大菩薩嶺 〜雲上の回廊を歩く〜


 

【山梨県 甲州市 平成19年7月8日(日)】
 
 7月に入ってようやく梅雨らしい天気の日々が続いています。昨日は雨。でも今日は雲が多めながらも天気が回復傾向とのことなので、久しぶりに汗をかいて心身のリフレッシュをしようと思います。
 
                       
 
 今回向かうのは、中里介山の未完の長編小説「大菩薩峠」で有名な大菩薩嶺です。甲州街道の裏街道として青梅から奥多摩をとおり小菅を経て甲府盆地に至る青梅街道。その街道の中で一番の難所とされたのが標高1897mの大菩薩峠です。その峠から北に延びる稜線の先に大菩薩嶺があり、その標高は2057mです。この峠があまりにも険しいので、明治初期に大菩薩嶺のさらに北側にある柳沢峠を迂回するルートが開かれ、以降そちらが青梅街道となり現在に至っています。なので国道もそちらに整備され、おかげで大菩薩峠は今でも徒歩でしか越えることはできません。
 今日は中央道で甲府盆地に入り、勝沼ICで一般道へ。そこから青梅街道を逆にたどります。出発時から今にも降り出しそうな空模様でしたが、笹子トンネルを抜けて甲府盆地にはいるとスッキリと晴れていました。でも、盆地を取り囲む稜線には雲がかかっていて、ちょうど盆地の上空だけすっぽりと雲に穴が空いている感じ。目的地である大菩薩嶺も雲に包まれていました。

 今日のルート
 (マウスオーバーで表示)

 コンビニで食料を調達してから青梅街道をさかのぼります。途中、甲州市の裂石温泉から林道(旧青梅街道)に入り、上日川峠まで車で上がります(上の写真のオレンジの矢印)。ここをタクシーで上がる登山者も多く、この日も離合もできないようなこの林道をタクシーが列をなして通っていました。
 
 標高1600mの上日川峠にはロッジやキャンプ場、駐車場もあり、大菩薩嶺登山のベースとして利用されています。yamanekoもここに新ドリーム号を駐車し、身支度を整えて出発です。ここからの標高差は約450m。ゆっくりと上るのにはちょうど良い高さです。

 上日川峠の登山口

 午前10時、まずは標高1700mのところにある「福ちゃん荘」を目指して歩き始めます。風はなく、森の中も明るいですが、木立越しに見通せる視界は1q程度です。

 キバナノヤマオダマキ

 さっそく華麗な花に出会いました。花弁の基部が距になって上に伸び、その先端が球状になっているという不思議な造形のキバナノヤマオダマキです。ヤマオダマキの花は赤紫色ですが、本種は淡黄色をしています。yamanekoとしては、どちらかというこキバナノヤマオダマキの方が涼しげで好きですね。しかし、こういう花を見ると、やはり昔の人が「万物は神がつくりたもうた」と考えたのも頷けるような気がします。

 森の道

 広葉樹と針葉樹の混じり合った森の中を、一歩一歩登っていきます。硬くもなく軟らかくもなく、この気持ちいい土の感触が、日頃アスファルトの上しか歩かない足の裏に新鮮な感触として伝わってきます。
 「ケキョ、ケキョ、ケキョ」 人の姿を見て警戒しているのか、大きな声でウグイスが鳴いて、これがけっこう喧しい。何にもしないからもうちょっと静かにしてもらえないか、って感じです。

 福ちゃん荘

 10時35分、突然森の中に福ちゃん荘が現れました。何人かの登山者が小休止しています。上日川峠からここまで標高差100m。この先傾斜がきつくなってくるので、ここまでの登りはそのちょうどよいウォーミングアップになります。さあ、ここでもう一度軽くストレッチをして、先に進みましょう。

 雲の中

 ここからは「唐松尾根」と呼ばれるルートを登ります。その名のとおり尾根筋の道で、カラマツもところどころに見られます(ちなみに、カラマツは普通「落葉松」と書きます。)。ウグイスの声は相変わらずですが、ときおり雲が上がってくると白い靄が木立の中に入り込み、そこに薄陽が差し込んだりしてちょっと幻想的な雰囲気に包まれます。

 イラモミ  球果

 このあたりにはイラモミが多いようです。東北地方南部から中部地方にかけて分布していて、図鑑によると「ブナ帯から亜高山帯下部に生える。個体数はそれほど多くない。」とあります。「モミ」と名が付いていますが、触ってもモミのように痛くはありません。見た目がよく似たこのての樹木は大きくモミ属、トウヒ属、ツガ属に分かれていて、モミはもちろんモミ属。このイラモミはトウヒ属になります。
 足下にイラモミの球果が落ちていました。「モミボックリ」です。モミ属の球果は枝から上に向かって直立して付いていますが、トウヒ属では枝からぶら下がる形で付いています。このへんも観察ポイントですね。

