印旛沼 ~年の初めにのんびり散歩~


 

【千葉県 佐倉市、印西市 平成25年1月12日(土)】
 
 年が明けて平成25年。「25年」といえば四半世紀です。そう考えると平成も25年に至ったか、という感慨めいたものもあります。ん?ということはyamanekoの人生の半分近くは平成だったのか。自分は昭和の良き時代を生きてきた「昭和の人間」だと思っていましたが。
 さて、そんな(どんな?)平成25年。今年も心身のリフレッシュのために野山に出かけていきたいと思います。
 
                       
 
 今回でかけたのは千葉県北部に位置する印旛沼です。水辺でのんびり過ごそうというのが目的でしたが、先に言ってしまうと水辺には立てませんでした。でも広々とした風景を眺められて、正月でなまった体が少しスッキリした気がします。
 
 3連休の初日はポカポカの陽気。ドリーム号に乗り込んで印旛沼を目指します。首都高都心環状線から7号小松川線、京葉道路と乗り継いで、宮野木JCTで東関道へ。3つめの佐倉ICで下りて一般道を北上します。京成本線を越えると佐倉の市街地は途切れ、いきなりの田園風景が広がっていました。そこから5㎞ほどで印旛沼の畔にある野鳥の森というところに到着します。


Kashmir 3D

 この辺りは下総台地の一角。関東ロームの赤土が果てしなく広がっていて、そこを大昔の縄文海進の際に溺れ谷となって浸食された谷地が幾筋も延びています。印旛沼は海進の際に海水が入り込んで海になっていたところが、その後の海面低下で湖として取り残されたところなんだそうです。

 荒野か…

 その赤土とはこんな感じ。千葉特産のサツマイモなどの生産に適しているそうです。

 

 時刻は午後1時すぎ。さっそく野鳥の森に行ってみましょう。

 

 まずは空堀のような低地に向かって下りて行きます。入口付近で初老のご夫婦に出会ったきり、あとは人の気配はありません。木立の中は鳥の声さえ聞こえず、戸惑うくらいに静かです。

 

 小さな丘全体が野鳥の森になっているようで、登ってみました。やはり誰もいません。立ち止まって耳を澄ましてみると、ややあってシジュウカラやヒヨドリの声が聞こえてきました。裸になった木々の梢を渡っていく小鳥。じっとしていてくれないのでなかなか双眼鏡で捉えることが難しいです。ましてやカメラのファインダーでは…。

 印旛沼

 やはり無人の観察舎に入ってみました。2階に上がると暖かな日差しが斜めに差し込み、床を四角く照らしています。窓からは広々とした印旛沼の風景が。おお、長閑で良いではないですか。ただ、ベンチでもあれば座ってゆっくりするのですが、がらんとして何もないスペースなので長居はできませんでした。


Kashmir 3D
 

 この長閑な印旛沼。もともとは印旛浦という「W」 字型の大きな汽水湖だったそうです(上の図にマウスオーバーで千年前の姿(想像図)へ)
 昔は利根川や渡良瀬川、荒川、入間川など関東地方の主だった川は、現在の埼玉県東部で流れを南に向け、東京湾に注いでいたとのこと。そのせいで江戸の町はたびたび水害に見舞われていたそうです。江戸時代になって(江戸時代の前から江戸という町はあったんだ。言われてみれば当たり前か。)江戸に流れ込む水量を減らすため、利根川に渡良瀬川などの中小河川を集めた上で東向きに流路を変え、当時の常陸川に流し込んで、香取海を経て最終的には銚子から太平洋に流れ出るようにしたのだそうです。
 この大規模な河川付替え工事のおかげで江戸の町は救われたのですが、迷惑なのは排水先となった香取海や印旛浦などの周辺地域。今度はこちらが頻繁に氾濫するようになり、少しまとまった雨が降ると印旛浦の水は奔流となって谷地の奥まで逆流していったのだそうです。このため常陸川流域で洪水対策の大規模な干拓が行われるようになり(膨張し続ける江戸の人口をまかなう食糧増産の目的もあった)、結果、現在の利根川を残し香取海は消滅したのだそうです。
 印旛沼の干拓が終わったのは昭和40年代になってから。印旛沼の真ん中に中央干拓地が造られ、2つの水路でつながった北部調節池と西部調節池に分かれることになりました。これで沼の面積は半減したのだそうです。

