岳山 〜大きな命からパワーをもらう〜


 

【広島市安佐北区 平成16年12月19日(日)】
 
 本年最後の定例観察会。場所は安佐北区と安佐南区とにまたがる「岳山」。「だけやま」と読みます。
 あいにくの曇り空で寒々とした感じですが、集合場所となった広島自動車道久地BS近くの空き地には参加者が62人も集まりました。
 9時30分開会。加藤代表から今年の観察会は概ね天候に恵まれていたという話がありました。確かに1月から順に思い返してみると、晴れが7回、曇りが(今日を含めて)5回。レインウエアを着て観察したことはありませんでした。
 今日のリーダーは事務局長の六重部さん。ここ岳山は六重部さんのホームグラウンドなのです。
 周囲は山裾を切り開いて造成した住宅地。広場のすぐ横を高速道路が通っているので車の音がザーザーと聞こえます。それでも周囲の木立からは混群を作って移動しているエナガやコゲラ、シジュウカラなどの声が聞こえて、いかにも冬の朝といった雰囲気を醸し出していました。


Kashmir 3D

 今日は高速道路沿いに登山口まで進み、そこから山頂に向かいます。途中のため池までは谷筋を、そこから山肌を登り稜線に出たらあとは尾根筋を歩きます。標高差は約300mです。

 岳山(広場から)  開会(後ろは荒谷山)

 10時、登山口までやって来ました。この辺りの林はアカマツの中に落葉広葉樹や常緑広葉樹が混じっています。ここからため池までの100mあまりは道幅も広く(車が通れるくらい)、傾斜も緩やかです。足下には季節はずれのアキノタムラソウが紫色の花をつけていました。ヤブツバキも咲いています。こちらは季節どおりです。
 しばらく歩くと、やがてスギ、ヒノキが混じってきました。これは植林したものです。

 キノコに詳しい前田さんが、シイタケの榾木(ほだぎ)にくっついていたハチの巣を見つけました。パッと見シイタケと見間違えたそうです。
 家に帰ってから調べたところ、これはコアシナガバチの巣でした。
 巣は一方向に向かって増築してゆくので横にどんどん広がってゆき、反り返った形になるのが特徴です。
 この巣は、直径約8pのほぼ円形で茶筒のフタくらいの大きさ。重さはなんとたったの1グラム。1円玉1枚とほぼ同じ重さです。これにはちょっとビックリしました。部屋数は全部で264個です。部屋の入口部分の大きさはいずれも約5o。平均的な部屋の奥行きは約1.7pほどでした。

 巣材を拡大してみると

 巣の一部を切り取って実体顕微鏡で覗いてみると、まるでFRP(繊維強化プラスチック)のようです。素材は強く軽く、そして造りはまさにハニカム構造。あんな小さなハチに何でこんな構造物が作れるのだろうか。(「こちとら人間なんかよりずっと昔からこの地球で生きてるんだぞ。」というハチのつぶやきが聞こえてきそうです。)
 
 やがでため池が見えてきました。その対岸の森の中にひときわ大きな杉の木が見えます。
 この杉は近年発見されたもので、まだ正式な名前はついておらず、便宜的に「千年杉」と呼ばれています。

 岳山の大杉

 登山道からはずれて、ため池の縁をぐるっと回ってこの大杉を見に行くことにしました。
 杉林なのでやや薄暗く、途中の小さな沢の水音が冴え冴えと聞こえてきます。奥の木立からはときどき小鳥のさえずる声。流れの水に指をつけてみましたが思ったほど冷たくはありませんでした。
 
 水面へと落ち込む山の斜面に取り付けられた細い道を登って大杉の本へ向かいます。
 でかい! 巨大な杉です。樹高37m、胸高周囲5.54mもあり、県内ランキング5位だそうです。

