多摩丘陵でフットパス 〜岡上から長津田〜


 

 「岡上から長津田」

【横浜市 青葉区・東京都 町田市 平成26年11月3日(月)】
 
 早いものでもう11月。つい先日までクールビズだったにもかかわらず、書店にカレンダーコーナーが設置されたり、テレビで年賀状発売のCMが流れ始めたりと、少しずつ年末感が漂い始めました。子供の頃、月刊誌の「◯月号」というのが必ずひと月先の表示になっているのを見るにつけ「なんでそんな先のことを」と何か釈然としないものを感じていましたが、今や二月、三月は当たり前で、正月前から雛祭り、お盆の時期から新入学です。そのうち一周回って月遅れみたいになったりして。
 
                       
 
 さて、商業ベースの季節感とは別に、実際の自然のサイクルはちゃんと巡っていて、この時期は秋が深まって清々しい晴天の日が続いています。そんな秋の一日、また多摩丘陵のフットパスを歩いてみることにしました。今回は妻と一緒です。最近、妻の職場で健康づくりの一環として、グループ対抗で歩いた歩数を競うというのをやっているらしく、四六時中万歩計をつけて、そのカウンターを気にしています(ときにはその場で足踏みしたりしています。)。なので今回のフットパスは妻リクエスト。しかも1コースでは足りないとのことで、2コース連結で歩くことになりました。その距離約10kmです。

 鶴川駅北口

 小田急線の新百合ケ丘駅で小田原方面の電車に乗り換えて2駅目。鶴川駅で下車しました。鶴川駅はかろうじて町田市に属していますが、すぐ後ろが都県境になっています。一日の乗降客数が7万人弱で町田市の東の玄関口という位置付けだそうです。ちなみに町田駅はJR、小田急合わせて51万人だそうですから、それと比べるとまあ玄関と言うより勝手口っぽいですね(町田市の都市計画でむりやり「西の玄関口」と位置づけている多摩境駅(我が家の最寄り)は2万5千人ですから、こっちは風呂場の窓といったところか。)。
 それはそれとして、鶴川駅の北口側(東京都側)は賑やかでした。もともと鶴見川沿いの開けた地形とはいえ、多摩丘陵のど真ん中の山里がこれほどまでの人口(鶴川地区だけで7万3千人)を抱えるようになったのは、都心に直結している小田急線が通っていることが大きいでしょうね。それでも丘陵の北側に広がる多摩ニュータウンの開発に比べれば、まだまだ自然の地形もたっぷり残されています。そういえばスタジオジブリの「平成狸合戦ぽんぽこ」で、開発を続ける人間との戦いに敗れた狸たちが、わずかに残された山奥に移り、そこでひっそりと暮らすこととなったその場所が鶴川付近だったと思います。

 Kashmir 3D

 今日のコースは、鶴川駅から南下して東急線の子どもの国駅へ。ここまでが「岡上から奈良」というコース。そこから更に南下して横浜線と田園都市線が乗り入れる長津田駅まで。これが「成瀬尾根から長津田」という二つ目のコースです。

 午前11時、北口をスタートして線路沿いに歩き、踏切を渡って駅の南側に回ります。そこからは景色はぐっと長閑になり、正面にこの辺り本来の里山風景が顔をのぞかせてきました。

 鶴見川

 すぐに川が現れました。この川は鶴見川。町田市北端にある多摩丘陵の谷戸の奥を源流とし、南東方向に下って、川崎市で東京湾に注ぐ一級河川。流域の人口密度は全国1位だそうです。広大な多摩丘陵を削り出してこれほどの大きな低地を作ったのですから、有史前から幾たびも大きく流路を変えてきたのだと思います。人間が暮らし始めてからは暴れ川として怖れられたでしょう。

 護岸が施されていますが、河床は天然のようですね。筋状に侵食されているのはこの辺りの基盤地質の上総層(海成の堆積層)が露出したものだと思います。泳いでいる鯉がみな大きいですが、餌が豊富なんでしょうか。

