平磯海岸 〜海竜の見た海の底〜


 

【茨城県 ひたちなか市 平成21年4月12日(日)】
 
 開花の遅かった今年の桜も、もうおおかた散ってしまい、代わりに青々とした若葉が伸び始めています。これはこれできれいです。
 さて、年度も改まったとはいえ、仕事は相変わらずバタバタで、やっぱり週末は野山に出かけなければスッキリしません。もうこれは生活の一部ですかね。
 
                       
 
 今回はひたちなか市にある国営ひたち海浜公園に行ったついでに、その近くにある平磯海岸に寄ってみました。ここはちょっと特徴のある海岸なのです。

 阿字ヶ浦

 海浜公園から海岸線に沿って南下すると、綺麗な弧を描く砂浜が。でもここは平磯海岸ではなくて、阿字ヶ浦という浜です。夏には海水浴客で賑わうのだとか。そして、平磯海岸は写真奥の丘の向こう側に位置しています。

 平磯海岸

 丘の向こう側に回ってみると、海岸の様子はまったく異なっていました。いわゆる「磯」なのですが、ただゴツゴツした岩場ではなく、まるでノコギリの歯を規則正しく何列にも並べたような、不思議な風景なのです。(わかりにくい場合には写真にマウスオーバー)

 ここの岩はみんな中生代末期の白亜紀(今から1億4千年前〜6千500万年前の、恐竜が最後の栄華を誇っていた時代。)の地層。もともと平らに堆積したものが、その後の地殻変動によって傾斜してしまったのだそうです。

 近づいてよく見てみると、粒の大きさの違う岩石が幾層にも積み重なっているのが分かります。普通、河川から運ばれてきた砂礫が海底に堆積する場合には、粒が大きいものほど海岸に近いところに堆積し、粒が細かくなるほど沖に運ばれて沈殿するものですが、ここでは同じ場所で粒の大きい層と小さい層が積み重なっています。なぜ?海面水位の変化で海岸線が出たり引いたりしたのか?

 礫岩、そして砂岩

 ここでは一番上に礫岩があり、その下には砂岩が。

 その下に礫岩

 そしてその下にはまた礫岩。

 その下に砂岩

 さらにその下には砂岩というか泥岩というか、粒の細かい岩石の層になっています。
 なぜこんなふうになっているかというと、いったん海底に堆積した地層が、地震などにより海底の斜面が崩れて土砂が流れ、積み重なったものなのだとか。このような岩石を「タービタイト」と呼ぶのだそうです。ふーん。
 白亜紀といえば、巨大大陸パンゲアが二つに分かれてできたローラシア大陸が、大海進によってさらに細かく分裂した時代。海が陸地の奥深くまで入り込んだ時代なので、地殻変動も半端じゃなかったのでしょう。大海原で生活していた海竜(海の恐竜)も、この海底を見ていたでしょうか。
 1億年の後にこんな姿になるなんて、想像もしなかったでしょうね、岩石としても。

 海竜

 白亜紀後期、ちょうどここの岩石ができつつあった頃、海の中で生きていたのがフタバスズキリュウ(全長7m、体重1.5t)。昭和43年に日本で初めて発見された首長竜で、発見された場所はここから80q北の福島県いわき市。まさに当時、この辺りの海中を泳いでいたかもしれません。科博に復元骨格(レプリカ)が展示されていますが、デカイです。

 ところどころ上の写真のようなテーブル状の場所があり、こういうところからアンモナイトの化石が見つかっているそうです。それも一般的な渦巻き状のものではなく、くねったパイプのような「異常巻きアンモナイト」と呼ばれるものが。そんなアンモナイトがいることすら知りませんでしたが、調べてみると白亜紀後期に繁栄していたそうです。そのアンモナイトもフタバスズキリュウもともに新生代を迎えることはできなかったのですが。

 虫食いの石

 こんな石もありました。こぶし大に割れた砂岩が波に洗われて摩耗したものだと思いますが、その表面に虫食いのような穴がたくさん空いています。これはいったいどうやってできたものなのか。
 yamanekoのプロファイリングでは、粒の大きな礫が砂の層に混ざった後に岩となり、それが割れて、さらに摩耗する過程で礫がはずれて落ちてしまったものと考えましたが、正解でしょう。たぶん。…いや、やっぱそうでしょ。
 


 ネモフィラ

 こちらは、ひたち海浜公園のネモフィラ(瑠璃唐草)の絨毯。きれいでしたよ。