江の島 〜砂の道でつながる行楽地〜


 

【神奈川県 藤沢市 令和8年2月14日(土)】
 
 立春を過ぎてからというもの、何日かおきに暖かい日が巡ってきます。三寒四温とまではいきませんが七寒二温くらいな感じで。今日はその二温に当たるようなので、より暖かめのところで野山歩きをすることにしました。場所は湘南、江の島です。ちなみに、電車の駅名や路線名などでは「江ノ島」の表記が多いですが、正式な地名としては「江の島」だそうです。国土地理院の地図表記も「の」でした。
 
                       
 
 JR横浜線から町田で小田急線に乗り換え、江ノ島線の終点、片瀬江ノ島駅に到着したのは午前10時前でした。電車は観光客でぎゅう詰めかと危惧していましたが、そんなでもなくやや拍子抜けした感じです。

 片瀬江ノ島駅

 どうですこの駅舎。どっかのテーマパークかと見まがう造りです。インバウンド目当ての演出かと思いきや、昭和初期からこのスタイルだそうです。当時から江の島は有数の行楽地だったんですね。東京からも近いですし。

 Kashmir3D

 今日は、江の島に渡ってまず辺津宮へ。そこから観光客のメインルートを外れて島の北側の道を歩きます。しばらく行ってメインルートに合流。奥津宮に向かい、その先から海岸の岩場に下ります。復路はメインルートを戻り、島の最高点に建つ展望灯台に登って眺望を楽しんでから、中津宮に立ち寄って帰ります。

 境川

 さて、駅前から弁天橋を渡って一旦鎌倉市側に入ります。この川は境川。yamanekoの家の近くを流れている川で、はるばるここまで来て海に注ぎます。名前の由来は武蔵国と相模国との境をなす川だったから。現在も中流域までは都県境になっています。なお、最下流部から河口までは片瀬川とも呼ばれているそう。この川の流域に住む者としてはなんだかフィニッシュだけ持って行かれたような気になりますが、確かに下流域は両岸とも旧相模国なので、境川の実態をなしていないと言われればそのとおりです。残念。(地理院地図では河口まで境川)

 片瀬橋より

 江の島は本土と砂嘴で繋がる陸繋島。周囲約4km。最高標高は約60mだそうです。切り立った崖に取り囲まれ、穏やかな砂浜はほぼないです。

 江の島弁天橋

 江の島弁天橋を渡って島に向かいます。歩行者用の立派な橋で、並行して自動車用の江の島大橋も架かっています。電車でやって来た大量の観光客を安全に島に渡すには車道から切り離して別の橋を架けないといけなかったのか、と思いましたが、実は違うようで、元々は大正時代に架けられた歩行者用の橋が始まり。当時は車も少ないし、それを渡すための橋を架けるというニーズもなかったのでしょう。当たり前と言えば当たり前です。その後昭和の東京オリンピックの際に江の島がヨット競技の会場となったことから、立派な自動車用の橋が架けられたということです。なるほど。橋は元来人様のものだったことを忘れていました。
 ところで、この橋の途中で再び藤沢市に入ります。つまり江の島は藤沢市なのですが、いったん鎌倉市に入らなければ島に上陸できないということになります。藤沢市としては境川の右岸側から一本橋を架けたいところでしょうね。



 江の島弁天橋の途中から望む相模湾越しの富士山。
 本来、江の島は陸繋島なので本土との間に細い砂の道があるのですが(橋はその砂嘴の上に架かっている)、それは時代とともに姿を変えてきているのだとか。古来は引き潮のときのみ砂嘴が現れて陸続きになったそうですが、関東大震災のときの地震で島全体が隆起して以降は常時陸続きになったのだそうです。近年は片瀬漁港の浚渫の影響もあって、基本冠水していて、春秋の大潮のときのみ砂嘴が現れるそうです。案外変動があるものなんですね。
 昔、砂嘴を歩いて江の島に渡る際、この写真と同じ風景を眺めたでしょうね。風情があります。



 島の入口にちょっと目を引く大きな建物が見えます。ジブリ映画にでも出てきそうな感じの建物ですが、あれは江ノ島アイランドスパという温泉宿泊施設のようです。

 青銅の鳥居

 江の島大橋を渡り切ってそのまままっすぐ行くと江の島弁財天仲見世通りに至ります。その入口に建つ青銅の鳥居は江戸時代中期に建立されたものだそう。途中一度再建されたそうですが、その後約200年にわたり潮風に耐えて建っているのだそうです。この奥に江島神社があり、対岸から、砂嘴、鳥居、参道(仲見世通り)、神社と一直線になるよう配置されていて、昔も今もここを歩く観光客のテンションを徐々に上げていく効果があったのでは。

