広島大学 〜キャンパスの中の里山歩き〜


 

【広島県東広島市 平成15年10月19日(日)】
 
 秋の里山歩きは楽しいものです。
 高い青空、爽やかな風、葉の色づき、木々の実り、…。観察会にはもってこいのフィールドでしょう。
 でも、広島県地方ではこの時期そう気安く里山に入る訳にはいきません。そう、この辺りの山にはマツタケが生えるのです。
 「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」 ということで、オープンなスペースでありながら里山の雰囲気を漂わせている「広島大学西条キャンパス」の中で10月の定例観察会を開催することになりました。もともと里山であったところに造成した大学なのだから、きっと楽しい観察会になるでしょう。

 午前10時、法学部・経済学部の前の芝生広場(上の写真の@のところ。)で開会。
 今回のリーダー、高光さんから本日のスケジュールと観察のテーマが示され、次いで会長からはいつものように時候に関連した興味深い話がありました。
 そして今回の強力な助っ人が紹介されました。広島大学の大学院で植林について研究している小宮さん、メダカを研究している足達さん、ギフチョウが専門の茶珍さんです。今日は何かおもしろい話が聞けそうです。

 開会


 すでに開会から30分が経過。秋晴れの空の下、50数名の参加者がリーダーを先頭にようやく移動を始めました。

 今日の観察会ではあらかじめいくつかの観察ポイントが予定されています。いつも参加者の列が伸びてしまい、いったん伸びてしまうとみんな集まっての解説はなかなか難しいものです。なので今回は自分が最後尾について、観察ポイントが近づいてくると遅れがちな人達をその都度押し上げていく役割を負うことになりました。

 広島大学があるあたりは標高200m前後でしかも盆地(西条盆地)の地形になっているせいか、沿岸にある広島市よりも紅葉は早くやってくるようです。

 地質の解説

 一行はAのポイントまでやってきました。ここには丘を削った壁面が露わになっています。
 今からおよそ50万年から70万年前、西条盆地は大きな湖であったといいます。(大きな川だったという説もあるそうですが、ここでは一般的な書籍の記述にならい「湖」ということで話を進めたいと思います。)
 ここの壁面では、この辺りの基盤岩である花崗岩の浸食面の上に「西条湖成層」と呼ばれる堆積層が重なっている様子を観察することができます。大昔、隆起などで陸上に出ていた花崗岩(この花崗岩自体はおよそ1億年前にできたもの。)が水の流れなどで浸食されて起伏のある地形になり、その後そこが水没して湖底になってその上に土砂などが水平に堆積し、さらにそこが隆起し(または湖水が排水され)て陸地になったということを物語っています。

 いにしえの湖底の断面

 緑のラインを境に、下部が花崗岩、上部が西条湖成層です。なお、ここの花崗岩は御影石のような固いものではなく、削るともろく崩れるように風化しています。

 アカマツ林の将来は…

 Bのポイントでは院生の一人、小宮さんから「アカマツ林型里山について」の解説がありました。
 広島県地方にアカマツ林が多いのは次のような理由によるとのことです。
 この地方では古くから製塩やたたら製鉄が盛んだったため、人々はもともとあった照葉樹林を伐採し、広い範囲を裸地にしました。その後風化花崗岩質の栄養の少ない土地でも育つアカマツが進出し大規模なアカマツ林を形成しました。(関東地方でも照葉樹林の伐採は行われましたが、火山灰土質で土地が肥えているためアカマツより強いクヌギやコナラなどの落葉広葉樹林を形成していったとのことです。)
 アカマツの苗木は光が届かなければ育つことができません。人々が定期的に林に入り薪炭や堆肥作りのために枝を打ったり落ち葉をかいたりしたことが幸いして林は明るく保たれ、結果としてアカマツ林は維持されてきました。
 ところが近年人間が林に入らなくなると、放置された林には低木が茂りだして林は暗くなり、新たなアカマツが育つことができなくなりました。さらにこのまま放置するとアカマツ林は絶えもともとの照葉樹林に移り変わっていきます。
 小宮さんは問いかけます。将来、アカマツ林はどうなるのでしょうか。いや、どうすべきなのでしょうか。
 照葉樹林への遷移は自然本来の流れです。関東地方の落葉広葉樹林も自然のままにまかせると照葉樹林に遷移していくと考えられています。そういった意味では遷移を見守るという考え方もあるでしょう。里山に暮らす人々の本音は昔のように山の手入れをしていきたいというのではないでしょうか。たさ、それには人手が必要なのです。