 ケヤキの大木

 本村橋を渡って右岸側へ。ここから丘を登っていきます。大きなお屋敷のケヤキの大木がいい感じに黄葉していました。

 しばらく進むと岡上交番の交差点で交通量の多い道に合流。その道沿いに歩くとほどなく岡上神社が現れました。ちょっと寄ってみることに。

 岡上神社

 創建年代は不明とのこと。明治後期に国策として行われた神社の統廃合の際に近隣の4つの神社を合祀して今の神社になったとのことです。とりあえず諸々お祈りしておきました。
 ところで、先日、明治の博物学者で生物学者で民俗学者だった南方熊楠が、この全国で行われた神社の合祀に反対していたという記事を読みました。合祀によって廃社となった神社の社叢が根こそぎ伐採されていくことに危機感を覚えたからとのことです。寺社林にはしばしばその地域の植生の極相が保存されています。現在、街中にある神社でも大きな樹木が残されていたりしますよね。信仰が残してきた自然の姿なんですね。

 岡上神社の裏手に出て、そこから右手に通りを外れて農耕地へ。ここは起伏のある広い丘陵地が一面畑や果樹園になっています。岡上営農団地というところのようです。

 岡上営農団地

 昭和40年代後半、多摩丘陵には大規模開発の波が押し寄せてきましたが、ここ岡上では営農への意欲が盛んだったとのことで、昭和48年から10年の年月をかけてここに営農団地を作り上げたのだそうです。ちなみに岡上地区は川崎市麻生区に属していますが、地理的には飛び地の状態になっているところ。戦前に近隣が横浜市に合併される際に、昔からつながりの深かった柿生地区(柿生は川崎市と地続きだった)とともに川崎市に編入される方を選択したといいます。そのころから我が道を行く気風があったのかもしれません。

 ここはカキが名産なのか特にカキ畑が多いようです。日本に自生していたカキはそのほとんどが渋柿だそうですが、この辺りは日本最古の甘柿の品種である禅寺丸柿の産地なのだそうです。岡上と一緒に川崎市に編入された柿生地区はこのカキの産地であることから名が付いたとのこと(現在は柿生という地名はなく、駅名にその名が残っているのみ。)。

 長閑な農村風景の中、丘を下っていきます。どこからかモズの高鳴きが。秋ですな。

 稲刈りを終えた田んぼにはぜ掛けの列が並んでいました。ただいまモミの乾燥中です。この風景を見て雨ざらしでちゃんと乾燥できるのかなと子供の頃は不思議に思っていましたが、よく考えると米は籾殻で包まれているので雨に濡れることはないし、刈ったことで根から供給されていた水分が断たれるわけで、しばらく掛けておくと自然に乾燥するのも当たり前ということに気づきました。今更。

 無人販売所

 農家の庭先に野菜の無人販売所がありました。あらかた売れてしまった後でしたが、美味しそうなカキがあったので、おやつ代わりに購入。3個で300円でした。

 禅寺丸柿?

 ズボンの腰で擦ってカキの表面の汚れを落とし、皮ごとかじりつきました。こんな食べ方をしたのはずいぶん久しぶりです。懐かしい味がしました。

 秋の空

 丘の道を再び登って行きます。見上げる空は高い高い秋の空。

 尾根の道

 丘を登りきると尾根を境にその先には大住宅地が広がっていました。すり鉢状の地形を活かした半円状の住宅地です。その尾根伝いに細い道が続いていて、そこを辿って行きます。

 玉川学園台団地

 写真正面のこんもりとした森の左脇に赤い家が見えますが、稜線の向こうにある営農団地からそこに上がってきて、ぐるっと反時計回りに尾根道を歩いてここまで来ました。

 なんか変わった建物が現れました。どうも酪農の牛舎みたい。玉川学園の裏手に出たようです。

 玉川学園

 農耕地、住宅地に続いて、次は大学のキャンパス内へ。モザイク状に開発が行われてきた多摩丘陵にありがちな風景です。ここからしばらく学園内を歩かせてもらいます。

 学園内にはこんなシャレオツな建物も。ここには幼稚園から大学まで揃っていて、この辺り一帯の住居表示も「玉川学園◯丁目」となっています。
 小田急線は昭和2年に新宿から小田原まで一気に開通したそうですが、当時はまだ玉川学園駅はなく、開業の2年後にできたのだそうです。当然、ここに大学ができたからです。当時から学校を核とした宅地開発が行われていたそうで、同じ小田急線沿線の成城学園や東横線の学芸大学などでも閑静な文教地区という開発構想が成功したそうです。

