多摩丘陵でフットパス ~小山田から常盤・小山~


 

 「小山田から常盤・小山」

【東京都 町田市 平成26年4月19日(土)】
 
 新年度がスタートしたかと思うと、早くもゴールデンウィークがそこまでやって来ているではないですか。街路樹の枝にもあらかた若葉が開き始め、街中に濃淡様々な緑が溢れています。
 術後1箇月経過し、もうまったく普通に生活できているで、リハビリの仕上げとしてこの週末には山に行くつもりでいたのですが、予報ではどうも天気が不安定のよう。わざわざ雨に降られに行くのもなあ、ということで、多摩丘陵にフットパスに行くことにしました。これなら降っても傘を差して歩けるし。
 
                       
 
 新宿から京王線で40分ちょっと。またまた多摩境駅にやって来ました。途中、車窓からは青空も見えていましたが、到着する頃にはすっかり曇り空に。ホームに降り立つと少し肌寒いくらいでした。

 平バス停

 多摩境駅から神奈中バスの町田ターミナル行きに乗り、途中で1回乗り換えて「平」というバス停に下り立ちました(バスを乗り換えるなんてずいぶん久しぶりです。)。多摩丘陵の主稜線を越えたところにある、鶴見川の上流部に開削されたいくつもの谷戸のうちのひとつ。その入り口部分に当たるところです。空は曇ってはいますが、今のところ降り出しそうな様子はありません。
 時刻は12時35分、ここからスタートです。

 

 バス停の前にオオアラセイトウ(別名ショカツサイ(諸葛菜))が小さな群落を作っていました。近寄って花冠を見ると園芸品種にも引けをとらない美しさ。でも路傍でこの花を摘んでいく人はあまり見かけませんね。雑草扱いなんでしょうか。


Kashmir 3D

 今日もコースは、ここ平バス停から小さな谷戸をさかのぼり、途中から丘陵の尾根に向かって斜面を上ります。尾根緑道に出たら反対側に下っていき、下りきったところから町田街道に沿うようにして住宅地の路地を歩いて行きます。途中、もう一度尾根まで往復して、最後は横土手バス停で終了です。

 ヒメコウゾ

 三面護岸された川の上に張り出すようにして枝を伸ばしていたヒメコウゾ。まだ葉が展開し始めたばかりのようですが、もう雌花(ウニみたいなやつ)は準備OKみたい。一方、雄花(ジャガイモみたいなやつ)の方はまだ固そうです。もう少しするとゴツゴツの隙間から葯を出して花粉を飛ばす準備をするはずです。

 バス通り沿いこそ新しめの民家が並んでいましたが、奥に向かってしばらく歩くとすぐにこんな感じに。

 ニガイチゴ

 森との境の斜面にはニガイチゴの花が。来月後半には実がなりますが、見た目も食感も、そしてもちろん味もgoodです。野山歩き中にこの実を見つけると数個まとめてほおばったりします。

 モチノキ

  しばらく行くと大きなモチノキが現れました。仁王様のような堂々たる立ち姿です。 ちょうど花の時期で、薄緑色の花をびっしりと付けていました。

 モチノキの脇にはちょっと変わった雰囲気の建物がありました。庇の上に漆喰の鏝絵(こてえ)のような手法で「平清浄蔬菜共同集艹所」と表示してあります。冒頭の「平」はこの地区の地名。「清浄」は呼んで字のとおり。きれいに洗われたという意味でしょうか。「蔬菜」は栽培野菜のこと。「集」と「所」の間の文字は欠けていて「艹(くさかんむり)」部分だけが残っていますが、全体の文意からすると「荷」だったのだと思います。この地区の野菜農家さんの共同集荷場だったんでしょうね。建物の中は傷みが進んでいてどうも現役ではなさそうですが、コンクリート製の水槽にはきれいな水が掛け流しになっていました。

 谷戸の中程から斜面の登り、のんびりと尾根筋に向かって歩いて行きます。

 中腹まで登ってきて振り返るとこの風景。谷戸と言うにはすこし開けた地形です。斜面には疎林と農地が広がり、その中に農家や農機具小屋が点在しています。yamanekoが幼い頃を過ごした昭和40年代の故郷を彷彿とさせる風景です。

 ちょっと立ち止まって土手を覆う植物たちを見てみましょう。

 

 スイバ

 スイバです。漢字では「酸い葉」とも書き、子供の頃若い茎を噛んでちょっと酸っぱい味を楽しんだことのある人も多いのでは。春の雑草の代表みたいな植物ですが、ヨーロッパでは昔から野菜として利用されてきたというのですから驚きです。そう言われるとホウレンソウの葉のようにも見えてきますね。

