多摩丘陵でフットパス 〜多摩境から相原〜


 

 「多摩境から相原」

【東京都 町田市 令和2年1月4日(土)】
 
 令和2年が明けました。この年末年始、東京地方は穏やかな晴天が続き、おかげでのんびりと過ごすことができました。世の中的には今年こそ災害の少ない明るい一年になってもらいたいと思います。
 さて、毎日あまりに鮮やかな冬晴れが続くので、食べ過ぎ気味の腹の張りを解消すべく、新年最初の野山歩きに出かけることにしました。行き先は地元町田市内。2箇月連続でお手軽なフットパス歩きです。
 
                       
 
 今回のフットパスは、京王相模原線の多摩境駅前からJR横浜線の相原駅まで。東西に延びる多摩丘陵主稜線の南斜面上、高低差にして概ね50mの範囲を上ったり下ったりしながら、西に向かって歩いていきます。

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 今日歩く多摩丘陵南縁部は、稜線(上図紫色ライン)との位置関係を見ても分かるとおり、並行する多摩境通りに近いほど標高が高く、町田街道に近いほど標高が低くなっています。標高が低い街道沿いは古くから集落が形成されてきたところで歴史もあり、民家の並びや道も自然地形に沿って曲がっていたりすることが多いです。一方、多摩境通り周辺は近年になって里山を削り谷戸を埋め、宅地や商業地として造成したところなので、街並みも直線的だったりします。ざっくり言うと、前者は住居表記でいう「地番地区」(例:町田市小山町○番地)で、後者は「住居表示地区」(例:町田市小山ヶ丘○丁目○番○号)に概ね符合します。

 多摩境駅

 11時15分、多摩境駅前ロータリーを出発。ここに駅があるのか、本当に駅前なのか、といった感じですが、駅舎は地下階にあって見えないのです。ただ、それにしても店も何もないですな、見事に。



 ロータリーから多摩境通りに向かう道を歩いていきます。多摩境通り沿いには、飲食店や大型スーパー、ホームセンターなどのいわゆるロードサイド店舗が並んでいます。この辺りは多摩ニュータウンの西端に当たり、開発時期も比較的新しいのです。

 小山白山公園

 多摩ニュータウン通り(多摩境通りや町田街道と直交する道路。)との立体交差部分を過ぎてすぐ左手に階段を下りると小山白山公園です。ここは町田市立の公園で、芝生の広場や遊具エリア、親水エリアなどが配置されていてかなり大型です。そして地下には貯水施設もあるそうです。

 ナツツバキ

 ナツツバキは公園樹や庭木としてはポピュラーな樹木です。これは果実ですね。ナツツバキをサルスベリと呼ぶ地域もあるようですが、サルスベリは別の木です。ただ、どちらも幹の樹皮はつるっとしていてよく似ています(花を見るとまったく別物)。

 下の街、上の街

 公園を出て多摩ニュータウン通りを少し下り、町田街道に突き当たる手前で右手の住宅地に入っていきます。写真手前の民家は昔からの街区の一部、一方、背後の高いところにあるマンションは手前の民家とは建っている段が異なり、平成になってからできたもの。昔は民家の裏山だったのではないでしょうか。



 集落を抜けて道路に出ました。この道は、町田街道から分かれ坂を上がって行き、多摩境通りと立体交差して、更に稜線を越えて八王子市鑓水地区に続いています。今度はこの道を上ります。

 小山田端自然公園

 するとすぐに左手に緑地が見えてきました。小山田端自然公園です。この辺りは谷戸地形になっていて、夏に訪れると結構湿潤な雰囲気のところです。斜面の上に見える住宅は、里山を削って造成した住宅地。公園からのこの住宅地に上がる階段があるのでそこに向かいました。



 その住宅地に上がってきました。しばらくは水平移動。路地を歩きます。



 ほどなくひな壇状になっている住宅地の南の縁に出ました。橋本のビル群が見えます。目の前は境川が削った低地なので、視界を遮るものがありません。まあ、電信柱はしょうがないとして。



 サザンカの垣根。数少ない冬の花です。

 小山観音谷戸緑地

 住宅地を抜けると小さな公園が現れました。小山観音谷戸緑地と表示されていました。この辺りの団地を造成する際に調整池とともに造られたもののようです。写真右のフェンスの向こう側が調整池でしたが、深さ10mくらいの四角い窪地には水はありませんでした。

 二つの街並み

 その緑地公園の先からの展望。眼下の街並みは昔からのもので「地番地区」、段の上は「住居表示地区」の街並みです。
 ちなみに、地番は登記上の一筆(一つの土地)単位で付けられている番号なので、その土地内にいくつか住居があると詳細には場所を特定できないのですが(昔はその土地に一軒の住居しかなかったりして不都合がないことが多かったのでしょう。)、住居表示は街区ごとに区切っていって最後は個別の住居(建物)まで番号を振るので、場所を正確に特定できるという特徴があります。市町村が住居表示化を進めるのは、行政サービスを効率的にする目的があるからですね。なお、住居表示化されても登記上の地番がなくなるわけではなく、課税などの基礎とされているとのことです。(今回調べてみてなんとなく疑問に思っていたことを初めて明確に知りました。)