 次の観察ポイントはCのところ。キャンパスを見渡すことのできる丘の上です。
 学舎の群を指しながら構内の案内をしてもらいました。それにしても、太古、ここに満々の水を湛える湖があったとは。

 今  昔

 湖があった頃、その岸辺にはどんな風景が広がっていたのでしょうか。50〜70万年前ということはジャワ原人や北京原人の時代なので、約300万年前にアフリカで誕生した人類がようやくアジアの東端に到着した頃でしょう。ひょっとしたらこの湖の畔でも洞窟で火を焚き魚を焼いて食べていたかもしれません。んーっ、ロマンです。

 時計は12時を回りました。ふたたびキャンパス内にもどって、Dのスペイン広場で昼食です。

 スペイン広場

 朝方よりも雲が増えてきたせいか、陽射しがやわらかです。

 キャンパスの中央を貫くように流れる水路があります。これは大学造成前から小川としてこの場所にあったものでその周囲にあるアカマツ林ももともとそこにありました。午後はその水路のほとりに移動します。
 まず、田んぼ状の場所にショウブが植えられているEのポイントへ。みんなそろったところでメダカを研究している足達さんから解説してもらいます。

 ここもキャンパスの中?

 ♪メ〜ダ〜カ〜のがっこうは〜、か〜わ〜の〜なか〜
 あまりにも耳になじんだこの歌のおかげで、メダカはサラサラと流れる清らかな小川に棲んでいると思っている人は多いと思います。足達さんによるとこれは誤りとのこと。メダカは体長3pほどの小さな魚なので流れが速い川では流されてしまうので、むしろ流れのないような、そして田んぼのように水深が浅く水が暖まりやすい場所を好んで棲むのだそうです。そう言われて後ろを振り向くと、斜面との際にある小さな水路に確かにメダカが泳いでいました。ほとんど流れはありません。

 「皆さんの身近にメダカは
 いますか?」

 戦後、米の増産を目的として全国で圃場整備事業が展開されていきました。小さく不定型な田んぼは機械が入りやすいように大きく四角く区画整理され、水路は直線的に、また3面コンクリート張りに変えられていったのです。この環境の変化がメダカの住処を破壊していったことは容易に想像できます。そして1999年、ついに絶滅危惧種U類(絶滅の危険性が増大している種)に指定されたのだそうです。身近な存在だと思っていたあのメダカが、です。
 アカマツ林の将来の話のときもそうでしたが、農家の生産性・利便性向上と環境や生態系の保全の選択。簡単に答えの出る問題ではなさそうです。

 林の中で

 次はFのポイントに移動して、茶珍さんから水棲昆虫やギフチョウのことについて解説してもらいました。
 特にギフチョウとその食草であるカンアオイとの関係についての話は大変興味深いものでした。
 ギフチョウのライフサイクルは1年周期。そのうちの10ヶ月間はサナギで過ごすのだそうです。4月、やわらかな木漏れ日の中を舞うギフチョウの姿は、長いサナギ時代から解放されたせいなのか、いかにも軽やかです。

 マツモムシ  ギフチョウ

 工学部の脇を通って移動していきます。
 途中にある「ぶどう池」は冬の水鳥が渡ってくる場所です。先週の下見のときにはヒドリガモが20羽程度来ていましたが、今日はあまりその姿は見えず、替わってヨシガモが数羽訪れていました。

 秋、真っ盛り

 最後の観察ポイントはGのポイント。ヒガンバナの球根のたくましさについての話です。
 この時期、ヒガンバナの花は終わってしまって茎が残るのみですが、これからその茎も朽ちてしまって、代わりにいきいきとした長い葉が茂ってきます。来年の春になると今後はこの葉が枯れてしまい、秋になって茎を伸ばすまで姿を消すのです。

 ヒミズ

 途中、カワイイお客さんがありました。通路脇のわずか5pの段差を乗り越えられずにウロウロしていたヒミズです。
 大きさはしっぽをいれても8pほど。たったこれほどの段差でもこの動物にとっては生きていく上での大きな障害なんですね。これが側溝となるともう絶望的です。

 閉会

 日陰が長く伸び始めた午後3時、一行はスタート地点に戻ってきました。
 今日は里山のようなキャンパスの中でホント盛りだくさんの観察会になりました。参加した人達の顔も満足そうです。
 (でも、これだけの規模の大学をこの里山に造成したときの環境や生態系への負荷はどの程度のものだったのだろうと考えると、少し複雑な思いがします。)
 今日も怪我人もなく無事に観察会が終了しました。
 最後にリーダーの高光さん、お疲れさまでした。