 スズメノヤリ

 地味すぎて見えていても見ていない、スズメノヤリはそんな目立たない植物です。イグサの仲間だそうですが、畳表の材料で力強く伸びるイグサとはずいぶん異なった印象です。

 オオイトスゲ

 これはおそらくオオイトスゲ。「オオ」と名が付いていても高さは10数㎝ほど。「イトスゲ」の大型ということですからそんなものなんでしょう。
 先端の白い棒状のものが雄しべで、トントンと触れると花粉をぼわっと飛ばしました。雌しべは茎の中ほどのもじゃもじゃっとした部分です。スゲにも大小さまざまありますが、このスゲのように小さいものになると、花が地味だけになかなか気がつきませんね。

 カントウタンポポ

 さすがにタンポポはすぐに目につきます。この土手では抜群の存在感でした。一応総苞片を確認してみると、うむ、反り返っていないところを見ると在来種ですね。カントウタンポポでしょうか。

 オランダミミナグサ

 オランダミミナグサは小さな小さな花、花冠の大きさは経8mmくらいです。アップで見ると柔らかそうな毛に覆われているのが分かります。ナデシコの仲間で、よく見ると花弁の先端が2つに割れています。同じナデシコ科のハコベなどと共通した特徴です。「オランダ」の名が示すとおり外来種で、空き地や道端などどこででも見かけます。最近ではミミナグサ(在来種)を見つける方がずっと難しいです。

 キランソウ

 足を止めてじっくり見ると結構いろいろありますね。これはキランソウ。地面にへばりつくようにして咲いています。春になると野辺で必ず見かける花です。自然観察会でその存在を教えてもらうまではまったく視界にすら入ってこなかったのに、名前を知った途端に向こうからの呼びかけが聞こえるようになるのですから、「知る」っていうのは不思議なものです。

 オオイヌノフグリ

 定番のオオイヌノフグリ。可愛い花で大好きなんですが、名前がちょっとねえ…。

 尾根緑道

 歩き始めて30分ちょっと。丘を登りきって尾根緑道に出るとこんな風景が。なんかガラッと雰囲気が変わりましたね。丘の向こう側(西側)は住宅地が広がっているようです。

 道路中央に歩道があり、街路樹の並木を挟んで両側に車道があるつくりです。 並木はケヤキのようです。今度yamanekoが引っ越す小山ヶ丘までこの尾根緑道は続いていますが、途中から車の乗り入れができない完全な遊歩道に変わり、小山内裏公園の遊歩道へとつながる辺りでは深い森の中のような風景に変わっていきます。

 

 尾根筋から見た西側の風景。宅地が多いと言いつつも、まだまだ緑がたくさん残っています。 遠くのビル群は相模原です。

 民家の生垣にあった紅葉の若葉。葉を広げ始めた頃も紅葉することはあまり知られていませんよね。これはまだ葉緑素が十分にできていない状態。春先の強い紫外線から身を守るために秋の紅葉のときと同じようにアントシアンを作るのだそうです。春先に葉が赤くなる植物は他にも結構あります。

 

 尾根緑道がさっき通った バス通りを横切りました。ここからは桜が満開です。これは八重桜。品種名はわかりませんが。こっちの白いのはヤマザクラでしょうか。ソメイヨシノはとうに盛りを過ぎていますが、こちらはまさに今が盛りです。

 どうですかこの並木道。桜のトンネルですね。梢を見上げながらのんびりと歩く。思いがけず至福の時を過ごさせてもらいました。 今日は曇っているせいか桜の下で花見をしている人が一組もいません。休日なのに。ソメイヨシノが咲く時期にどこかでもう花見は済ませてしまったということでしょうか。

 そして桜の花びらの絨毯。レッドカーペットならぬ桜色カーペットです。

 尾根緑道をしばらく歩いて、今度は西側に丘をくだっていきます。その分岐に2本のコナラがありました。

 コナラ

 ちょうど花穂伸ばしたところで、それぞれの花はまだ蕾の状態です。葉も完全には開いていませんね。

 丘を下って行く途中に鳥居を見つけました。ちょっと寄り道してみましょう。

 日枝神社と常盤不動尊

 短い参道を登るとそこには神社と並んでお寺もあるじゃないですか。日枝神社と常盤不動尊だそうです。江戸時代までは神仏習合で神社とお寺が共存していることは普通だったといいますが、たいていはどちらかの勢力が強くて、例えば立派なお寺の境内の隅に小さな祠があったり、またその逆だったり。でもここは双方が同格といった感じで並んでいました。注連縄のある方が神社、鐘がぶら下がっている方がお寺です。

 日枝神社から更に住宅地を下ると町田街道に出ました。この先に街道に並行して境川が流れていて、この辺りが最も低いところになります。町田街道は東京環状国道16号線の抜け道的な使われ方をしていて、交通量に対して車線が少ない(上下2車線)ので、道路脇の店舗に車が入ろうとするたびに小さな渋滞が起こり、それがつながって慢性的な渋滞が発生しています。 何とかしてほしいものです。