 瑞心門

 商店街が尽きるとその先は階段。赤い鳥居の奥に瑞心門という立派な門が立っています。その門をくぐって更に階段を上っていくと辺津宮です。

 江島神社 辺津宮

 10時25分、江島神社の辺津宮(へつみや)に到着しました。江島神社はここ辺津宮と島の中腹にある中津宮、島の西端にある奥津宮の三社で構成されるのだそうです。ちなみに、江島神社の場合は、「江島」で「えのしま」と読みます。
 解説によると、江島神社は航海や交通の安全を司る宗像三女神を祀る神社とのこと。「宗像」とは福岡県にある宗像大社のことです。ここ辺津宮では三女神のうちの田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)が祀られていて、中津宮(なかつみや)には市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)が、奥津宮(おくつみや)には多紀理比賣命(たきりひめのみこと)が祀られているとのことです。それぞれどんな人となり(神となり?)の方なのか、ちょっと気になります。ただ、明治初期に政府によって神仏分離が行われるまでは弁財天が祀られていたそう。つまり現在の祭神もその際に改められたものだそうです。寺が神社に置き換えられたことから、僧侶は皆神職となり、宿坊は一般の旅館になって存続したのだそう。なかなかの大事件だったと思います。
 それにしても、ここに限らず、明治初期に行われた神仏分離の影響は全国隅々まで大きな影響を与えたようです。それまでは神仏習合は当たり前で、神様と仏さまが同居している神社やお寺が普通だったのが、急にどちらか一方にしなければならなかったのですから、慌てたでしょうね。今でも神社の境内に梵鐘があったり、お寺の敷地内に摂社があったりと、あちこちで当時の名残を見ることがあります。本来は神仏分離はただ双方を分けることが目的だったものですが、民衆のうちにくすぶっていた寺院に対する反感もあって、廃仏毀釈運動となり、全国で寺院や仏像などが破壊されたのだそうです。



 辺津宮からは一旦赤い鳥居まで戻り、そこから島の北側に伸びる小径に入っていきます。観光客のほとんどは反対側のメインルートに向かって歩いていくので、人気(ひとけ)はほとんどありません。



 こんもりとした小山の向こうに本土側が見えます。江の島大橋はちょうど小山の陰になっています。

 フウトウカズラ

 道の脇の斜面を覆う濃緑の葉。ツル性の植物で、おそらくフウトウカズラだと思います。コショウの仲間です。

 風致保安林

 道ばたに「風致保安林」と書かれた標識がありました。かなりくたびれています。保安林ということですからここは森として守られているということでしょうが、「風致」とは? 調べてみると風致とは「自然の景色などの趣、味わい」という意味の言葉だそうです。林野庁のホームページでは風致保安林について「名所や旧跡等の趣のある景色が森林によって価値づけられている場合に、これを保存します。」とありました。対岸から江の島を見たときにこんもりとした森になっているように守っているということですね。ついでにホームページによると保安林は全部で17種類もありました。奥多摩などでは水源かん養保安林を見かけますし、真鶴半島の先には魚つき保安林というのがあったのを覚えています。この標識の写真を全種類コンプリートしている人もいるかもしれませんね。



 yamanekoがのんびり歩いている小径はこんな様子。あの多数の観光客はいったいどこに行ったのか(メインルートですが)といった感じです。ときおりスクーターで通る人がいたところをみると、ここは島の方の生活道路になっているようです。

 ヤブツバキ

 ヤブツバキ。早いものでは年末から咲き始めますが、ピークはやはり春です。蕾の先が赤くほころび始めているので、ここのヤブツバキももうじき開花でしょう。



 この先でメインルートに合流です。江の島はざっくりとフタコブラクダのような形をしていて、その形状から「山二ツ」と呼ばれたそうです。その山と山の間あたりで合流することになります。

 トベラ

 照葉樹林を代表する樹木、トベラ。葉がテカテカしていますね。海岸付近でよく見かけます。枝の先端部分には花芽が身を寄せ合っていました。春から初夏にかけて純白の花が集まって付きます。

 タブノキ

 こちらも照葉樹林の代表選手、タブノキです。冬芽の大きさは今は1.5cmほどですが、展開直前にはその2倍くらいになります。その中に花と葉が格納されている「混芽」というタイプの冬芽です。



