行道山 〜春の兆しを探して歩く〜


 

【栃木県 足利市 平成24年3月20日(火)】
 
 このところ週末を狙って天気が悪くなっていたので、なかなか山に行くチャンスがありませんでしたが、今日はウイークデー、そして祝日。少し寒さも緩んできたので、久しぶりに山歩きに出かけることにしました。場所は栃木県足利市。ハイキング気分で気楽に歩けるとガイドブックに紹介されていた行道山(ぎょうどうさん)です。
 
                       
 
 朝、7時過ぎに起床。いきなり1時間の遅れです。6時にスマホのアラームをセットしたはずなのに、なぜ? よく見たら「平日6時」になっていました(歳のせいか最近こんなことが多いんです。)。
 10分で支度を済ませ、ドリーム号で出発。首都高から東北道に入り、ひたすら北へ向かって走ります。岩舟JCTで北関東道に分岐し2つ目の足利ICで高速を下りると、そこから足利市内を走り、織姫公園という緑地の駐車場に車を停めました。ここの駐車場は標高100mの山上にあり、今日の山歩きの終点になります。山歩きを終えて帰ってくるまでドリーム号はここで待機です。

 駐車場

 時刻は8時50分を回っています。装備のチェックもそこそこに、リュックを背負って走り出しました。なにをそんなに急いでいるのかというと、これから最寄りのバス停に向かい、路線バスに乗って山歩きの出発地点に移動しなければならないのです。しかもそのバスが午前中に2本しかなく、1本目に乗り遅れると次は11時台になるというシビアな状況。バスの到着時刻まであと15分を切っています。
 まずはふもとまでの標高差60mを階段で駆け下りました。そこから市街地を500m、走る走る。途中、自販機でお茶を1本買いましたが、コンビニもなかったので朝食も買えずじまいでした。

 足利学校前バス停

 そしてバス到着2分前に何とかバス停にたどり着きました。朝9時過ぎの閑散とした大通りの歩道でひとりゼーゼー言っている姿は、ちょっとした不審者だったでしょうね。
 ところでこのバス停、「足利学校前」です。そう、中世の高等教育機関として有名な足利学校の目の前なのです。ただ、まだ9時過ぎなので、観光客の姿はありませんでした。


Kashmir 3D

 今日のルートは、バスで市街地から山間の菅沢集落へ。終点でバスを下りて創建千三百年の古刹、浄因寺を目指します。そこからが山道になり、一気に稜線まで上り詰め、行道山、大岩山、両崖山と尾根道を辿って戻ってくるというもの。最高地点は450m弱ですが、アップダウンを繰り返す総延長8qの歩きごたえのあるルートです。

 車窓から

 息も静まらないうちにやって来たバスはチョロQを実用化したような可愛いバスでした。乗り込んでみると先客は一人だけ。山歩きスタイルの年配の女性でした。
 バスは市街地を抜け、長閑な田園風景の中を行きます。車窓からはこれから歩く稜線がきれいに見渡せました。ワクワクしてきます。結局途中誰も乗ってくることはなく、二人を乗せたバスは20分ほどで終点に到着したのでした。

 終点

 終点は小さな八幡様の前でした。バスはここでしばらく時間調整をするようで、運転手さんはエンジンを切って休憩モードに入っていました。
 yamanekoはここでようやく装備を整え、準備体操をしておもむろに出発しました。時刻は9時35分です。

 初めのうちはアスファルトの道を上っていきます。辺りには民家が点在していて、静かな山里といった感じ。途中に大きな石製の道標がありました。「観世音菩薩尊像三萬三千體安置 行道山」と彫られています。行道山とはこの先にある浄因寺の山号でもあります。

 杉林の中の参道には両側に多くの石仏がありました。この辺りはもうお寺の所領地なのか、民家はありません。というか完全に山の中です。さらにずんずん上っていくと、やがて道は途絶え、石段が現れます。

 清心亭

 石段は何度も鈎型に曲がりながら急傾斜を登っていきます。途中、見上げるとなにやら書院風の建築物が。これは浄因寺の一部で清心亭と呼ばれる建物だそうです。浄因寺は、和銅6年(713年)、行基の開山と伝えられ、当初は真言宗の寺院として山岳信仰の霊場として栄え、関東の高野山とも称されたのだそうです。

 ジャノヒゲ

 3月も下旬とはいえ、今年はいつまでも寒さが厳しく、まだ花の季節にはほど遠い状況。辺りをキョロキョロと観察しながら登っていくと、足下にジャノヒゲの実を見つけました。自然界のものとしてはかなり工業的な色をしています。

