源氏山 〜古都の裏山歩きを楽しもう〜


 

【神奈川県 鎌倉市 令和3年2月21日(日)】
 
 スギ花粉、そろそろ本格飛散が始まっているようです。yamanekoの場合、花粉症の症状はもっぱら鼻づまりで、あと、一日外にいたりすると目の痒みなどがあったりします。でも病院で処方された薬を12月くらいから飲んでいるので、そんなにひどい症状は出ません。もう花粉症と30年近く付き合っているので、自分の体に合った薬を見つけていて、毎年それを処方してもらっています(その薬にたどり着くまではなかなか大変でした。)。
 今回は、花粉を気にしつつも、鎌倉にある源氏山にいくことにしました。もう冬は終わりなんだと感じる野山歩きです。
 
                       
 
 JR横浜線から町田で小田急線に乗り換え、江ノ島線経由で藤沢へ、そこで再びJR東海道線に乗り換えて一駅先の大船へ、そしてまた横須賀線に乗り換えて一駅先の北鎌倉が目的地の最寄り駅です。なんとも乗り換えが多いですが、車で鎌倉に行くというのは自分の中では「暴挙」なので、電車マストです。なにしろ中世の鎌倉は三方を山に囲まれた要塞都市。ここに入るには限られた切り通しの隘路を抜けなければならず、これが現代では車の大渋滞という現象を産んでいるのです。

 北鎌倉駅

 でもって、北鎌倉駅に着いたのは10時前でした。観光客で賑わう鎌倉駅周辺とは異なり、静かなローカル駅です。一駅しか離れてないのですが。それでも周囲に建長寺や円覚寺といった鎌倉五山のお寺などもあり、訪れる観光客もほどよくいるようです。

 Kashmir3D

 今日のルートは、北鎌倉駅から鎌倉街道(県道21号線)を南進し、浄智寺の脇を通って鎌倉の市街地を囲む稜線に上ります。そこからはひたすら尾根歩き。源氏山はこの稜線が東に向かって突き出た尾根先にあるピークです。再び尾根歩きを続けて大仏坂トンネルの手前で山道を下ります。後は車道を歩いて江ノ電の長谷駅まで。

 渋滞

 駅前の道に出るといきなりこの状態。これが峠を越えて市街地まで続いているかと思うと、ドライバーは忍の一字ですね。ちなみに、この後にもずっと続いていました。

 浄智寺

 駅前から400mほど歩くと、右手に浄智寺の参道が現れました。ここで車道と別れ、参道沿いの小径を奥に向かっていきます。

 鐘楼門

 ここ浄智寺も鎌倉五山の一つ。山門ひとつとっても洒落ていますね。「鎌倉五山」とは鎌倉にある臨済宗の寺院の寺格のことだそうで、鎌倉幕府は当時新興だった臨済宗を庇護したのだそうです。五山制度はその権威付けのためだったのかも。ちなみに、浄智寺は五山のうちの第四位に位置づけられているそうです。もちろんトップ5に入っていることだけでスゴいんでしょうけど。

 白梅

 谷沿いの道はまだ朝日が届き始めたばかり。その明暗の中に満開の梅の花が輝いていました。
 ちょうどこの梅の木のすぐ近くで映画かドラマ化の撮影をしていました。道路と山際との間のわずかなスペースで演技をしていて、カメラなどスタッフは道路に陣取らざるを得ない状況なので、yamanekoたち一般人が道路を通るたびに撮影を一時中断するといった調子でした。俳優は3、4人いましたが、いずれもメイクが濃くて、知っている人だったかは分かりませんでした。「我々柳生一族は…」とか台詞を言っていたので、アクション時代劇だったのかもしれません。

 山道へ

 ここまでの小径の脇には数軒の民家もありましたが、ここからは山道です。

 ヤブツバキ

 朝の冷え込みも緩んできているとはいえ、じっと陽の差し込みを待っているかのようなヤブツバキです。

 浦郷層

 山肌を切り通した壁面。帰宅後調べてみると、ここら辺りは約200万年前に形成された浦郷層(上総層群のうちの一つ)という地層なのだそうです。性質としては凝灰岩(火山噴出物でできた岩石)を含んだ砂岩とのことなので、その当時は海の底だったということですね。

