多摩丘陵でフットパス 〜かしの木山から芹ヶ谷公園〜


 

 「かしの木山から芹ヶ谷公園」

【東京都 町田市 平成27年1月31日(土)】
 
 寒く乾燥した毎日が続いています。今日は1月の晦日。今年ももう一箇月が過ぎてしまいました。
 さて、今回はフットパスです。いろいろある中でガイドブックから「かしの木山から芹ヶ谷公園」というコースを選択。実際に歩くのはコース名よりもっと長く、小田急線の玉川学園前駅から南下して町田駅までです。電車では一駅ですが、くねくね歩くので歩行距離にすると5km以上あります。コースには今週降った雪がまだ残っているでしょうね。それも楽しみです。
 
                       
 
 朝食後、小山内裏公園を散策してから11時前に多摩境駅を出発。多摩センターで小田急線に乗り換え、新百合ヶ丘でもう一回乗り換えて玉川学園前駅に到着しました。

 玉川学園前駅

 玉川学園前駅は、周辺に閑静な住宅街が広がっているせいか、洒落た花屋なんかもあって落ち着いた雰囲気でした。

 白髪ねぎ牛丼

 到着したのはもう11時半近く。駅前のすき家でちょっと早めの昼食をとることにしました。注文したのは期間限定の白髪ねぎ牛丼です。


Kashmir 3D

 今日のルートは、多摩学園前駅から丘陵の稜線上を南下。かしの木山から恩田川の川筋に下りて、そこから先は芹ヶ谷の谷戸の奥へと入り込んでいきます。谷戸のどん詰まりから丘の上に登ったらそこは町田の市街地。ゴールの町田駅はほどなくです。

 さて、牛丼を完食してから改めてスタート。時刻は11時40分です。まずは線路に沿った道を行きます。奥に見えている大きな建物は玉川学園の一部。ここから丘の上にかけて結構広い敷地があるようです。
 しばらく先を右手に折れて住宅街の坂道を登っていきます。狭い道なのに車の交通量が多いのは、この辺りはどこへ行くにも車が必要な地域だということでしょう。毎朝駅までの送る車の渋滞もありそうです。

 坂の途中に朱い鳥居が。額束には「ぬほこ山 本宮」と書いてあります。(本来は「ぬぼこ」と発音)

 ぬぼこ山本宮

 参道の奥に向かうと民家のような神社が現れました。とりあえず参拝。この時は気がつきませんでしたが、この拝殿の後ろに朱塗りの本殿があるのだそうです。ところで「ぬぼこ」とは聞きなれない言葉ですが、漢字で書くと「瓊寳庫」。ただこれは音に字をあてはめたもので、元は「抜剣」から来ているとのこと。霊験のある剣という意味だそうです。

 坂を登りきって尾根部分に出ました。ここの分岐は右手に進んで、後は尾根道を歩いていきます。

 民家の間から一瞬西方向の遠景を望めるところがありました。雪をまとった丹沢山地が清々しいです。これから手前の谷を右手から回り込んで、向こうに見える尾根を歩いていきます。谷も尾根も民家で埋め尽くされていますね。

 ニラハウス

 しばらく行くと黒くて大きな屋根が現れました。谷側の斜面から建ち上がって、目の位置に屋根があります。民家にしてはちょっと変わっていますが、ガイドマップの解説を読むと、これはニラハウス呼ばれる建物で作家の赤瀬川原平さんという方の家なのだとか。大きな屋根の全面にニラを植えていたのでニラハウスというのだそうです。最近は植えていないのか、それとも今が季節ではないのか、写真のとおり何も植わってはいませんでした。

 尾根道の両側には閑静な住宅街が広がっていました。地形的には左手はすぐに谷へと切れ落ちているようですが、右手はしばらく平坦面があってその先から緩やかに傾斜しているようでした。 この道は鎌倉古道だそうです。

 民家の軒先に立派な夏みかんが(甘夏かも)。こうやって枝につけたまま冬を越させると酸味が和らぐのだそうです。

 緩く弧を描く尾根道の先には大きなグラウンドがありました。ここは三井住友海上の研修施設。トラックでは女子ランナーが走り込みをしていましたが、実業団の選手でしょうか。
 遠くには表丹沢の稜線が望めます。気分がスカーッとするような景色ですね。

 敷地の境界に沿って歩いていきます。

 昭和薬科大学

 左手には昭和薬科大学の西門。大学院の入試が行われているようでした。

 やがて住宅地に出ましたが、その中には入らずに左手の森に入ります。道は進むにつれて下り始めました。雪解けでぬかるみ、滑りやすいです(実際滑って尻餅をつきそうになりました。)。

 森の中には小さな神社が。名前は分かりませんでしがが、森の中に静かに佇む姿になにやら霊験のようなものを感じたので、参道を奥まで進みお祈りしておきました。家内安全と世界平和を。

 森を下り切ると交通量の多い道に出ました。こどもの国のある横浜市の奈良と本町田とを結ぶ道路です。
 ところで、現在町田市の中心繁華街は町田駅のある原町田という地域ですが、鉄道敷設前はこの本町田だったそうです。本町田は丘陵地の中にある比較的開けた場所にできた集落で、谷戸という水に恵まれた環境から稲作も盛んだったとのこと。一方、当時、現在の原町田のある地域は相模川の河岸段丘に広がった原野で、本町田に住んでいた人の一部が移住して原野を開墾し畑などを作っていたのだそうです。なので「原町田」。それより前は本町田は「本」を付けるまでもなく元々「町田村」だったわけです。しかし鉄道の威力は凄まじいもので、明治の終わりに現在の横浜線が開通し原町田駅ができるとこちらの集落が大きくなり始め、昭和の初めに都心と直結する小田急線が開通し新原町田駅ができると一気に形勢が逆転したのだそうです。ちなみに先に町田駅に改称したのは小田急の方で昭和51年のこと。JR(当時は国鉄)は昭和55年のことだったそうです。