 浄因寺

 10時10分、浄因寺まで上がってきました。息もかなり上がっています。ここの標高は300m。山の中腹にしては広い境内です。歩き始めたバスの終点の標高が約100mなので、わずかな距離で200m登ったことになります。ここまでで既に立派な山登りなのです。そしてここから目指す行道山の標高は442mなので、あと残りは3分の1ほどです。

 境内からは寺の背後に回り込むようにして登山道が延びていました。写真は本堂の裏手上方にある熊野社にあった梅。ようやく咲き始めたといったところです。

 その熊野社からの眺め。足下には本堂や鐘楼が見え、境内の向こうには巨岩の上に建てられた清心亭が望めます。

 奥の院

 熊野社から山道を登ってしばらく行くと奥の院がありました。背後に切り立った崖を背負ってひっそりと建っていました。お参りに来る人も希でしょう。この周りにもたくさんの石仏がありました。なんとこの奥の院には行基の遺骨が分骨され祀られているそうです。

 稜線へ

 奥の院からはほどなくで稜線に出ることができました。

 寝釈迦像

 稜線に出て左に登るとすぐに四十九院涅槃台と呼ばれる小高い岩地があり、ここにも沢山の石仏がありました。そしてその中に有名(?)な寝釈迦像がありました。釈迦は寝てても有難いということでしょうか。

 涅槃台からの眺めはさながら一幅の絵のようでした。正面の谷はバスでやって来たところです。

 いったんさっきの峠に戻って、そこから反対の尾根道を登っていきます。標高は高くはないものの地味にきつい山登りです。

 行道山見晴台

 そして10時40分、行道山の山頂に到着です。ここはほぼ全周の眺望が得られる素晴らしいビューポイントでした。
 前述のとおり行道山は浄因寺の山号であり、寺の周囲の山域を指すものです。なので、国土地理院の地形図にはこのピークには名前が示されていません。ガイドブックによってはこのピークに「石尊山」と表記されているものもありますが、「行道山」の名を付しているものもあり、まちまちのようです。ちなみにここから5q離れたところに別に石尊山という山があります。

 日光白根山

 どうでしょう、この山の連なり。日光白根山です。溶岩ドームが盛り上がった独特の形をしています。その左手に見える雪の峰は錫ヶ岳(2388m)。さらに写真左端は皇海山(2144m)。栃木県と群馬県との境界の山々です。ちなみに日光白根山は関東以北で最も高い山(2578m)です。
 写真には収まってはいませんが、稜線を東(右)に辿って行くと、男体山や女峰山の日光連山。逆に西(左)に目を移すと、赤城山の雄大な姿。さらに西方向には榛名山、そして純白の浅間山。この見晴台からは北関東の有名どころの山々を一望にできました。こんな絶景を前にただ一人。頭の中がスカーッと抜けて、日常のストレスが一気に霧散してしまった感じです。この見晴台で地図とコンパスと双眼鏡とで当分楽しむことができました。

 昼食

 ひとしきり眺望を楽しんだところで、早めの昼食です。今日は朝ご飯も食べていないので、既に腹ぺこなんです。このカップ麺は家の常備品で、それを昨夜リュックの中に入れておいたもの。これがなかったら今日は断食のまま山歩きをするところでした。高野聖の修行か。

 タテハチョウの仲間

 風もなくぽかぽかの陽気に、タテハチョウが羽を広げて日向ぼっこをしていました。長い冬を耐えてようやく活動を始めたのでしょう。

 山頂で大休止をしてから再び歩き始めました。バス停からここまで約1qの道のりで標高差250mを登って来ましたが、ここからは約7qかけて250mを下ることになります。

 行道山からは大きく下って、また上り返します。

 大岩山

 11時40分、大岩山の山頂に到着しました。誰もいません。もう食べるものもないのでここは素通りです。

 ヤマザクラ

 大岩山からは急な下りが延々と続きました。途中で出会ったヤマザクラ。開花まではあとちょっとです。

 大岩山の山頂から10分ほ下ると広いところに出ました。麓から上がってくる車道の終点のようです。この近くに大岩毘沙門天というところがあって、そこにお参りに来る人が利用するのだと思います。この毘沙門天はなんでも日本三大毘沙門天のうちの一つとのことで、市の重要文化財にも指定されているのだとか。他の二つがどこなのかちょっと気にはなりましたが、ルート上から少し外れていたので、今回はパスすることにしました。

