多摩丘陵でフットパス 〜多摩境から絹の道〜


 

 「多摩境から絹の道」

【東京都 町田市・八王子市 平成26年3月23日(日)】
 
 彼岸を過ぎてようやく春らしい日が続くようになってきました。家のベランダから眺めると丹沢山地など1000mを超えるような山々はまだ雪を被っているようですが、その手前に広がる里山には春の便りがあちこちに届いているでしょう。
 
                       
 
 「フットパス」  先日、朝刊を読んでいて目についた言葉です。yamanekoにとっては初めて耳にする言葉でしたが、掲載されていた里山風景の写真に惹かれ記事を読み進んでみました。
 フットパスとは、「イギリスを発祥とする森林や田園地帯、古い街並みなど地域に昔からあるありのままの風景を楽しみながら歩くこと【foot】ができる小径(こみち)【path】のことです。イギリスではフットパスが国土を網の目のように縫い、国民は積極的に歩くことを楽しんでいます。近年、日本においても様々な地域において、各々の特徴を活かした魅力的なフットパスが整備されてきています。」(日本フットパス協会HPより)とのこと。目にした記事は、まだ少なからず自然が残る多摩丘陵でフットパスの普及活動をしているNPOを紹介するものでした。
 今月、簡単な手術をしたので野山歩きを自粛していたyamaneko。リハビリを兼ねて多摩丘陵を歩いてみることにしました。

 多摩境駅

 多摩丘陵でフットパス活動している「みどりのゆび」というNPOに連絡をとって、ガイドマップを入手し、いくつかあるルートの中から多摩丘陵西部の「絹の道」を辿るものをピックアップ。まずはスタート地点最寄りの多摩境駅(京王相模原線)に向かいました。 実はyamaneko、1箇月後にこの駅の近くに引っ越す予定になっています。今住んでいる新宿まで40分という立地だけあって、まだ自然が残っているのも魅力。自然観察会や山歩きなどの活動するにはもってこいの地域なのです。
 多摩境駅の様子はご覧のとおり。一日の乗降客数約2万5千人という静かな駅です。改札やホームなどの駅施設は切通し状の半地下にあるので地上にはこんな地下鉄のような出入口があるのみです。


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 多摩境駅周辺は多摩地域では最も新しい住宅開発エリアのうちの一つで、道路も街並みもまだ新しいです。エリアを貫くように通っている多摩境通りには大型量販店が並び、週末の「コストコ渋滞」は名物になっているようです。一方、昔ながらの里山風景もあちこちに残っていて、農家さんなど古くからの住宅や畑も点在しています。
 今日のコースは、多摩境駅からいったん南に下って、片所(かたそ)地区へ。再び丘を上って多摩境通りを歩き、そこから更に丘を上って稜線の道に入ります。この辺りは小山内裏公園です。内裏公園を北側に下りて鮎道を辿り、そこから北西に向かって絹の道を歩きます。鑓水峠に至ると北側に八王子の市街地が望め、そこから下って住宅街に下りると終点の坂上バス停となります。歩行距離は7.8q。リハビリにしてはちょっと長めでしょうか。
 帰りはバスでJR横浜線の八王子みなみ野駅に向かい、橋本駅で京王線に乗り換えて、多摩境駅に戻ってきます。

 

 12時20分、駅から南に向かい、街区の縁を回るように歩いて行きます。街が新しいということは子供達の数も多いということなんですが、この日は日曜日なのに静かなものでした。

 片所地区

 坂道を下り、谷戸の入り口に当たるところに下りてきました。片所地区です。この辺りは多摩境通り沿線よりも何年か早く住宅が建ちはじめたところのようです。

 ホトケノザ

 道ばたのホトケノザ。蓮の台(うてな)のような形をした葉のてっぺんに、濃いピンク色の小さな花が乗っています。

 

 この週末はお彼岸。近くの墓苑には家族連れの姿も見られました。桜は咲き始めといったところ。今日は特に暖かいので、このまま開花が進むかもしれません。

 

 谷戸を遡るとこんな風景に。左側の藪の小道を行くと、「片所(かたそ)谷戸」と呼ばれる谷戸に入ります。ここの谷戸は地域の人たちによって環境保全活動が行われているそう。 近くにこんなところがあるかと思うと、なんか嬉しい感じがします。

 カントウタンポポ

 春の陽がたっぷりと降り注いでいます。その光は地面を暖め、眠っていた植物の目を覚まさせます。頭上に枝を広げる木々もこの時期には葉を落としているので、花たちの目覚めの邪魔をすることはありません。夏には厳しい日射しを遮ってくれるし、上手くできているものですね。このタンポポもすっかり目を覚ましているようです。