 サラサドウダン

 さすが標高が2000m近いと花の時期がずいぶん遅いですね。5月下旬から6月上旬に咲くサラサドウダンが今頃咲いています。やさしい色の花です。周りにもダケカンバ、ミズナラ、ナナカマドなどが緑の葉を揺らしていて、気持ちのよい山歩きを演出してくれていました。こんな花を見ながら山歩きができるなんて、本当に幸せなことだとつくづく思います。感謝、感謝。

 シロバナヤブウツギ

 ヤブウツギといえば濃紅色の花を思い浮かべますが、花が白いものをシロバナヤブウツギといいます。涼しそうでいいですね。

 急傾斜

 森が途切れ高い木がまばらになってくると、一気に傾斜がきつくなってきました。この辺りで標高1900mくらいです。草原状の山肌を吹きすぎる風が心地よく汗を冷やしてくれます。天気が良ければ振り返ると富士山がきれいに見えるのでしょうが、今日の視界は1qくらいなのでそれは望めません。500円札を使ったことのある人(yamanekoの世代がギリギリくらいか)は覚えているかもしれませんが、お札の裏に描かれていた富士山はこの近くの山からの眺め。この辺りはそれだけ富士山が美しく見えるところなのでしょう。

 シロバナニガナ  ハナニガナ

 ニガナの変種がシロバナニガナです。ニガナの舌状花は通常5個で色は黄色。舌状花の数が多く色が白いのがシロバナニガナです。さらにそのシロバナニガナの舌状花が黄色いのがハナニガナです。(ややこしい!) 人里でも見かけるこの花ですが、こんな高いところでも生きていけるんですね。逞しいです。

ヤハズハンノキ

 これも西日本では見ることのなかった樹木、ヤハズハンノキです。亜高山帯に生える木で、葉に一度見たら忘れられない特徴があります。みごとにハート型ですね。

 雷岩

 12時すぎ、稜線が見えてきました。唐松尾根の登山道と稜線とが出会うところに岩塊があり、雷岩と名付けられています。確かに周囲に遮蔽物がなく、雷が落ちそうなところです。すでにたくさんの人が昼食をとっていました。きっと大菩薩峠から稜線沿いに登ってきた人たちでしょう。
 とりあえずここは通過して、山頂へ向かうことにしました。

 山頂へ

 雷岩の標高は2040m、山頂は2057mですから、ほとんど水平移動といってよいでしょう。再び靄の中を歩いていきます。幻想的な雰囲気ですね。こんな山道を歩くのが大好きです。

 大菩薩嶺山頂

 12時15分、山頂に到着しました。ここは木立に囲まれて展望がきかないので、ここで昼食をとっている人はいませんでした。三角点は土台部分が50pくらい露出していて、山頂がその厚さだけ浸食されてしまったことが分かります。「三角点」の「点」の字が旧字体だったのでかなり昔に設置されたものと思われます。

 ストライプ模様

 この辺りの岩には薄青色のストライプ模様が入っていました。写真ではいまいちですが、実物はもっと鮮やかな色をしていました。縞模様ということは堆積岩でもあるようですが、そんなに都合よく交互に、しかも同じ幅で堆積するとも思えません。正体は何なのか、自分への宿題にしておきました。

 昼食

 山頂から少し引き返した林の中で弁当を広げることにしました。晴れていたら雷岩まで戻って富士山や甲府盆地を眺めながら食べるところですが、今日は静かな林の中の方がいいかもしれません。
 木の根を踏まないように気をつけながらシートを敷いて腰を下ろします。古木に寄り添うとなぜか落ち着くような気がして、リラックスタイムにはもってこいです。でも、雷が鳴っているときは高い木からは離れなければなりませんが。

 若い命

 傍らにはかわいい葉が揺れていました。ハート型のものがマイヅルソウで、5枚付いているのがバイカオウレンです。それぞれ花の時期は異なりますが、その時期には白い花が一面に広がることと思います。

 満開

 昼食を終えて雷岩まで戻ってきました。ここから稜線沿いに下っていき大菩薩峠に向かいます。
 この辺りにはサラサドウダンの大木がたくさんあって、今がまさに盛りの状態でした。本当に見事な花の付き方です。

