多摩丘陵でフットパス 〜古淵から本町田〜


 

 「古淵から本町田」

【東京都 町田市 令和3年1月30日(土)】
 
 今年の正月はだれも帰省して来ず、正月らしくない正月でした。例年元日にお参りしていた初詣も数日ずらしました。地元でどんど焼きも行われましたが、規模を縮小した上で無観客。正月にも新たな生活様式の波が来ている感じですね。
 そんなやや悶々とする毎日ですが、自然を求めてどっか遠くにというわけにも行かないので、住宅街の中の自然を探して散策を。「多摩丘陵でフットパス」シリーズでも残された空白地帯、本町田周辺を歩いてみます。
 
                       
 
 今は町田市の中心繁華街は町田駅のある「原町田」という地区になりますが、近世以前の中心地は谷戸や里山の広がる「本町田」といわれる地域だったそうで、原町田の辺りはアシなどが茂る境川の氾濫原だったとのことです。人々はそこに農地を拡大していき、本町田にある集落から通いで耕作していたのだそうです。本町田は今では住宅地になっていますが、里山や谷戸の地形に往時の様子をとどめています。 

 Kashmir3D

 今日のルートは、JR横浜線の古淵駅。そこから境川の川筋に下って行き、川を渡って丘を上がりその先の原町田を歩きます。菅原神社辺りで引き返し、台地上に広がる市街地を歩いて、町田街道沿いの市民病院前バス停でゴールです。

 古淵駅

 11時10分、古淵駅の改札を出ました。風はなく日差しも暖か。抜けるような青空というのはこのことです。
 ここから住宅地の中を境川の川筋に向かって下って行きます。



 歩き始めてほどなく、民家の玄関脇で微動だにしないワンちゃんを見かけました。視線をまっすぐに据えて、yamanekoが話しかけても存在自体を無視でした。おそらく老犬だったと思いますが、この家にもらわれてきた頃のこと、若く活発だった頃のこと、ご主人様の家族の成長を見守ったことなど、いろんな思い出に浸っているのでしょうか。でも、いい余生を過ごさせてもらっているなという感じでした。



 民家の中の坂道をぐんぐん下っていきます。この地形は境川の流れが削ってできたものですね。



 下りきると左手に大きなお屋敷があり、その脇を歩いて行きました。静かな住宅地です。



 道の突き当たりに鳥居が見えました。立派な石造りです。

 鹿島神社

 この神社は鹿島神社といい、解説板によると、鎌倉時代に地元の豪族淵辺氏により村の鎮守として創建されたと伝わっているそうです。新田義貞が鎌倉攻めの勝利を祈願して建立したという説もあるそうですが、この地との関連は書いてありませんでした。社殿と鳥居ともにまだ新しく、平成になってから建て替えられたみたいです。

 「逆猪目」

 屋根を見上げると、V字の千木(ちぎ)の間から突き出る大棟の先端にハートマークを発見。でも、この形をハートや心と結びつけるのは西洋の文化だと思うのですが、日本の歴史の中でこの形はどういう意味を持っていたのだろうと調べてみたところ、この形は「猪目(いのめ)模様」といい、本来の形はハート型とは上下が逆なのだそうです。猪には五行の考えで水の属性があるらしく、もっぱら火除け、魔除けの意味合いがあるのだそうです。

 ヤブツバキ

 決して大きくはない神社ですが、周囲を常緑の社叢に囲まれ、昔から厚い信仰の下に大切にされてきたのが分かります。ヤブツバキもたくさん花を付けていました。

 霜柱

 足下には霜柱が。折しも今は大寒のまっただ中です。

 マンリョウ

 参道には実をたわわに付けたマンリョウが植えられていました。こんな鈴なりに付いているのはあまり見たことがありません。葉も肉厚で、きっと肥料がたっぷり施されているのではないでしょうか。



 鹿島神社を後にして、川沿いの緑地を目指して歩いて行きます。



 シナマンサク  ベニバナトキワマンサク

 お屋敷の塀越しに延びる枝に花を見つけました。一つはシナマンサク。花は一般的なマンサク同様に黄色ですが、葉が枯れても落ちずに枝に残っていることが多いのが特徴。もう一つはベニバナトキワマンサク。シナマンサクと隣り合って植えてあるようでした。この木は「常葉(ときわ)」の名のとおり常緑で、濃い紅色の花を付けます。ベニバナトキワマンサクは白い花を付けるトキワマンサクの変種で、yamanekoは共に園芸種とばかり思っていましたが、どうやらトキワマンサクは日本国内でも極めて限られた地域に自生が確認されているのだそうです。