 根元のところで何本かに太く分かれて、そこから直立。天に向かってまっすぐに伸びています。もの凄い存在感。根元の方の樹皮は火炎のようにうねっていて、力強い生命力のようなものが伝わってきます。参加者の一行はすでに行ってしまい、周りには誰もいません。静かな森の中でこの杉を見上げているうちにブルッと身震いをしてしまいました。
 地上に出ている部分だけでこの大きさ。この地面の下では根がいったいどのように張り巡らされているのか。その地中の部分も含めたこの杉を想像すると、とてつもなく巨大な生物の姿が浮かび上がります。
 この杉がとどめている土、蓄えている水、育んでいる膨大な数の生き物。この1本が失われることによってどれだけの命が失われるのか。その命を糧として生きているたくさんの命も、さらにその命を糧として生きている命も…。この巨大な杉の命には、この杉単体のそれにとどまらず、この杉を中心とした「生命群」とでも言えばいいようなものとしての大きさを感じます。
 
 現在この大杉の保存に向けての動きが始まっているのだとか。広くPRしていきたいところでしょうが、発見されて間がないことからまだ保護態勢が整っていないそうなので、見物客の急な受け入れは避けたいところでしょう。地元にとってはジレンマですね。とりあえず根の踏みつけによるダメージについて注意喚起する看板が立てられていました。
 
 再び登山道に戻ってきました。
 ここから先は道が細くなって、人一人分の幅しかありません。足下には落ち葉が積もっています。コナラ、アベマキ、コシアブラなどが中心で茶色一色ですが、中にはウリカエデの暗い赤い色が混じっていて、そこだけ秋の名残を感じさせます。

 ニガクリタケ

 朽ちた切り株に連なって生えていたニガクリタケをまた前田さんが見つけてくれました。今度は正真正銘のキノコです。色は薄いレモンイエローで、傘の径は1センチちょっと。猛毒だそうです。
 
 登山道沿いの樹木には木製の名板が取り付けられています。これは岳山を愛して保護活動をされているグループがこの秋に設置されたものだとか。毛筆で樹名と特徴が書かれていて、手作り感満点です。ところどころ解説が不正確だったりするのはご愛敬。でも、例えばソヨゴの葉がこすれ合う音を「サラサラ」と表現するなど、中にはハッとするものもありました。
 また、これとは別に、今日のリーダーの六重部さんが今回の観察会に先立って、サインペンで樹名を書いた荷札を取り付けておいてくれました。さすがにこっちの方は正確です。

 急な上り

 辺りは明るい松林で、落葉広葉樹に混じって低木の常緑広葉樹が散在しています。
 この山の太古の姿は照葉樹林(常緑広葉樹に覆われた森)だったと考えられています。近世以降、薪炭材として利用するために人間の手によっていったん全部刈り払われ、その後二次林としてこの山を覆ったマツ林も継続して安定的に利用してきたようです。
 近年人間があまり山を利用しなくなりました。長期間にわたって人の手が入らないと、もともと暖温帯の気候に最も適合している常緑広葉樹が幅を利かせてくるでしょう。現にその兆候が少し現れてきています。あと3百年くらい放置しておいたらもとの照葉樹林に戻っているんじゃないでしょうか。
 
 途中、ネジキのねじれについて話題になりました。
 ご存じのとおりネジキの樹皮は螺旋状にねじれています。では、はたしてその中の材もねじれているのでしょうか。近くには答えを知っている人はいないようでした。材を円柱状に切って両端の切り口を見たときに年輪の中心が双方でずれていたら材もねじれているといえるのではないか、といった意見も出ましたがハッキリしません。
 すると材を縦に割ったことがあるという人が現れて、あっさりと決着を見ました。割れた断面がきれいにねじれていたそうです。やっぱり材もねじれていたんですね。聞くところによるとネジキの材はこのねじれのために串や独楽などの小物にしか利用できないそうです。
 それでは新たな疑問。ネジキのねじれの方向はみんな同じなんでしょうか。ちなみにネジバナのねじれは左右半々だそうです。

 タムシバの枯れ葉

 タムシバの枯れ葉を拾いました。葉を噛んだり擦ったりするとスーッとする甘さがあるのですが、枯れ葉になってこんなに乾燥していても十分甘い匂いがしました。この匂いはいつか食べたことのある和菓子の匂いです。