 ビワ

 その下の街に下りて、町田街道の一本裏手の道を歩いて行きます。すると変わった形の木が。これは剪定を繰り返した結果の姿だと思いますが、よく見るとビワの木でした。



 花が開いていますね。ビワは冬に花を咲かせる少数派の植物です。

 コブシ

 こちらは別の民家の庭先から伸びていたコブシの枝。早春の開花に備えて、もふもふの冬芽が待機していました。

 宝泉寺

 右手に立派なお寺が現れました。宝泉寺という、南北朝時代に創建された臨済宗のお寺とのことです。



 広い境内には人の気配はありませんでしたが、綺麗に整えられていて、新年の凛とした空気が漂っていました。
 このお寺が創建された室町幕府初期は足利将軍がまだ鎌倉に居た時代。鎌倉からそう遠くはないこの地は当時どのような世相だったのでしょうか。

 宝泉寺谷戸

 宝泉寺を後にして、その西側の谷戸を上っていきます。この辺りの谷戸は稜線に向かって櫛の歯状に大小切れ込んでいて、それぞれに「○○谷戸」といった名前が付いているのが普通で、ここの谷戸は宝泉寺谷戸、あるいは地名から三ツ目谷戸と呼ばれているようです。さっきの観音谷戸緑地のあった小さな谷戸もきっと観音谷戸というのだと思います。



 途中から谷戸を外れて右へ。宝泉寺の裏手に回り込んで来ました。更にこの奥へ進んでいくと新しく開発された宅地があるはずです。



 道はすぐに突き当たりました。階段の上は多摩境通りの段になります。左手はこんもりとした小山。緑地として開発から残されたのでしょう。



 道をちょっと引き返して、その緑地内に設けられた散策路に入っていきます。



 落葉広葉樹が中心の雑木林ですね。冬のこの時期は林床まで日差しが届いて明るいです。この辺りのかつての環境が伺い知れる緑地です。

 宝泉寺谷戸

 先ほどの宝泉寺谷戸を尾根側から見た眺め。奥まで宅地化されていますね。もともと谷戸の中は水田や畑として利用されてきていることを考えると、谷戸に建つ家々は、上の段の造成地の住宅地ほどではないにしろ、昔からある集落よりはずいぶん新しいものと言えます。
 遠くのビル群は橋本の街並みです。橋本は相模原市緑区の中心地。JR横浜線と相模線、京王相模原線と3路線が通るターミナルです。南の相模大野、北の橋本と、相模原市は地方都市には珍しく二つの中核市街地を持つ市です。



 谷戸の更に西側、三ツ目山公園として整備されたエリアを歩いていきます。

 久保ヶ谷戸

 公園の端まで来ると眼下にまた新たな谷戸が現れました。久保ヶ谷戸です。この谷戸は幅は広くはありませんが奥行きがあります。民家できっちり埋まっていますね。
 視線を奥の丘の上に向けると、そこにも住宅地があるのが分かります。



 いったん谷戸の底まで下り、民家の間を通ってまた反対側の斜面を登り返します。なかなかきつめの階段です。



 階段を登りきったところで振り返るとこの風景。右の森と左手前の低地が三ツ目山公園。森の手前が久保ヶ谷戸の民家。正面奥の平たい建物は小山ヶ丘小学校。左の大きな建物は多摩境通り沿いに建つマンションです。写真左半分は「The 造成」といった感じですね。



 眺望を楽しんだ後、再び歩き始めます。写真右の住宅地から出てきて、横断歩道を渡り、小さな公園の中まできたところです。この車道は橋本駅北口から真っ直ぐ北上する道で、多摩美大の前を通って、柚木街道(都道20号線)まで続いています。

 三ツ目山西公園

 ミスターマックスの南側に南欧風(?)で統一された感のある住宅地があり、その縁を歩いて行きました。するとひな壇の南東端部に小さな公園が現れたので、ちょっと寄ってみることに。看板には三ツ目山西公園とありました。



 広々とした眺めです。目の前の風景は相模川の左岸の河岸段丘地形で、その上に広がる橋本の街並み。河岸段丘は先に行くほど段が下がるのでこの広々感が出るのです。ここに家を建てたら毎日この景色が眺められるんですね。公園ですけど。普通に2戸、上手くすれば3戸は建ちそうな広さはありました。



 ここの住宅は全戸薄いレンガ色の統一感のある家並み。これが南欧風たる所以です。

 町田街道

 小山のプロバンスから道を下り町田街道まで下りてきました。「小川」という人気のラーメン屋さんのある辺りです。

 お不動さん

 街道の角にお不動さんが。辻の祠にしてはずいぶん立派です。
 ん? 不動明王は仏教の信仰対象のはずなのに祠にはなぜか注連縄が。神仏習合の名残でしょうか。わりとフリーダムですね。この辺りは小山と相原との境にあたることから、もともとは塞ノ神として祀られたものかもしれません。