 片所谷戸

 「この谷戸には、さまざまな大切な植物や動物(ホシザクラ、ホトケドジョウ、ホタル…)が生息しています。いためたり採集したりしないで大切に観察しましょう。」との看板が。このホシザクラ、聞き慣れない名前ですが、検索してみるととんでもなく貴重なものだと分かりました。20年前に多摩丘陵で発見された新種で、世界中でこの地域にのみ、計100株程度しかなく、近い将来絶滅のおそれありと危惧されているのだそうです。そんなホシザクラがこの谷戸に50株も群生しているのだとか。ということは全世界の生息数の半分がこの谷戸に…。ぽつんと残された小さな谷戸で生き延びてきたんですね。片所谷戸、よくぞ開発を免れたものです。

 

 さらに進むと丸木の小橋が。この先が水源のようです。水は澄み、カワニナやオタマジャクシの姿を見ることができました。この谷戸の上には交通量の多い通りが走っているのですが、そんな雰囲気はまったく感じません。初夏になったらホタルを見に来たいと思います。

 多摩境通り

 片所谷戸からは斜面を上り多摩境通りに出ます。ここは標高的にはスタート地点と同じ高さ。上の写真は多摩境通りを上から眺めたところで、正面のこんもりとした森の手前辺りが片所谷戸になります。遠くの市街地は相模原。多摩丘陵から南西に向かっては相模川の河岸段丘になっていて、奥に行くほど下がっていくので見晴らしがいいです。

 

 サルスベリ

 多摩境通り沿いにあるうどん屋で昼食を兼ねて休憩。1時30分に再び歩き始めました。今度は通りを挟んで片所谷戸とは反対側へ。通りからさらに上って多摩丘陵の尾根に向かいます。
 途中、大きなサルスベリ(百日紅)がありました。ツルツルした木肌が特徴ですが、この花殻もユニークで、翌年まで長く残っているのでよく目立ちます。

 

 尾根筋へと向かう小径。いい雰囲気です。

 尾根緑道

 尾根筋に出ました。予想外に幅の広い遊歩道が尾根沿いに延びています。この道は「尾根緑道」といって、多摩丘陵の南西縁の尾根上に約8qにもわたって続く公園緑道となっています。元々陸軍の戦車用のテストコースとして整備された道だそうで、昔は「戦車道」とも呼ばれていたそうです。どうりで道幅も広いわけです。正式にはここから東側が尾根緑道で、反対の西側は小山内裏公園となります。でも歩いていて植生や風景など両者に変わりはなく、一体の環境として残されています。
 桜の枝がほんのりピンク色になっていますね。蕾が膨らんできているんでしょう。

 小山内裏公園

 小山内裏公園側に歩いて行きます。こちら側の尾根はV字を3つ連ねたようなジグザグ状になっていて、道もそれに沿っています。V字の下のピークに当たる箇所には展望広場があって、北西から南東までの180度の眺望を楽しむことができます。散歩やウオーキング、サイクリングなどにやって来た人が足を止めて休んでいる姿が見られました。

 

 展望広場からの眺めです。手前の建物群は多摩境通り沿線のもので、遠くは相模原市の市街地です。右奥は大山から始まる丹沢山塊になります。

 内裏公園

 小山内裏公園は東京都が管理する都立公園で、広さは東京ドーム約10個分。大部分がサンクチュアリとして保護地域になっています(公園の概要はこちら。)。写真右側の常緑樹の森にも立ち入ることはできません。

 

 内裏公園の真ん中辺りまで尾根道を歩いて、そこから北側に下りて行きます。上の写真は尾根上から北側の眺め。眼下には管理棟(切妻屋根)と芝生広場が見えます。遠くの街並みは南大沢のマンション群です。

 

 芝生広場に下りたら、管理棟の脇を抜けて公園で最も低いところにある大田切池へ。

 ソシンロウバイ

 ロウバイの甘い香りが辺りに漂っていました。庭木としても愛されているので、この時期、市街地の路地裏などでもよくこの香りに出会います。

 大田切池

 「大田切(おおたぎり)」とは、多摩川の支流の「大田川が途切れるところ」という意味で、もともとは池ではなく源流の小さな流れだったとのこと。池を作った後に立ち枯れて、上高地の大正池のようになったものです。池を造成したときにこの木々を伐採しなかったということは、後のこの景観を狙っていたということでしょうか。

 鮎道入口

 ここからは大田切池の向こう側の丘を歩いて行きます。通称「鮎道(あゆみち)」といい、歴史のある小径のようです。

 ヒサカキ

 春の訪れを告げる花、ヒサカキ。さっきのロウバイとはまた違った系統の香りで、好き嫌いはあるようですが。この匂いに出会うとyamanekoは、自然観察に興味を持ち始めた頃の広島の里山を思い出します。他にもいろいろと、香りと記憶というのは深く結びついていますね。

 