 頂上からの眺め

 12時15分、頂上に到着です。(頂上部はツインピークになっていて、三角点のある山頂はもう一方の頂上にあります。) しんがりを歩いていたので、到着したときにはすでにほとんどの人が弁当を広げていました。眺めは最高。南東の方向を中心に広い範囲を望むことができました。
 南には西風新都、東には荒谷山。正面には武田山や火山。その向こうには広島市街が広がっているはずですが、今日は霞んでいて見えません。それにしても茶色くむき出しになった土地が多く目につきます。造成中の住宅団地であったり、工業団地であったりです。

 島田さん

 昼食後、地元で郷土史を研究されている島田さんから、岳山の城とその周辺の歴史、地名の由来などについて解説がありました。
 岳山には中世、「多計城」という山城があったそうです。ちょうど今みんなが座っているところが城跡で、広さは学校の教室一部屋分くらいでしょうか。城と行っても当時の山城は掘っ建て小屋のようなものだったということです。甲斐武田氏の一門が拠守した銀山城(武田山)の出城だったそうですが、この地での戦の記録はないそうです。でも、ここからは周囲の山々も一望でき、狼煙などの情報伝達には好都合だったに違いありません。
 近隣の地名の由来でも興味深い話が聞けました。今日の集合場所のあたりは「幸の神」(さいのかみ)といいます。ここは安佐北区と安佐南区との境であり地形としては峠になっています。昔は村と村との境だった訳です。
 「幸」は当て字で本来は「塞」とか「遮」からきているそうです。その意味は「ふさぐ」、「さえぎる」ということで、他の村から不幸や疫病神が村に入ってくるのを防いでくれる神様が祀られている場所ということなのだそうです。なのでこの地名は日本各地にあるものなのだそうです。

 六重部さん

 島田さんの解説の後に今日のリーダーの六重部さんから、人間と里山との関わり方の移り変わりについて解説がありました。
 里山では、以前は定期的に人の手が入り、雑木林、柴刈り山、耕作地など異なった環境の場所ごとに異なった生物が多様な関係を築いていたのですが、これらが単一な放置林になってしまったらそこに生きる生物たちからも多様性がなくなり、それらの生物もその場所の環境の変化で簡単に絶滅してしまうことになる、とのことです。
 もっとも現在では違った意味で里山に人の手が入ってきています。人の手というか、重機の手だったりするのですが。眼下にも造成中の住宅団地が…。
 
 レクチャーの後、もう一方の山頂に行ってみました。
 いったん下ってまた上って、5分ほどで三角点のある山頂に到着。広さは最初の頂上と同じくらいですが、こちらには木が沢山生えていてあまり展望も利きません。それでも瀬戸内海に浮かぶ宮島や似島を見ることができました。霞んでいましたが。

 ヒメヤマツツジ

 再び最初の頂上に戻ってきました。季節はずれのヒメヤマツツジが咲いていました。これだけではありません。スノキやガマスミまでも。もう春です。(?)

 下山

 ひとしきり休んだら、下山開始です。
 ふかふかの落ち葉と急な傾斜で何回か尻餅をついた人はいたようですが、幸い怪我をした人はいなかったようです。
 
 2時25分、集合場所だった広場に到着しました。
 あさって21日は冬至です。閉会に際して加藤代表から冬至についてミニ解説がありました。
 冬至の日、広島での日の出は7時12分、日の入りは17時04分だそうですが、日の出が一番遅くなるのは1月に入ってからで、7時17分だそうです。ということは、日の入りが一番早い日はすでに過ぎていて今は少しずつ日の入りが遅くなりつつあるということになりますね。
 
 さあ、今年の観察会もこれで終了しました。事故も怪我もなく終えられたことがなによりです。
 それぞれの回ごとに込められたスタッフからのメッセージが参加者の皆さんに届いたでしょうか。
 どんなテーマのときであっても、「知識の前にまず感じること、気付くこと。そして知識を得た後には新たな疑問を探すこと。」 個人的には来年もこれをモットーにしていきたいと思います。