 時刻は午後2時、遅めの昼食は町田街道沿いにあったラーメン屋で。人気店のようで、この時間でもちょっと並びました。濃厚なスープがくせになりそうな感じでした。

 境川

 ラーメン屋を出てからは境川の左岸を歩きます。川幅は狭く両側を護岸された姿は住宅地を流れる小川の風情ですが、この川が蛇行を繰り返しながら多摩丘陵を削って行き、幅1km以上にもなる広い低地を作ったのですから、その実力はやはり立派なもの。今でも大雨の時には暴れ川の表情を見せているのだと思います。現に両岸には工事用の簡易フェンスが並べられ、応急処置的に土嚢が積まれていました。

 ナノハナ

 川沿いの小径は人がようやくすれ違えるほどの道幅しかなく、民家の軒先を通るようなところも。自転車が来ると立ち止まってやり過ごさなければちょっと危ないです。
 ナノハナの黄色が鮮やかです。この時期一面の菜の花畑がテレビでよく紹介されますが、いかに広大な黄色い絨毯を見せられても、それが観光用に作ったものと思うとわざわざこんなことして、と逆に冷めてしまいます(ひねくれ者か。)。一面の菜の花が美しいと思えるのは、人々の生活に根ざした風景の一画、例えば一年の農耕のサイクルの中でたまたまその時期にはナノハナが耕作地を覆っているというような、風景との調和というか必然というか、そこにある意味があってこそのものだと思うのです。
 この川土手のナノハナもおそらく観賞用に植栽したものではなく、昔菜種を採っていた頃のものが畑から逃げ出してここで生き延びているのでしょう。yamanekoが美しいと感じて思わずカメラを向けたのも、ごく自然な感じでそこにあったからなのでは(などとこじつけてみたり。)。

 早くもタンポポが綿毛を付けています。この時期に種を飛ばす準備ができているということは、ずいぶん早くから咲いてたんですね。タンポポは花の時期には花茎を高く伸ばして昆虫に訪問してもらいやすくし、その後いったん花茎を倒して地面に寝た後、種子を作る時期になると再び立ち上がって、少しでも遠くまで種が飛んで行くように工夫しています。でも、なぜいったん寝そべるのか。種を作るのにエネルギーが要るので、その間は体力を使わないようにしているのでしょうか。

 川沿いを離れ、町田街道を横切って、再び尾根側の住宅地へ。路地を何度もクランク状に曲がって歩いて行きます。民家の周囲にはまだ農地が残っていたりして、ときおり長閑な風景が現れます。

 中村不動尊

 しばらく行くと右手に入る細い路地があり、その奥に中村不動尊というところがありました。中村とはこの辺りの地名。石柱には「文化八辛羊年秋八月」と彫り込まれています。文化8年8月は西暦変換すると1811年の9月中旬から10月中旬まで。200年前の秋にこの不動尊は建てられたんですね。石段脇には大きなモクレンがありましたが、そのときに植えられたものかもしれません。建立当時のこの辺りはいったいどんな風景が広がっていたのでしょうね。

 再び住宅地の路地に戻って、大きなお屋敷の角を右手に折れます。そこからまた丘の上に向かって小径を上っていきました。垣根が半端なく立派です。

 ニリンソウ

 やがて本当の山路の様相を呈してきた頃、なんとニリンソウの小群落が。この一画には昔の自然が残されていたんですね。

 ムラサキケマン

 ムラサキケマンもひっそりと、でも瑞々しく咲いていました。誰が訪ねて来るわけでもないこの場所でよくぞ。 さきほどのニリンソウといい、今日、ここで出逢えた偶然に感謝です。

 またまた丘を下って行きます。地形としては谷戸のようですが、もう完全に住宅で埋め尽くされていますね。

 竹林

 三たび住宅地に戻ってきました。丘に近いところでは民家の裏に竹やぶがあったりして、タケノコが顔を出していました。ここまで出てるともう食用にするには硬いでしょうね。きれいに手入れされている竹やぶなので、きっとタケノコも収穫されているのでしょうが、今頭を出しているやつは伸ばす用に放ってあるのかもしれません。

 いよいよ今回のコースの終点が近づいてきました。向こうに見える町田街道に出れば終点の横土手バス停です。なんかもうずいぶん歩いてきた感じがします。

 横土手バス停

 午後3時ちょうど、バス停に到着。所要2時間半の野歩きとなりました。今日は最後まで日差しがありませんでしたが、春のこんなくぐもった空の下、ヒバリのさえずりを聞いたり、野辺の花々を見たりして歩くのも悪くはありません。冬だと歩いていても寒くて体が縮こまってしまいますから。
 
 ところでバスの時刻表を見てみると、次は30分後。ちょっと迷いましたが多摩境駅まで歩くことに。で、結果15分ほどで到着しました。そこから新宿までまた40分ちょっと。ふくらはぎの張りをほぐしつつ帰路につきました。
 フットパスのガイドマップは4冊あり計35コースが紹介されています。引っ越した後にまたいろいろ巡ってみたいと思います。