 白梅

 もうじき立春。どんなに寒くても、ちゃんと春は来るんですよね。



 境川に沿って延びる緑地の中を歩きます。ゴミなども捨てられておらず、よく手入れされているようでした。

 境川

 ほどなく境川が現れました。写真は上流側の景色です。境川沿いには遊歩道(生活道路?)が整備されていて、様々な鳥を見ることができます。カワセミと出会うことも珍しくありません。



 コサギ  ダイサギ

 境橋を渡って、対岸からしばしバードウォッチングを。サギたちが狩りをしていました。コサギはサギの中では小型で、黒い脚の足先だけ黄色いのが特徴。写真でも分かりますね。ダイサギは大型で、冬のこの時期、嘴が黄色いです(夏は黒っぽい)。見ているわずかの間に見事に小魚を捕らえていました。



 川沿いを離れ、境川団地の方に向かいます。



 団地の縁に沿って歩いて行きます。道すがら、カワラヒワやムクドリ、オナガなども観察することができました。



 やがて団地エリアを抜け、大通りを渡ると、その先にまた神社を見つけました。

 八坂神社

 この神社は八坂神社といい、祀られているのは素戔嗚尊(すさのおのみこと)とのこと。こちらは縁起がしっかり分かっていて、江戸時代中期に京都の八坂神社から分祀を受け、地元の有力者の氏神として建立されたもののようです。今では近隣一帯の守護神(産土神(うぶすながみ))として大切にされているのだそうです。



 再び大通りに戻って緩い坂を上っていきます。この先の丘の稜線に町田街道が延びており、その向こうには鶴見川水系の川が削った谷戸などがあるはずです。

 サザンカ

 民家の生け垣にサザンカの花。写真からもポカポカとした陽気が伝わってくるようです。

 町田街道

 12時20分、丘を上りきり町田街道に出ました。写真は道路を跨ぐ歩道橋の上から撮ったものです。写真奥が町田市街地方面です。yamanekoは写真右手からやって来て、左手にある緑地に向かいます。

 滝の沢源流公園

 緑地は「滝の沢源流公園」といい、町田街道から15mほど高低差があります。これは公園名からも分かるとおり谷戸の最奥部となっていて、鶴見川水系の恩田川の支流、山葵沢川(わさびざわがわ)の源頭で、周囲から細長く掘り込まれたような地形となっています。

 源頭

 公園の奥に湧水地点がありました。結構な水量が湧き出していました。

 水神様

 源頭のすぐ脇に石造りの祠がありました。苔むし、傾いていましたが、お供え物もあって、いまでもここで手を合わせる人がいるのが分かります。昔の人々にとっては水源が涸れるというのは命に直結する事態であり、地域で守り大切にしてきたのでしょう。

 ハケ

 時間も時間なので、この公園のベンチに腰を下ろし昼食としました。さっき町田街道沿いのコンビニで買ってきたサンドイッチと肉まんです。
 目の前には山葵沢川に削られた崖があり、その中ほどを境に上下で土の色が違っていました。おそらく下は上総層群と呼ばれる海成の地層で、上は箱根や富士山などからの火山噴出物なのではないでしょうか。ちなみに、武蔵野辺りではこのような崖のことを「ハケ」と呼びます。

 冬晴れ

 視線を上に向けると、崖の上の民家の更に上にはどこまでも冬晴れの青い空が続いていました。

 滝の沢源流公園

 公園の中程から最奥部を見たところ。周囲を崖に囲まれていて、正面奥の崖の上に町田街道が通っています。ここは昭和の中頃までは田んぼだったのではないでしょうか。

 山葵沢川

 源頭から流れ出た山葵沢川。この先は水路化されています。

 本町田地区

 休憩を終えて再び歩き始めました。公園から坂道を上り崖の上の面に出て、下流方向に歩いて行きます。住居表示上はこの辺りが本町田です。道路が緩く蛇行しているのは、もともとの川が削った地形に沿って住宅地が造成されたからでしょう。車の通りも多くはなく、直線的な街路より情緒が感じられました。