 タマアジサイ

 これはタマアジサイでしょうか。ドライフラワー状態になっています。



 稜線が近づいてきたのか、竹林の上の方だけ陽が当たって明るいです。

 稜線へ

 とか言っている間に早くも稜線に至りました。浄智寺から20分ちょっとでした。ここから右手に向かって歩いて行きます。



 基本、常緑広葉樹の森なのですが、ときどきこういう樹木もあります。コナラかな。

 天柱峰

 しばらく登って「天柱峰」という小ピークに至りました。ここは鎌倉時代末期に元(中国)から来日した浄智寺の僧「竺仙梵僊」が好んだ場所といい、故国の武当山(湖北省)にちなんでその主峰と同じ名を付けたとのことです。本家は標高約1600mだそうですが、こちらは100m弱です。
 休憩するほどまでまだ疲れてもないので、そのまま歩き続けます。

 尾根道

 木漏れ日の道を行く。適度にアップダウンもあり、飽きません。



 「適度に」とか言いましたが、ときどき急なアップダウンも出てきたりします。



 覗き込むような急坂。階段が奈落向かってに落ち込んでいるようでした。



 そしてまた上り。おかげで冬の間になまった腿裏の筋肉がいい感じに伸びました。

 扇ガ谷地区

 木立の切れ目から麓の住宅地が望めました。ここは扇ガ谷という地区。左手からトンネルを抜けてJR横須賀線が通っています。正面のこんもりとした丘の向こう側に鶴岡八幡宮があるはずです。



 予報ではこの日東京は最高気温が20℃を超えるとのこと。沿岸の鎌倉ならもう少しいっているかもしれません。yamanekoも上着を脱いで陽射しを楽しみました。もう冬は終わったんですね。



 広い場所に出ました。なにやら公園化されている場所のようです。

 葛原岡神社

 一気に開けました。ここは葛原岡神社といい、由緒の解説を読むと、後醍醐天皇の忠臣として鎌倉幕府の倒幕を企て捉えられ処刑された日野俊基という公家が祀られているのだそうです。この辺りにその刑場があったのだとか。ただ、最初にこの鳥居を見たときに何か明治以降のスタイルだなと思っていたのですが、やはり明治20年に創建されたものだそうです。明治維新後、南朝が正統とされ、倒幕の功労者ということで明治政府が復権のために力を入れたのでしょう。当時は幕政から実権が移って間もない頃ですから。



 鳥居をくぐって、鍵型に参道を折れると、その先に本殿がありました。規模や造りはずいぶん違いますがテイストは明治神宮に近いものを感じます。

 ミツマタ

 参道にあったミツマタ。満開ですね。



神社から南側は源氏山公園として整備されています。散策している人もちらほらいますね。

 ヤツデ

 ヤツデの葉がのびのびと展開していますね。その名は「八手」と書きますが、裂片が8つというわけではないようで、実際には切れ込みが8つあって裂片は9個というのが普通だそうです。「八」には多いという意味がありますから、そういうことなんでしょう。

 ニホンズイセン

 いやー、春の訪れを感じますね。ニホンズイセンです。本当は古い時代に中国からやって来て、帰化したものだそうです。



 谷の広がりが見渡せるところに出ました。足下から谷の下に続く斜面は「仮粧坂」(けはいざか)といい、鎌倉の北西から武蔵方面に抜ける鎌倉往還の出入り口だったそうです。確かに三方を山に囲まれているのですからどこへ行くにも峠越えは必至ですね。ちなみに見渡す限り山の中みたいな感じですが、この目線の高さから見るとそうなだけであって、細かい谷のそれぞれ奥まで住宅地が広がっています。
 おや、遠くの稜線付近に何やら建物が見えますね。

 半僧房

 望遠で覗いてみると、かなり高いところに寺社のようなものが見えます。これは北鎌倉の建長寺(五山第一位)の付属施設で半僧房といい、建長寺の鎮守として半僧坊大権現をまつっているところだそうです。相模湾の展望が素晴らしいとのことです。

 現代版の仮粧坂

 しばらく進むと谷に下りるちゃんとした道がありました。写真の看板の右側から急降下していきます(斜度が大きすぎてここから路面が見えていません。)。yamanekoは右手の道を上っていきます。

 源頼朝像

 坂を上ると園地になっていて、源頼朝の像がありました。高さ5、6mはありそうな大きな像でした。向いている方角は相模湾の方です。周囲には桜の木が多くあったので、花見シーズンには賑わうのでしょう。