 ハクサンチドリ

 めずらしい花を見つけました。ランの仲間、ハクサンチドリです。まだ花の付き方はまばらであまり目立ちませんでしたが、一株見つけると、登山道脇の草むらにあちこち点在しているのが分かりました。中部地方以北の高山帯に生える花で、開花の時期としてはこれからのようです。名前は、白山(石川県、福井県、岐阜県、富山県にまたがる、北陸の最高峰)に多く見られ、花が千鳥の飛ぶ姿に似ているから付いたものとのことです。植物の中には、ハクサンシャクナゲ、ハクサンイチゲ、ハクサンフウロなど、白山の名を冠するものがいくつかあり、この山が多様な植物を育む山であることが分かります。同じような山に伊吹山(岐阜県と滋賀県の境にある山)があります。イブキが名に付く植物もたくさんありますよね。

 稜線の道

 ガレ場のような道を下っていきます。この稜線の先、ちょうど視界が途切れているピークの先あたりが大菩薩峠になります。手前の山肌に生える樹木の傾き方から、この稜線を越えていく風の強さがうかがわれ、ここが厳しい環境の場所なのだということをあらためて認識させられます。

 ヤマツツジ

 途中、賽の河原という場所から大菩薩嶺を振り返ると、やっぱり雲の中に隠れていました。ヤマツツジの花の朱色が鮮やかで、バックの山々のぼんやりとした景色とのコントラストがいい感じです。

 オトギリソウ

 最後のピークを越え、峠に向かう途中の岩場にオトギリソウを見つけました。ひょっとしたら高山帯に生えるイワオトギリかもしれませんが、オトギリソウ自体かなり高いところにまで生育しているので、どちらか自信がありません。葉にある小さな黒点などがポイントになるので、オトギリソウの見分けにはルーペが欠かせません。

 大菩薩峠

 14時、大菩薩峠に到着しました。ここの標高は1897m。峠だけあって雲もここを越えていき、あたりの視界は極端に悪くなっています。その昔、長い峠道を上ってきた旅人は、ここで背中の荷を下ろし、眼下に開けた甲府盆地を見ながら汗をぬぐったのでしょう。そして草鞋の紐を締め直し、再び山道を麓に向かって下っていったのだと思います。今は、ここには「介山荘」という山小屋があって、今日もいくつかのグループが休んでいました。中には顔が真っ赤になるほどビールを飲んでいる人も。山で飲むビールは下界で飲む時の何倍も美味いのはよく分かりますが、そうでなくても足場が悪い山道、十分な注意が必要です。無事に帰ってこその山歩きですからね。

 岩海

 大菩薩峠からは林間の道を福ちゃん荘に向かって下りていきます。標高が下がるにつれて上空に青空がのぞきだし、ときおり陽が差し込んできました。木漏れ日の中を歩くのも気持ちいいです。

 クリンソウ

 14時50分、福ちゃん荘まで戻ってきました。ここから新ドリーム号が待っている上日川峠まではあとわずかです。
 今日は久しぶりに足の筋肉がパンパンになりました。でもふくらはぎは第2の心臓といいます。日頃歩く機会が少ないので、ふくらはぎを鍛えるいい運動になりました。
 帰りは奥多摩経由で、青梅から圏央道に乗り、先日開通した八王子JCTを通って中央道に合流しようと思います。そうすると渋滞ポイントの笹子トンネル、小仏トンネルをパスできますから。


 今年も折り返し点を過ぎ、後半に入りました。日々が過ぎ去っていくその速さには本当にあっけにとられてしまいます。
 まあ、毎年こんなことを言っていますが、歳をとるにしたがって加速度を増しているのは確かなようです。このことを最初に実感したのは30歳代前半の頃。あるとき自分がこれまでどんな日々を積み重ねてきたのか、まったく記憶に残っていないことに気がついたのです。もちろんそんなに大したことはしてきていないのは分かっているのですが、楽しかった日や感動した日、悲しかった日などが確かにあって、そんな日々の中で過ごしてきたはずなのに、ほとんど何も。アルバムを見れば旅行に行ったとかは分かるのですが、そんなことではなく、今の自分につながっている日々の積み重ねが靄の彼方に消えてしまっているのです。正直、焦燥感のようなものを感じました。そのときから今に至るまで、毎日日記を付けています。いや、日記というよりも「記録」といった方が適切かもしれません。何事もなかった日でも、たった1行でも欠かさずに書くようにしています。忙しい日々の中で年月の流れの速さを思うとき、その「記録」を読み返すことで、ただの空白の期間でなく確かにその年月を生きてきたと、少し安心することができるような気がするのです。
 
 さあ、今年はあと半年、ある。まだまだいろいろ楽しむぞ!
 

 柳沢峠付近からの富士山(96年撮影)