博打尾 〜新緑の山を歩いてみたら〜


 

【広島県宮島町 平成17年4月24日(日)】
 
 環境省宮島地区PV(パークボランティア)では、国立公園の自然を紹介しその自然に親しんでもらうことを目的として、年に数回一般の参加者を募って観察会を行っています。今日は今年度のその1回目。もみじ谷の入口から博打尾の尾根に出て、しばらく尾根道を歩いた後反対側の包ヶ浦に下りていくコースで、その間に新緑を満喫してもらおうという企画です。また宮島は歴史の島でもあります。宮島PVの観察会では歴史の話しがセットになっているのもウリの一つ。今回のコース上にある博打尾は厳島合戦の際、毛利軍が形勢逆転のきっかけとなった奇襲作戦を仕掛けた場所。今日はこれにまつわる話も聞くことができるでしょう。

 午前9時30分、宮島桟橋2階には70人を超える参加者が集まりました。天気は上々、山々は新緑の季節を迎え緑のグラデーションに包まれています。この時期、緑色にはこんなにたくさんの種類があったのかとあらためて驚かされます。

 出発
 (向こうの山は駒ヶ林)

 参加者を6つのグループに分けて、10時スタート。まずは海沿いに厳島神社を目指します。
 桟橋前の広場にはたくさんの観光客が。宮島は一年を通じて観光客が多いですが、春の訪れとともによりにぎわいを増していくようです。

 大鳥居

 やがて朱の大鳥居が見えてきました。ちょうど満潮なので観光船が鳥居の下をくぐっています。こんなサービスがあるとは知りませんでした。

 「ヤブニッケイの葉は…」

 厳島神社までやってきたらここからもみじ谷に向かう道に進みます。
 沿道には様々な植物があり話題には事欠きませんが、参加者のニーズも様々なのでガイドも簡単ではありません。
 珍しいものを見れて満足する人、片っ端から名前を聞いて満足する人、自然の中に身を置くことで満足する人。その人の興味の持ち方や視点に違いがあるからで、どれが良くてどれが悪いといったことではありません。
 ガイドも然り。たくさんの情報を伝えようとするやり方や、たくさんの情報を感じ取ってもらおうとするやり方。様々です。こちらが解説したいことをしゃべって満足することも、また、参加者のニーズを置き去りにしてただ「自然を感じて」というのも、違うと思います。
 いずれにしても、また宮島の自然に触れてみたいなという気を起こさせるようなガイドをしたいものです。

 ウリハダカエデ

 道は舗装路をはずれ山道になってきました。
 ウリハダカエデがみずみずしい葉を展開し始めていて、同時に控え目な花を開いていました。他にはネジキ、タブノキ、ガマズミなどなど。低山でよく見かける木々たちです。
 一行はあちこちで立ち止まるため遅々として進みません。いったい昼食はいつごろ食べられるのでしょうか。(すでに腹が鳴っています。)

 博打尾での解説

 11時45分、ようやく博打尾に到着。ここで厳島合戦の解説です。
 弘治元年(1555年)、安芸の国の支配をめぐって、毛利元就と陶晴賢(すえはるかた)がここ宮島で対峙しました。
 圧倒的な勢力を誇る陶軍は本陣を塔の岡(現宮島町役場付近)に置き、毛利軍の出城となっていた要害山(現宮島桟橋前の小山)を右手に睨みながら、眼前の大野瀬戸に正対し毛利軍本隊の上陸を迎え撃つべく待ちかまえていました。
 優勢に慢心した陶軍は、折からの暴風雨もあり、この夜の襲撃はないと踏んで枕を高くしていたそうです。一方、闇に紛れわずか二千の軍勢で対岸の地御前(現廿日市市)から船を出した毛利軍は、嵐の中を包ヶ浦に上陸し、そのまま山越えにかかりました。
 険しい山道を登りきりここ博打尾にたどり着くと、「今我が軍は博打尾に至った。博打は打つもの。この戦、既に打ち勝ったも同じ!」と兵を鼓舞して一気に山を駆け下り、陶軍の背後を突いたといいます。ときに弘治元年10月1日未明。厳島合戦の幕が切って落とされたのです。
 かたや思いもかけない方向から襲撃された陶軍は、武具や防具をとる間もなく算を乱して潰走し、大勢は一気に決したといいます。