 小田急線

 敷地内には小田急線が切通し(一部トンネル)で貫いています。写真のカーブの先に玉川学園前駅があって、学生たちはそこからえっちらおっちら歩いてくることになります。この駅は今朝下車した鶴川駅の隣駅に なります。

 

 キャンパス内のサクラの木が花を咲かせていました。十月桜でしょうか。

 左が玉川学園

 玉川学園の敷地を通り抜けたところで階段を下ります。この坂道は学園の敷地の境界に沿って伸びる道で、あまり生活道路として使われているようには見えません。地図を見てみると、玉川学園は、丘陵の上からその周囲の谷戸の底にかけて、かなり高低差のある敷地にいくつもの学舎を配置していることが分かります。

 チョウゲンボウ

 キィキィキィキィ。木立の上の方から鋭い鳴き声が聞こえてきました。さっっそく双眼鏡で探してみると…。おおっ、チョウゲンボウです。ここで獲物を探しているのでしょうか。 一般に鳥類の視力は優れていて、三原色のほか人間様には識別できない紫外線も識別できるのだとか。 チョウゲンボウは野ネズミの尿が反射する紫外線を捉えて狩りに役立てているのだそうです。これって、日焼け止めを塗っていると鳥に見つかりやすいということでしょうか。

 エビヅル

 道の脇のフェンスにいい色になったエビヅルの葉が。こういう紅葉はしみじみ秋を感じさせますな。

 土橋谷戸

 坂道を下りきり、そこから谷戸の出口に向かって歩いて行くと、やがて開けた耕作地になりました。ここは土橋谷戸というそうです。 昔からこの辺りまでが耕作地で、さっきまで歩いて来た谷戸の最奥部はカヤや小枝などの柴刈り場として利用されてきたのだと思います。

 ニラ

 これはニラの花殻。田んぼの土手に生えていました。黒いのは種子ですね。

 奈良集落

 奈良の集落の中を歩いて、やがて広い道に出ました。岡上神社の横を通っていた道が稜線を越えてここに続いているのです。この先で一つ目のフットパスコースが終了。ここまででちょうど所要2時間です。

 こどもの国駅

 しばらく道なりに南下して「こどもの国」の入り口前で右手の川を渡ると東急のこどもの国駅です(正確には横浜高速鉄道が施設を保有していて、それを東急が運行している。)。駅は閑散としていましたが、電車が到着したときはどっと人が下りてくるのだと思います。広大な駐車場はそこそこ車で埋まっていたので、大半は車で来るのかもしれませんが。

 ミックスフライ定食

 時刻は1時15分。さすがにお腹が空いたので、駅前の定食屋さんでお昼にしました。yamanekoはミックスフライ定食。美味でした。

 駅周辺には大型スーパーなどがありますが、基本この辺りは住宅地です。平日、こどもの国線は通勤客で賑わっているんでしょう。

 駅前からの賑やかそうなエリアはすぐに途切れて、途中から尾根沿いに細長く残る緑地を歩きます。この階段を上ると民家の裏手に出て、その先の成瀬尾根緑地に続いています。

 成瀬尾根

 一見深い森の中のようですが、幅はわずか10mほど。両側には宅地や商業地が迫ってきています。木々の枝越しに大規模な住宅地の様子が見て取れました。

 コウヤボウキ

 コウヤボウキの花。頑張って晩秋まで咲いています。

 スズメバチに注意とのことでロープが張ってありました。この時期、もう女王蜂も巣を後にしているのでは。

 フユノハナワラビ

 これはフユノハナワラビですね。生き生きとしています。いつも思いますが、なかなか洒落たネーミングです。

 広い農地に出ました。稜線上とは思えない風景です。いかにも日曜農家のような人もいれば、本格的に収穫作業をしている人もいました。中に広い畑でズイキの収穫をしている人がいて、これは汗だくで大変そうでした。