 車道終点の広場から見た北東方向の眺め。この方向は足尾山地の東麓に当たり、突出して高い山はないのです。方角としては宇都宮方面になります。

 広場からさらに稜線を下っていきます。花を探しながら歩くのですが、なかなか見当たりませんね。正面に山が見えますが、これからあのピークも通過していくことになります。

 いったん車道と出会い、すぐにまた山道に入ります。

 大岩山

 何度もアップダウンを繰り返して来ました。ふと振り返ると、さっき通ってきた大岩山がもうあんなに遠くに見えます。

 長い稜線歩き。こんなピークをいくつも超えていきました。

 北関東道

 途中、麓に高速道路が見えました。この稜線の下をトンネルでくぐり抜けている北関東道自動車道です。たしかこの辺りの区間の開通が最も遅く、まだ全線開通してから1年経っていないと思います。

 今回の山歩きでよく見かけた岩石。板状に割れて露出していました。みたところ堆積岩であることは間違いないようですが、よく見ると石英のような透明な部分も見えます。正体はよくは分かりませんでしたが、どうやら海底に石英が堆積してできたチャートのようです。石英が堆積? ちょっとピンときませんが、太古の海中に二酸化珪素(=石英)の殻をもった放散虫(1oにも満たない生き物だそうです。)が大量に存在していて、それが死ぬと殻が沈殿して岩盤状の地層となったもののようです。

 ヒサカキ

 ようやく花、の蕾を見つけました。ヒサカキの蕾です。この花が開くと、春の里山に特有の香りを放つことになります。yamanekoの好きな山の匂いです。

 十文字

 12時30分、十文字という分岐に出ました。ここの北斜面にはカタクリの自生地があるとのこと。ただ残念ながら今はまだ葉も出てないような状況でした。

 十文字からもいくつもの小ピークを超えていきます。

 両崖山

 そして午後1時ちょうど、両崖山(251m)に到着しました。ここまでで全行程の4分の3を歩いたことになります。

 この山の山頂部には昔、足利城が築かれていたそうで、確かに山頂から伸びる尾根には堀切の跡が残っていました。説明の看板によると、平安時代の後期に足利成行という人がここに築城したのが始まりで、120年ほど使用された後いったん廃城となり、その後室町時代になって再興され、結局戦国時代末期に再び荒廃に帰したということです。その間、覇権を巡っていくつもの戦が繰り広げられたのでしょうね。それから400年経った今、山頂には小さな祠が建てられていました。兵どもが夢の跡、です。

 タブノキ

 この両崖山の山頂には大きなタブノキが6本あり、市の天然記念物に指定されていました。それぞれ樹齢は200年から250年くらいとされています。北関東は暖帯林の北限とされていて、以前はこの辺りにタブノキの自然林があったとのことですが、伐採が繰り返されてきたことから、今では自生するものはわずかなのだそうです。

 足利市街

 両崖山の山頂から100mほど進んだところに見晴らしの良い展望台がありました。子ども連れの家族がお弁当を広げています。ここまでくると市民の生活圏になってくるのでしょう。はるか向こう、ぱっと見水平線のようですが、あれは広大な関東平野です。
 足利市は人口約15万人。栃木県の南西端に位置し、群馬県の桐生市や太田市などと一体となった経済圏を形成しています。この3つの市に佐野市を加えて、いつもどの市が栃木でどの市が群馬か分からなくなります。

 さて進行方向に目を移すと、長かった行程もあといくつかのピークを残すのみ。今日は久しぶりの山歩きだったせいか、右膝の関節が痛みます。最後まで慎重に下りていきましょう。

 両崖山

 しばらく下っていって振り返ったのが上の写真。こうやって見ると両崖山も立派な山です。あの山の上にある城はなかなか攻めにくかったのではないでしょうか。

 1時40分、織姫公園に下りてきました。何とか右膝ももってくれて、ドリーム号の元へ無事の帰還です。今日は一人の山歩きだったので、つい黙々と歩いてしまいました。もう少し植物を見てゆっくりと歩けたら、膝の負担も軽かったかもしれませんね。
 
 今日は春分の日。暦の上ではもうとっくに春ですが、現実の自然にも遅まきながらもうじき春がやって来ます。yamanekoの大好きな季節です。チョウが目を覚まし、花の蕾が膨らむ。動物や植物と同じように、この時期、体がうずうずして家でじっとなどしてられませんね。DNAに組み込まれた行動様式として、誰もがそんなウキウキ感を感じているのではないでしょうか。足利出身の相田みつを風にいえば「人間だって生き物だもの。」ですよね。