 

 頼朝像の広場から更に進んでその先にある山頂へ。最後は階段です。



 いよいよ山頂が見えてきました。息が上がります。

 源氏山山頂

 11時30分、源氏山の山頂に到着しました。標高は93m。先客は中年女性が一人だけでした。
 ところで、この小山がなぜ源氏山というのか。一説には、平安中期の武士、源頼義、義家親子が奥州遠征(前九年の役)する際に、このピークに白旗を立てて戦勝を祈願したことによるとか。旗立山とか御旗山とかの別名もある由。ただ、頼義は河内源氏の2代目棟梁でもっぱら京を舞台に活躍していたといいます。いったん鎌倉に立ち寄ったということでしょうか。やや疑問。

 北側の眺望

 山頂からは北側に眺望が広がっていました。遠くの稜線は鎌倉を守護する長城、いや山並みです。



 山頂でしばらく休んで、再び稜線歩きをスタート。南下を続けます。



 道が舗装路になったなと思っていたら、住宅が現れました。稜線の西側には宅地が広がっているようです。なんか別荘みたいな建物もありました。



 鎌倉の市街地と材木座海岸辺りが見えました。毎日この景色を見られるなんて、贅沢ですね。交通の便との天秤ですが。

 オオイヌノフグリ

 まだこの時期には花はほとんど見られませんが、この小さなオオイヌノフグリは別です。日当たりの良いところでは正月明けくらいから咲いています。しゃがんでよく見てみるとなんとも爽やかな姿をしています。

 板根?

 板根みたいな根の木がありました。これは表土が薄いということでしょうか。何の木かよく分かりませんでしたが、多分キハダではないかと思います。



 こんなような尾根道を大仏坂トンネルのところまで延々と歩いて行きます。北鎌倉からずっと小さな子ども連れのファミリーや外国人カップルなどが結構歩いていて、地元では人気のトレイルのようです。

 急降下

 ときにこんな急傾斜もあります(この先がストンと落ちている。)。子どもたちにとってはちょっとした冒険なのかも。

 カニクサ

 なにやらモミジみたいな葉が茂っていますが、これはカニクサというシダの仲間。延ばすと2、3mの蔓になっていて、なんとそれで一つの葉なんだとか。びっくりです。

 住友常盤住宅

 右手の木立の間から急に住宅地が見えました。地図を見ると住友常盤住宅という住宅地のようでした。それにしても鎌倉は谷という谷はびっしりと住宅で埋め尽くされていますね。



 さあ、いよいよ大仏トンネルに向けて下りて往きます。この辺りの地質はまたちょっと雰囲気が違いますね。浄智寺の奥で見た浦郷層よりももっと粒子が細かく、どちらかというと粘土を固くしたような感じ。これはシルトといって、砂岩よりももっと細かいものです。地層としては逗子層に当たり、約700〜400万年前に形成されたものだそうです。



 車道が見えてきました。時刻は12時20分。ずいぶん歩いたような気がしましたが2時間ちょっとだったんですね。

 大仏坂トンネル

 車道に下りて振り返るとこんな感じ。もちろん大仏とは鎌倉大仏のことで、このすぐ近くにあるのです。
 さあ、ここからは車道を歩いて江ノ電の長谷駅を目指します。



 途中、生しらす丼の食べられる食堂があったので、つい入ってしまいました。

 生しらす丼

 通りにはそこそこ人が歩いていたのですが、店内にはお客さんはいませんでした。昼時なのに。
 味はまったく問題なく美味しくて、お客さんが入っていないのが不思議なくらいでした。店の中の様子が外からある程度見えないとお客さん心理としてはちょっと入りづらいんじゃないの、とご主人に言ったら、笑っていましたが。なにしろ店先にお品書きがびっちり貼ってあって、人によっては若干うさんくいと感じないこともないような…。yamanekoはむしろそういう店を狙って入る方ですが。

 長谷駅

 12時45分、長谷駅に到着。すぐに藤沢行きが入線してきました。車内は思ったより空いていて、座ることもできました。
 帰りはここから藤沢に出て、後は往路と同じです。
 
 古都でありメジャー観光地である鎌倉。また、すぐ隣には自然と人々の生活もあり、今日はそんな鎌倉のちょっと違う表情を見ることができました。