 坂を登りきったところに「かしの木山自然公園」という緑地の入り口がありました。この中に入っていきます。

 森の家

 坂を上ると左手に管理事務所「森の家」がありました。さっそく中へ。誰もいませんでしたが(yamaneko以外は)、すぐに管理人の方が来て室内に暖房を入れたりしてくれました。一日ここで一人でいると誰かとしゃべりたくなるのかもしれませんね。こっちが質問する前からあれこれと解説してくれましたから。でもとても親切で有難かったです。

 かしの木山自然公園

 町田市の広報誌にここでの自然観察会の案内が定期的に掲載されているので、「かしの木山」という名前だけは知っていましたが、今回初めて訪れました。丘陵の先端部に残った自然を公園として守っているようです。ここも鎌倉古道の一部。

 

 かしの木山を過ぎると徐々に下っていきます。右手には遠くに丹沢を望む風景が。

 鞍掛の松公園

 道は住宅街の裏手を通っていきます。途中に鞍掛の松公園というのがありました。公園といっても宅地一軒分の広さです。「鞍掛の松」というくらいだから、誰かがここで馬から下りてその鞍を松の枝に掛けたんだろうなと思っていましたが、解説によると新田義貞とのこと。ということは北条の軍勢を撃破しながら一気呵成に鎌倉に攻め入ったときのその途中ということになりますね。

 

 鞍掛の松公園の少し先で右手に折れ、恩田川の川筋に向かって坂を下りていきます。

 恩田川

 坂を下りきると恩田川の畔に出ます。ご覧のとおり三面護岸で一直線。でも昔の地図(昭和初期)を見てみると小さな蛇行を繰り返す川筋だったようです。この河川改修は治水目的ということでしょうが、住宅を効率的に建てるにはまっすぐが便利ということもあったのでは。

 高ヶ坂地区

 恩田川を渡ると高ヶ坂(こがさか)地区。なだらかな起伏の上に住宅地が広がっています。

 熊野神社

 細い道を何度も折れて熊野神社までやって来ました。ずいぶんと立派な神社です。ここでも真摯に手を合わせてお祈りを。

 高ヶ坂石器時代遺跡

 熊野神社から次の高ヶ坂石器時代遺跡までが道が分かりにくく迷ってしまいました。同じようなところをグルグルと。近隣の方から見たら不審者っぽかったかもしれませんね。でも怪しい者じゃありませんから。

 竪穴式敷石住居跡

 それでも何とか見つけました。遺跡は民家の裏手にあり、奥に進んでいくと小屋に覆われた住居跡がありました。残念ながら鍵がかかっていて中には入れませんでしたが。で、解説によると縄文時代中期末頃の竪穴式敷石住居跡とのこと。そうか、縄文時代も石器時代に含まれるんだ。(と今さら納得。)
 この遺跡、ガイドブックには国指定史跡第1号とありました。なるほど、それであんなに石柱が立派だったのか。

 モクレン

 遺跡見物を終えたら元来た道を戻ります。
 大きなモクレンの木。冬芽も大きく今にもほころびそうでしたが、まだ寒の内です。

 原町田市民の森

 しばらく戻ってから芹ヶ谷の谷戸に向かいます。谷戸の口辺りの斜面は一部開発を免れたのか、「原町田市民の森」という小さな緑地になっていました。ここの小径を行きます。

 スイセン(八重咲き)

 道の脇にスイセンが頭を重そうに垂れていました。八重咲きなので園芸品種が逃げ出したものではないでしょうか。

 国際版画美術館

 谷戸をさかのぼっていくと大きな建物が。ここは本当に谷戸の中か?というくらい大きな谷戸の中にでーんと建っていました。
 この建物は市立の国際版画美術館だそうです。昭和62年のオープンとのことなので、バブルの絶頂期に建てられたものですね。それにしてもなぜ町田と版画が結びついているのか。

 芹ヶ谷公園

 芹ヶ谷公園は細長く、まだまだ奥まで続いています。これは巨大な噴水のオブジェ。割り箸ではありません。高さは10mくらいあって、二つの棒がそれぞれ違う向きにじんわりと動いていました。噴水なのでときどき水も出るそうです。

 芹ヶ谷公園

 公園の奥の方は谷戸のどん詰まりだけあってちょっと薄暗い感じ。夕方は寂しい感じかも。

母智丘神社

 公園の最奥部から階段を上って丘の上へ。なんだか急に街に出た感じです。そこにあったのが母智丘(もちお)神社。母智丘とはもともと宮崎県都城市にある地名だそうで、大正時代にそこの神様をこの地に勧請したのだそうです。しっかりとお参りしておきました。

 町田市街

 母智丘神社からは普通の市街地の中を歩いて行きます。そして街並みが繁華街っぽくなってきたら町田駅はすぐそこ。ゴールはJRの町田駅です。
 時刻は2時20分。ずいぶん歩いた気がしましたが、所要時間は2時間40分でした。今回のフットパスはここで終了。ここからは横浜線で橋本に向かい、京王相模原線に乗り換えて一駅で多摩境です。
 風もなく穏やかな楽しい野山歩きでした。