 道は徐々に下っていき、しばらく住宅地の中を歩いて行くと、「ん? なんだあのでかいのは。」

 バイパス工事

 近づいて見ると道路の高架工事をしていました。この山葵沢川が削った低地を跨ぐようにしてバイパスが作られているようでした。谷の幅、すなわち高架の長さは300mほどもあり、なかなか巨大です。上にこんなものができると上の面との高低差が際立ち、この辺りの「谷底」感が増してしまうようですね。



 高架をくぐって歩いて行くと、いつのまにか山葵沢川が水路となって道の横を流れていました。この辺りまで来ると流れも結構速いです。道路左側にある民家には皆それぞれ専用の小橋がかけられていました。



 道ばたの小さな菜園にあった花。なんていう名かは分かりませんが、冬の弱い日差しを懸命に浴びているようでした。



 しばらく行くと上の面との間が雑木林になっているところがありました。他のところでは斜面にも民家が建てられているので、ここでは意図的に林が残されているのだと思います。

 マメガキとムクドリ

 その林の縁にあるマメガキの木。ピンポン球より小さい実がたくさん残っていて、それを食べにムクドリが何羽かやって来ていました。マメガキは一般には食用にはしませんが、田舎では、食用の柿の木でも実を全部取り尽くすことはせず、鳥の冬場の食料として少し残しておくという風習があるところがあります。欲を張らず弱いものに施しをすれば、神様は来年もまたたくさん実を付けてくれるという考えがあったためです。



 雑木林の中に坂道があったので登ってみました。木々は葉を落とし、林床は明るいです。

 本町田

 坂の上は平坦な住宅地。折り返して谷の方を見るとびっしりと民家で埋められていました。この谷を山葵沢川が削ったんですね。

 鎌倉街道

 また元の川沿いに戻って歩いて行くと、大きな通りに出ました。これは都道18号線、府中町田線です。鎌倉街道とも呼ばれています。yamanekoはここで山葵沢川と別れて丘の上(先ほどの雑木林の上の面)に向かいます。



 都道に沿って坂道を上って行くと、右手に長い参道が現れました。菅原神社の参道です。

 菅原神社

 祀られているのは菅原道真公。受験シーズンということもあり、境内には参拝者が多くいました。神楽殿などもあり、けっこう大きな神社です。縁起を見ると、室町時代に地元の有力者である大沢氏が、先祖が京都の北野天満宮を詣でた際に持ち帰った天神像をこの地に祀り、本町田の鎮守としたのだそうです。



 神社の裏手はこんな感じ。菅原神社の敷地となっていて、広い林の中にいくつかの摂社や末社がありました。



 林の先は展望が開けていました。奥の丘の向こう側に小田急線が通っていて、ちょうど玉川学園前駅辺りになります。

 町田中央公園

 菅原神社の裏手から住宅地に入りました。その先にある町田中央公園には市民球場が併設されていて、広々としていました。
 ここから先はほぼ平坦地が続き、かなり広い範囲に商業地や住宅地が広がっています。



 この辺りは格子状に区割りされていて、道も直線ですね。



 いったん町田街道を渡って南側へ。こちら側の住宅地の中には所々に農地もあったりします。

 トチノキ

 途中の公園で見かけたトチノキ。冬芽をぷっくりと膨らませて春を待っていました。

 町田市民病院前バス停

 2時40分、町田街道沿いの町田市民病院前バス停に到着しました。スタートから3時間半。歩き続けてふくらはぎの筋肉が張っています。
 今回の野山歩きは、ほとんどが住宅地の中のルートでした。まとまった緑は寺社林に残るくらいで、あとは住宅地の中の小公園の植栽くらいだったでしょうか。
 本町田がこの辺りの中心だった時代には、里山や耕作地が広がり、動植物の色の濃い自然豊かなところだったでしょうね。
 
 ところで、ちょうど2時間半前に滝の沢で町田街道を渡りましたが、その滝の沢はこの先わずか700mほどのところにあるのです。なんか頭の中の地図が歪んでしまったような感じがします。