 

 丘を下りて水辺に向かいましたが、土手の手前に並行して用水路があって、これが行く手を阻んでどうしてもたどり着けませんでした。野鳥の森の散策路に「印旛沼→」といった案内表示があったのに。あの表示は「こっちに行ったら着きますよ」という意味ではなく、「あれだよ」ということなのか? だとしたら、言われなくても分かってるよ!

 ロゼット

 道ばたにこんなものが。植物のこのような状態をロゼットといいます。中央にある芽を寒さから守るための防寒体勢です。これはハルジオンでしょうか。ところで、ロゼット洗顔パスタってありましたよね。白子さんと黒子さんがでてくるやつ。

 

 再び野鳥の森に戻ってくると、丘の麓にこんなものが。羽根の長さは10㎝から15㎝ほど。1羽分の量にしては明らかに少なすぎです。肉片や骨もないので、獣に襲われたというより、誰かが捨てていったものなのかもしれません。それにしても何の鳥だろうか。図鑑でもこれといったものが見当たりませんでした。

 印旛沼公園駐車場

 野鳥にもほとんど出会うことなく、1時間ほどで野鳥の森を後にしました。若干物足りなかったので、対岸にある印旛沼公園にも寄ってみることに。こちらは運動場などもある公園で、いくらか人の姿もありました。

 サザンカか?

 印旛沼公園はこんもりとした小山で、中世には城が築かれていたそうです。

 立寒椿

 葉や全体の雰囲気はサザンカなんですが、花は赤色。帰ってから図鑑で調べてみると「立寒椿」というサザンカの園芸品種のようです。花の少ない季節なので、鮮やかな色のサザンカになんだかホッとさせられました。

 印旛沼西岸から

 二の丸跡からの印旛沼。かなり広い範囲を見渡せます。気持ちいいです。確かにここに城を築いたなら敵の襲来も一目で分かりますね。
 対岸中央の白い建物の左に野鳥の森があるはずです。狼煙とかで情報通信ができる距離です。

 冬晴れ

 樹形からするとケヤキですね。でも木の下にはエノキの枯れ葉がたくさん落ちていました。???
 戦の歴史を持つ場所ですが、今は優しい雰囲気の公園です。暖かくなるとお弁当を持って来る人も多いでしょう。

 モグラ塚

 歩いているとおもしろいものを見つけました。これはモグラがトンネルを掘ったときの残土を、竪穴から地表に出して積み上げたもの。モグラ塚といいます。硬い土を掘るのもなかなか大変でしょうね。

 蕾未だ堅く

 ぐるっと回っていると梅園がありました。来月くらいには咲き始めるでしょうか。でも蕾はまだ堅そうです。

 ネズミモチ

 ネズミモチの葉が生き生きとしています。光沢のある濃い緑色。枯れ色の中で生命力を感じますね。

 

 更に歩いて行きます。すると解説板が。どうやらここに建っていたのは師戸城という城のようです。記述を要約すると、中世以前、下総で権勢をふるっていた千葉氏の家臣臼井氏の居城がここから2㎞ほど南にあって、そこの出城としてこの城が築かれたのだそうです。師戸城は上杉謙信の臼井攻めの際にも堅固な守りを見せたそうですが、その後の豊臣の下総攻略で臼井城もろとも落城してしまったそうです。この公園も「兵どもが夢の跡」、です。

 ヒイラギナンテン

 さて、そろそろ帰途につきましょうか。
 駐車場に向かう途中で時期遅れの紅葉を発見。ヒイラギナンテンも紅葉するんですね。しかもいい具合に。この花に対する認識を新たにしました。
 
 今日は印旛沼を眺めてただのんびりとしただけ。3連休の初日とあってなんかゆったりした気分になれました。そういえばまだ松の内。穏やかな年の初めです(ところがこの2日後、関東地方は大雪に見舞われるのでした。)。