 町田街道を少し歩き、相原三叉路を右手の道に。更にまたすぐに右手の路地に入り坂を上っていきます。

 蚕種石(こたねいし)

 山の縁を巡るように上っていくと、道が分岐する又のところに注連縄が張られた石がありました。脇に解説板もあります。
 読んでみると、2千数百年前の神話っぽい話が記されていましたが、論旨不明解(失礼)により残念ながら今ひとつよく分かりませんでした。ただ、元々旧家の敷地内に祀られていたものを、平成31年1月(ちょうど1年前)にその屋敷の建て替えを機にこの地に移したということは分かりました。
 ネットで調べてみると、この場所よりもう少し奥に入ったところの旧家のお屋敷にあったもののようです。その記載では「蚕種石の言い伝え。柴田家屋敷の一角に石組みの台座に乗った「まゆの形」をした石が置かれている。蚕種石と伝われて養蚕が盛んだった時代に農家の人達が「蚕の守護神」として信仰していた石で、八十八夜が近づくと、この石は緑色に変わって農家の人達に「蚕のはきたての準備をしなさい」と知らせてきれたと伝えられている。由来有るこの石も長い間土に埋められたままかえりみられることも無かったが、昭和四十年有志により現在地に祭祀された。」 なるほど。で、そこから去年ここに移されたということでしょう。
 そうか、あの石の形はカイコの繭の形なのか。なるほど、これでよく分かりました。



 蚕種石の横にはお地蔵さん(?)も。こちらはずっとここにあったのだと思います。小山と相原との境界を示す道祖神でしょう。

 コクサギ

 これはコクサギの実ですね。コクサギは葉の付き方が特殊で、右、左、右、左…と交互に付くのではなく、右、右、左、左、右、右…と2回ずつ同じ方向に付きます。

 蚕種石谷戸

 更に歩いて行きます。左手にはその名も蚕種石谷戸。幅、奥行きともにかなり大きな谷戸です。谷を挟んで向こう側の丘まで住宅で埋められています。

 国道16号線

 谷戸の西側斜面を通る国道16号線に出ました。この辺りは「16号」でイメージする車の量とは違っていますが、これは並行する八王子バイパスが何年か前に無料化されたので、そちらに流れていっているものと思われます。

 カラスウリ

 16号を渡って住宅地に入りました。民家の垣根にカラスウリの実が。こうやって残っているということは、鳥たちにとっても特に美味しいものではないということでしょうか。



 結構な坂道です。かなり上の方まで住宅地が続いているみたい。



 住宅地の中をくねくねと曲がり、途中からびっくりするような斜度の階段に入りました。



 大汗をかいてピークまで上がってきました。結局山頂まで全部住宅地でした。ここからは写真左手の道に入ります。



 どうやらこの辺りは多摩丘陵の主稜線上のよう。そして目の前に橋があります。稜線上に橋???

 八王子バイパス

 橋から下を覗くと、ジャーン。八王子バイパスでした。国道16号線が橋本の街を過ぎると自然とこのバイパスに入るようになっていて、ここで峠を越えていきます。



 反対側はこんな感じ。あの向こうが八王子の市街地方面になります。

 中ヶ谷戸

 橋を渡った先のかすみが丘住宅の縁に沿って歩いて行くと、また新たな谷戸が現れました。中ヶ谷戸です。かなり幅が広く、しっかり住宅で埋まっています。ずっと奥に見えているこんもりした山は津久井の城山ですね。さすがは稜線上の眺望です。



 住宅地の西縁の坂道を下っていきます。写真右側の藪の向こうは谷戸に向かって下る崖面になっているんですよね。



 坂道の途中から谷戸の底に向かって下っていく階段がありました。ここを下りていきます。

 アーチェリー

 谷戸の底に下りると意外なものが。なんと小さなアーチェリー場でした。車が停まっていることからも分かるとおり、アーチェリーを楽しんでいる人が何人かいました。まだ正月4日なんですが。好きなんでしょうね。趣味がアーチェリー、ちょっと憧れます。



 中ヶ谷戸の出口に向かって歩いて行きます。この辺りはもう平地になっていて、昔からの集落の様相です。



 町田街道の手前を右に折れ、並行する旧道へ。右手の黒塀は文化財に指定されている旧家の塀。今も住まれているようでした。

 相原駅

 13時20分、ゴールの相原駅に到着しました。ふくらはぎは結構張っています。ところで、いつの間にか雲が多くなってきましたね。



 改札を入って跨線橋上から南側を望むとこの景色。橋本方面の眺めです。ここからは電車に乗って戻りましょう。
 
 正月三が日も過ぎたので、ちょっとした運動もかねたフットパス歩き。今日はいくつもの谷戸を上ったり下ったりしながら、昔ながらの街並みと新興住宅地を巡りました。
 新たな発見もあり、楽しい野山歩きとなりました。