 ベニシジミ

 ベニシジミ。わずか3cmほどの小さな蝶ですが、午後の光を受けて輝いていました。 蝶といえば春のイメージですが、この蝶は年に3〜5回も発生するのだそうです。

 しばらく行くと住宅地の端に出ました。あかね台の団地です。この辺りは完全に丘の上まで住宅が来ていますね。

 右手(西斜面)は草原状になっていて見晴らしが良さそうです。 この住宅地の端の家は、広々とした風景が毎日楽しめるので最高ですね。ただし日常生活では坂の上端の立地で大変かもしれませんが。

 成瀬山吹緑地

 手前にあるボードはここから見える山々の名前が記してありました。多摩丘陵屈指の山岳展望台なのだそうです。

 丘を下る

 しばらく住宅地の縁に沿って歩き、今度は木立を抜けて右手に下っていきます。急坂のうえに滑りやすい地面で、ちょこちょこ小股で下りました。きっと万歩計のカウンターをずいぶん稼いだと思います。

 成瀬街道

 住宅の脇を通って急な斜面を下り切ると、そこには成瀬街道が通っていました。町田の市街地と横浜の青葉台を結んでいる道です。急に街に出てきたのでなんか現実に引き戻されたような変な感じがしました。

 恩田川左岸

 市街地を少し進み恩田川を渡る手前で左に折れて川沿いを歩きます。歩道には桜並木が。春には見事でしょうね。

 恩田川

 橋を渡って対岸へ。時刻は3時ですが、川面に反射する光がもう夕方のような雰囲気を醸しています。

 恩田川右岸

 渡った先でも川沿いを。こっちの桜並木は更に凄そうです。レジャーシートを敷くのにもってこいのスペースもありますね。この先には成瀬クリーンセンター(下水処理施設)があります。

 梅稲荷大明神

 クリーンセンターの正面入口前から右手の丘の上に続く道を辿ります。辺りはまだところどころに農地が残る静かな住宅地でした。丘を上り切ると、四辻の角に小さな社が。梅稲荷大明神というそうですが、大仰な名前の割には簡素な造りです。それにしてもこの色は梅干し色ですかね。由緒は調べても分かりませんでした。

 東急電鉄車両基地

 社から路地を少し進むと東急の車両基地が現れました。並んだ引き込み線を跨ぐように歩道橋が通してあったので、その上から写真を撮ってみました。何鉄になるのか分かりませんが、好きな人にはたまらないポイントでしょうね。車庫鉄か?

 再び住宅地に戻って長津田駅を目指して歩いてきます。するとこんな可愛い無人販売所が。地元の農家さんが出しているものでしょうか。コンテナの中の飾りが可愛いところを見ると、この農家の長男のお嫁さんあたりがオーナーなのかも(勝手な想像)。

 そのまま進んでいくと踏切が現れました。東急こどもの国線の踏切です。ここまで来たらゴールは目の前です。

 長津田駅

 3時30分、長津田駅の北口に到着しました。JR横浜線、東急田園都市線、こどもの国線が乗り入れているターミナル駅なのに駅前には自転車置き場しかありません(南口も似たようなものでした。)。純粋に乗り換え駅なのでしょう。

 駅の中はそこそこに賑やか。何かホッとしました。さあ、ここから横浜線に乗って帰りましょう。ここからなら橋本での乗り換えを含めても30分もあれば家に着きます。
 
 今日は多摩丘陵の南端をのんびりと歩きました。フットパスのコースを二つつなげたロングコースで、鶴川駅から4時間半。歩数にして1万8千歩でした。でも妻は2万3千歩も。これは歩幅の差としか言いようがありませんね。
 疲れたのか、わずかな乗車時間の中でウトウトと寝てしまいました。