 路地を抜けるとメインルートに突き当たります。この辺りでは「御岩屋道通り」という名前が付いているようです。

 伝頼朝奉納の石鳥居

 左右に食堂や土産物屋を見ながら進むと石造りの鳥居が現れました。源頼朝が奉納したものだそうです。

 江島神社 奥津宮

 鳥居をくぐったその先が奥津宮です。ここが江島神社の発祥の地なのだとか。社殿はこの門の奥に建っています。

 急降下

 奥津宮から更に進むと急降下の階段になります。ここから稚児ヶ淵の磯に下りていくわけです。



 視界が開けました。標高差約40mを下ると膝が笑ってきます。

 稚児ヶ淵

 下りきると平らな岩場が広がっています。yamanekoはこの岩場のことを稚児ヶ淵というのかと思っていましたが、この辺りにある深みのことをいうと紹介しているサイトもありました。確かに「淵」なのだから岩場のことではないですよね。そもそも稚児ヶ淵の名の由来は鎌倉時代に僧と稚児がその淵に身を投げたという伝説にあるのだそうですが、その時代はこの岩場は海面下にあったはずです。そう思って明治期以前の古地図を検索してみたら、やはりこのテーブル状の地形は描かれていませんでした。まあ、今では岩場を含めたこの辺りのことを稚児ヶ淵と呼んでいるのが実情でしょう。

 イソヒヨドリ

 磯に佇むイソヒヨドリ。その視線の先に何があるのか。悲しい稚児ヶ淵の伝説に思いをはせているのか?

 岩屋

 向こうの岩壁の途中に自然の洞窟があり、江の島岩屋と呼ばれています。江の島信仰発祥の地だそうです。岩屋までは歩道橋で行くことができます。

 ヒジキ

 岩場で寄せ返す波に翻弄されていたのはヒジキです。写真では波が引いた瞬間を切り撮っているので静かに見えますが、沸騰する鍋の中で踊る麺のように激しく揺られていました。ある意味過酷な環境です。それでも岩からちぎれないという妙なところに感心しました。

 海食崖

 見上げるような海食崖。江の島は最高地点が海抜約60mの平坦な台地で、過去の海食台の上に箱根や富士山の火山灰が覆ってできているのだそうです。海食台とは、海岸が波の力で削られることによってできる浸食面のこと。波の力は海面下のある深さまで及ぶそうで、海食台は海面下に作られるのだそうです。江の島は約13万年前の最終間氷期に海面が上昇した時代には海面下にあったと考えられていて、その時に作られたのでしょうね。その海食台が今はあんな高いところにあるとは。一方、稚児が淵の前の岩場も元々海食台として形作られ水面下にあったものですが、関東大震災のときの地震で島全体が1m以上隆起し、今の姿になったということです。これから長い年月をかけて侵食されていき、海面すれすれの波食棚と呼ばれる地形になっていくと考えられています。地形は常に変わり続けているんですね。なんだか時間軸が大きすぎて追いつけません。



 稚児ヶ淵から望む富士山。対岸に見える小山は湘南台の山々ですね。大磯辺りになります。大磯と言えば大磯ロングビーチ。芸能人水泳大会が行われる場所として当時からその名前だけは知っていましたが、上京してからけっこう田舎(郊外という距離より更に遠い)にあることを知って、ちょっと意外な感じがしたのを覚えています。西武資本の施設なので某テレビ局で使っていたのですね。

 オニヤブソテツ

 ここからは岩場の植物を観察。これはオニヤブソテツというシダ植物。海岸の強烈な日差しや潮風に耐えうるよう分厚い葉をしています。そのへんがオニたる所以でしょうね。

 イソギク

 イソギク。花はもう枯れてドライフラワー状態になっています。葉は表は緑色で、裏は銀白色をしています。千葉の犬吠埼から静岡の御前崎までの海岸に分布しているそうです。

 ソナレムグラ

 ぷっくり肉厚の葉をもつソナレムグラ。葉が赤っぽくなっているのはアントシアニンなどが作られるためで、寒さへの耐性を高めるための植物の自然な反応だそうです。

 ボタンボウフウ

 ボタンボウフウの葉も肉厚で、若葉は食用にされたそうです。花は秋に咲き、今は果実ができている状態です。

 コウボウムギ

 コウボウムギの雄花序。この姿を見るとスゲの仲間であることがよく分かります。名前に「麦」が付けられているのは雌花序の姿が麦の穂に似ているから。まあそんなに似ている感じでもないのですが。yamanekoはその麦に似た雌花序を筆に見立てて、書の達人弘法大師の名が付けられたのだと思っていましたが、本当は地中にある古い葉鞘(イネ科の植物によく見られる、葉の根元が茎に密着して取り巻いている部分)の繊維を筆に用いたからだそうです。