 鮎道はこんな感じの小径。途中にあった解説板によると、この道は昔は「津久井往還」と呼ばれ、神奈川県の津久井(現相模原市緑区)から多摩丘陵の鶴川、登戸を経て多摩川を渡り世田谷の三軒茶屋に至る旧街道だったそうです。相模川の中流域に位置する津久井で取れた鮎を江戸の街まで売りに行くのに通っていたことからこの名が付いたのだそうです。

 カタクリ

 途中にはカタクリの群生地もありました。もう咲いている株もちらほらと。

 

 この花取り巻くすべての色が淡く、辺りはホンワカとした空気に包まれていました。カタクリはスプリングエフェメラル。今年も他の何にも先駆けて花を咲かせることができたカタクリの喜びが伝わってくるようです。

 奥多摩山塊

 鮎道からは北側の山並みが望めました。奥多摩の山々で、中央にある両肩を怒らせた特徴ある姿の山は大岳山(1267m)です。
 今日はここから絹の道へ入りますが、その道は写真正面にある緑の丘を越えていくことになります。絹の道は、昔は神奈川往還と呼ばれ、生糸生産が盛んだった八王子から積出港のあった横浜まで輸出用の生糸が運ばれていた街道のこと。鉄道が発展する明治中期以降は廃れていった道なのだそうです。

 給水塔

 鑓水小山給水所というのが正式名称のようです。今はアスファルトの舗装路(これでも歩道)になっていますが、その昔ここに小さな街道が通っていたとは。当時は森の中だったんでしょうね。

 

 給水塔のある尾根筋から北側に向かって下りていく辺りは今まさに開発されつつあるエリア。上の写真は街区まるごと新築で、まだほとんどが未入居の住宅でした。薄いクリーム色の壁に茶色の屋根で、南仏風のイメージがコンセプトのようです。

 鑓水公園

 途中の陸橋から眺めた尾根の方角。左手の小山は鑓水公園。奥のマンション群の向こうに内裏公園があります。

 

 クマシデ

 クマシデの枯れた果穂がたくさん枝に残っていて、まるで巨大なモビールのようでした。枝先にはちゃんと新しい芽が付いていて、もうすぐ柔らかい葉を展開させるでしょう。

 小泉家住宅

 丘を下りきると都道20号線(柚木街道)に出ますが、その手前に都の文化財に指定されている「小泉家住宅」という現役の家屋がありました。多摩丘陵地域の典型的な農家建築で、築130年以上だそうです。この辺りから北側の丘陵地はまだ昔の面影を残した農村風景が広がっていました。

 大栗川

 絹の道は柚木街道と並行して流れる大栗川を渡って、そこからしばらくは川沿いに続いています。

 

 そして途中から山越えの道へ。

 

 しばらく行くと右手に「絹の道資料館」というのが現れました。この建物はかつての鑓水の生糸商の屋敷跡だそうです。入館無料。

 

 資料館から数十mで古道の分岐が現れます。ここは右手の細い道へ。

 絹の道

 往時の面影を彷彿とさせる雰囲気(おそらく)になってきました。生糸を満載した荷車を引いて、この山道を行き来したんでしょうね。立ち止まると、梢を揺らす風の音に紛れて当時の荷夫たちの荒い息づかいが聞こえたような、気のせいのような。

 道了堂跡

 そろそろ山越えもピークに近づいてきた頃、道了堂という仏閣(麓にある永泉寺というお寺の別院)の跡にやって来ました。張ったふくらはぎに活を入れつつ階段を登ってみましたが、建物の遺構らしきものもなく、平地があるのみでした。若干の徒労感です。むーん。

 フッキソウ

 階段脇にフッキソウが。階段を登ったからこそ出会えたということで、まんざら無駄な上り下りではなかったか。フッキソウは漢字では「富貴草」と書きます。写真は開花前の雄花で、蕾のように見えるのは雄しべです。この花には花弁がなく、雄しべがいくつかに分かれて反るように開いた状態を開花と呼んでいます。

 鑓水峠

 ようやく鑓水峠までやって来ました。向こうに広がっているのは八王子の市街地です。多摩境駅からはるばるやって来たぞー。その昔、八王子から横浜を目指してこの峠を越えるとき、きっと汗をぬぐいながら来た道を振り返って八王子の集落を見下ろしたでしょうね。

 坂上バス停

 鑓水峠からは長い階段を下りきり、八王子バイパス沿いの道を北上します。するとほどなく北野台団地という大きな住宅地に入り、そこで今回のフットパスは終了です。時刻は午後3時35分。途中、昼食の休憩がありましたが、3時間半の野山歩きでした。到着は夕方になるかと思いましたが案外早く着いた感じです。楽しかったです。
 「みどりのゆび」で入手したガイドブックにはまだまだ様々なコースが紹介されています。これからもいろいろ歩いてみたいと思います。