後、あたりをぶらぶらと。
 道の上にハクウンボクの花が敷きつめられ、一面白い絨毯のようになっています。その上には満開の状態の枝が覆い被さるようにせり出していました。一同思わずため息です。
 この風景、今日我々がここに来なければ誰にも見られることなく数日で消えていったことでしょう。でも、人間が訪れて感嘆しようがしまいがそんなことはまったく意に介さず、ただひたむきに確実に生命の営みを続けていく。そういった自然の姿の前では人はただ真摯な気持ちになる他はありません。

 ホオノキ

 ホオノキの若い木があり、その葉の付き方について面白いことを教えてもらいました。左の写真で分かるとおり、上に向かって(太陽に向かって)水平に開き、効率よく陽を受けることができるよう、8枚の葉がそれぞれ重なり合わないようになっています。この8枚の葉、てっきり同じところから出ているのかと思いきや、よく見ると前後というか上下の順番があるのです。右の写真では、右上に出ている葉(@の葉)が一番奥というか、一番下(根元側)に位置し、そこから時計回りに135度回転した位置に次の葉(Aの葉)、また同方向に135度回転した位置にその次の葉(Bの葉)というふうに並んでいます。進化の過程で葉を枝先に集中させて光を無駄なく浴びようとしたのでしょうが、葉同士の間隔が詰まってもちゃんと順番を崩していないところがおもしろいですね。
 このように何枚かずつ飛ばして螺旋状に葉を付ける形。身近なところではヒマワリを真上から見ると同じようになっています。(ヒマワリの場合は葉と葉の間隔は詰まっていません。)
 
 1時30分、もっとゆっくりしたいところですが、帰りの道のりを考えるとそろそろ出発です。

 マムシ

 水越峠を過ぎたあたりで日向ぼっこ中のマムシを見かけました。とぐろを巻きつつも一応こちらを警戒しています。とかく悪者扱いされがちなマムシですが、毒を持つのは身を守るため。決して人に襲いかかるためのものではありません。

 アタマ隠して…

 堂々と林道を横切っていくヒミズにも出会いました。我々に見つかったのが分かったのか、あわてて隠れようとしています。大きさは小型のハムスターをさらに一回り小さくしたくらい。
 ヒミズはモグラの仲間で、漢字では「日不見(日見ず)」です。なるほど。

 お邪魔します

 帰り道、山肌を水が伝い流れているようなところから、クククッ、クククッというカエルの鳴き声が頻繁に聞こえてきていました。どんなカエルだろうとみんなで探してみるのですが、まさに「声はすれども姿は見えず」です。
 そうこうしているうちに一匹のカエルが水たまりの岩の下に潜り込むのを目撃。これはチャンスと、そっと岩をめくってみると、茶色のカエルの夫婦が卵を守っていました。左がオス、右がメスで、メスはピッタリと卵(半透明のタピオカのような丸いやつ。)に寄り添って動こうとしません。またそっと岩をかぶせておきました。このカエル、おそらくタゴガエルという種だと思います。
 
 このタゴガエルもヒミズも、それらを捕食して生きているマムシも、大規模林道の建設という環境の激変によりその生存を脅かされることになるでしょう。例えば道路脇の側溝。小動物はこれに落ちただけでもはい上がることができないのです。
 この工事が及ぼす影響からは植物はもとより動物たちも逃れることはできません。マムシを捕食する猛禽類も、幸いにも今日お目にかかることのなかったツキノワグマも決して例外ではないのです。
 
 3時30分、駐車場に戻ってきました。悪路を歩いたせいか若干腰にきています。
 来週の観察会本番、yamanekoは仕事で参加できませんが、実りのある観察会になることを期待したいと思います。

 ※このページの記述のうち意見に及ぶ部分はyamanekoの個人的な見解であり、広島自然観察会の会としての意見を表すものではありません。


○大規模林道事業計画(二軒小屋・吉和西工事区間)の概要
 渓畔林部分は原則として既設林道(幅員3〜4m)を拡幅せず舗装及び排水設備等を整備。巨樹、巨木は伐採しない。国道488号線への接続部に近い通称「七曲」部分は幅員5mの舗装道路を新設。これら以外は既設林道を5mに拡幅、舗装
 ((独)緑資源機構の資料より)