 ラセイタソウ

 ラセイタソウの葉は爬虫類(なんなら恐竜)の皮膚のような質感。固くしっかりしています。ラセイタとはこういう質感の布の一種だそう。漢字では「羅背板」だそうですがこれは当て字で、ポルトガル語由来の言葉だそうです。



 稚児ヶ淵を離れて再び急な階段を登って奥津宮の近くに戻ってきました。往きには気が付きませんでしたが、桜が奇麗に咲いていました。地図ではこの奥に「龍野ヶ岡自然の森」というところがあるようなので、ちょっと寄ってみることに。

 ツワブキ

 「自然の森」という名にいろいろ期待しましたが、なんというか裏山感強めの公園といったところでした。
 これはツワブキ。もう花は枯れています。陽を浴びてポーズをとっているみたいに見えたので写真を撮らせてもらいました。



 時刻は11時30分。御岩屋道通りを戻ります。これから向こうに見えている展望灯台に登る予定。この灯台、海上保安庁の所管ではなく民間の灯台なのだとか。そんなものがあるんですね。

 テイカカズラ

 擁壁を覆っていたこれは何? 現地では分かりませんでしたが、帰宅後調べてみたらどうやらテイカカズラのようでした。ちょっとイメージ違いますね。

 江の島シーキャンドル

 展望灯台は江の島サムエル・コッキング苑という植物園の敷地内にあります。別名を江の島シーキャンドル。ちょっと気が付いたのですが、江の島内の諸々のスポット名には頭に「江の島」を付けがちなのでは。



 エレベーターで展望フロアまで上がり、そこから更に一段上の展望デッキに階段で上がりました。展望灯台の高さは約60m。海抜は約120mだそうです。

 北方向

 北方向の展望。江の島大橋と江の島弁天橋が並んで架かっているのが見下ろせました。橋の先の砂浜はよく天気予報などで背景に映されているところです。橋は境川の左岸に架かっていて、そこは鎌倉市。川を挟んだ右岸側が藤沢市です。片瀬漁港も見えていますね。古来砂嘴でつながっていたのは鎌倉市側なのに、なぜ江の島が鎌倉市ではなく藤沢市となっているのかちょっと疑問です。江の島を含む旧片瀬町が藤沢市に編入されたのは戦後間もなくのことだそうですが、対岸の漁港との産業的なつながりが強かったからでしょうか。

 西方向

 西方向の展望。遠くに富士山も見えていますが、写真ではより霞んでいて分かりにくいです(心眼で見るべし)。
 島の頂上部の平地(昔の海食台)に延びる御岩屋道通りに沿って家屋や商店が並んでいるのが見えます。その先の右奥に見える屋根が奥津宮の社殿だと思います。稚児ヶ淵はその先の崖下。

 東方向

 東方向。眼下には植物園が広がっています。奥の海沿いの部分は江の島ヨットハーバーとマリンスポーツ関連の施設があるエリア。昭和の東京オリンピックの際に造成されたところです。手前の山部分に遮られていてここからではよく分かりませんが、面積はかなりあり、現在の江の島の約半分を占める広さがあります。

 江島神社 中津宮

 展望灯台を下りて、再びメインの通りを歩きます。山を少し下った中腹にある中津宮に寄りました。社殿は新しく感じますが、それでも30年も前に改修されたものだそうです。うーん、神社の歴史の長さからするとやっぱり最近の出来事と言うべきか。



 ヨットハーバーを見下ろしながら階段を下っていきます。江島神社もそうでしたが、島内全域にわたって外国人観光客は多かったです。日本でいい思い出を作って帰ってほしいものです。

 Katase食堂

 江島神社の辺津宮、中津宮、奥津宮の三社をコンプリートして江の島を後にしました。江の島弁天橋を渡っているときもどんどん観光客がやってきていました。やはり人気の観光地です。
 時刻はちょうどお昼時。片瀬江ノ島駅前にある小さなレストランで昼食をとることに。ここには10年くらい前にも来たことがあります。美味しかった記憶があったので再訪したわけです。その時は「カタセ食堂」だったと思いますが、今は「Katase食堂」になっていました。



 注文したのはポークジンジャープレート。やはり美味でした。
 
 江の島は歴史も自然も地形もそれぞれ興味深いところでした。おかげで楽しい野山歩きとなりました。ただ、そんな余韻に浸る間もなく、帰りの電車では、車窓から差し込む暖かい陽差しと昼食時に注文したビールのおかげで早々に意識を失ってしまいました。