 博打尾から地御前方面を臨む

 博打尾から北の方向に位置する地御前方面を眺めると、その日毛利軍が船を出し渡った海が眼下に広がっています。わずかな軍勢とはいえ二千の兵が海を渡るのは大変なことです。しかも嵐の夜に。これは、毛利軍が宮島周辺の海を熟知していたことに加え、周辺を本拠とする水軍を味方に付けたことによりなし得たものといわれています。
 さて、軍としての体を崩した陶軍は大聖院から奥の谷筋を山に向かって敗走し駒ヶ林の断崖に追いつめられました。そして多くは毛利軍に討たれることを潔しとせず千尋の谷に身を投げたといいます。一方、わずかの側近に守られた陶晴賢は尾根を越え島の反対側の森の奥に逃げ延びました。しかし武将としての最期を悟ったのか、わずかに開けた場所で静かに舞を舞ったのち自刃に果てたということです。

 尾根の道

 歴史の話が終わると尾根道をたどりながら反対側の包ヶ浦に向かいます。
 途中、アカマツのてっぺんにミサゴが営巣しているのを見ることができました。つがいで雛の世話をしているようです。

 ザイフリボク

 尾根を越えるとあとは一気に下ります。素晴らしい天気。新緑の梢の下を歩いていると、日差しが木々の緑を溶かして自分たちの体に降りそそいでいるような感じを受けます。
 4月中旬から5月初旬にかけてのこの季節。一年のうちでも最も好きな季節です。

 クロバイ

 この時期、船から宮島を見ると、黒っぽい樹影の頂上部を白く飾った木が目につきます。クロバイです。この木の灰にはアルミニウムなどの水溶性金属が含まれ媒染剤として利用されるのだそうですが、その事実よりもむしろそれを先人がどうやって知り得たのかに興味があります。試行錯誤の結果なのか、偶然の産物なのか。 

 包ヶ浦キャンプ場

 1時になってようやく包ヶ浦のキャンプ場に到着しました。待望の昼食です。
 植栽でしょうがケヤキの大木がありました。街路樹として植えられているケヤキは通行や電線の障害とならないよう頻繁に剪定されていてその木本来の姿が分かりませんが、このこんもりとした姿が本来のものです。

 鹿の話し

 昼食後、PVのメンバーから宮島の鹿についての話がありました。
 宮島にはおそらく人間が住み着く前から鹿がいて、人間の暮らしが営まれるようになってからも島の深い森の中で暮らしていました。ところが近年、宮島が観光地化し、人間が与える餌の味を覚えてしまうと、食べ物の匂いが着いているビニールゴミなどを食べてしまい、それが胃の中で絡まり塊となって、やがては鹿を死に追いやってしまいます。
 また、鹿が街で暮らすようになると、周辺の植物が食害に逢い、鹿が食べない植物だけが残って行くようになります。
 こういったことから、鹿を本来の生活の場である森に帰そうという動きが活発になってきています。そのためにはまずどうすれば? 「餌をやらない。ゴミをださない。」これを徹底するだけで事態は大きく改善されるという話でした。
 宮島に暮らす人のみならず、年間300万人以上にのぼる観光客の方にも理解してほしいものです。
 
 2時過ぎ、包ヶ浦の海岸までやって来ました。ここで解散です。ここから宮島桟橋まではバスが運行していますが、道々観察しながら歩いて帰る人も多いようです。
 次回の観察会は秋。弥山の山頂まで登ります。どんな観察会になるか楽しみです。